素直になれないひとたち
「はぁ〜終わったぁ!!」
と、叫びたい気持ちを抑え僕は机に突っ伏した。
教室内は空調が完備されているはずなのに僕の頬には大粒の汗が伝っていて、汗を吸収した制服が肌と密着しなんとも言えない不快感に覆われている。
50分×3本の期末テストは、部活動で定期的に走らされていた坂道ダッシュと同じか、それ以上に僕の体力を削り取っていた。
期末テストは今日が一日目。
これがあと4日もあるとか、僕は果たして生きて夏休みを迎えられるのだろうか。
「テスト、どうだったの?」
頭上から声が聞こえた。
このパキパキツンツンした声は美織の声だ。
「手応え的に7割は取れたかな〜美織のおかげだよ」
顔を上げて返事する気力は無く、机に伏したまま返事をする。
「そう」
美織はそう言いながら、主人が既に下校し手持ち無沙汰になっていた椅子を引きそこに座った。
「優蘭のアタマならもっと高得点狙えたのにね、ほんとになんで徹夜でゲームなんかしてるのよ
「うっ……」
「明日また同じことしたら……分かってるわね?」
「うん、肝に銘じておくよ」
普段の声とは違うあまりにドスが効いた文末から、明日また同じ過ちを繰返した場合フラペチーノ1杯ごときじゃ許さないぞと言う美織の意志をひしひしと感じた。
自分自身に喝を入れ直すためにも、腕をめいいっぱい天井へと延ばし上半身を起こす。
「ふぅー……!?」
「ちょっ!急に起き上がらないでよ!」
上半身を起こし視線を正面に向けるとすぐ近く、少しでも前に動けば鼻と鼻がぶつかってしまうような距離に美織の顔があった。
美織の茶色がかった瞳孔が大きくなったり小さくなったりし、そこに自分の顔が鮮明に写っているのがわかった。
お互いがお互いの瞳孔の動きがはっきりとわかるる距離で僕達は見つめあったしまった。
その動きに数秒魅了された後ふと我に返り、少し大雑把に視線を横へと向ける。
僕が視線を横にするよりも少し遅れて美織は視線を下へとやっていた。
「ご……ごめん」
「……ッ……」
あまりの衝撃と、至近距離で向き合った恥ずかしさにより体が一気に熱を帯びていた。
全身に血が循環しているのを再確認するようにつま先から耳の裏側まで順番に熱が伝わってくる。
絶対……今の僕の顔は真っ赤だ。
と、想像が容易くなってしまう程僕の顔は熱を帯びてしまっているのだ。
……恥ずかしさでどうにかなりそうだ。
恐る恐る美織の方へと視線を向ける。
「う……ぐうぅ」
彼女はプルプルと肩を震わせ、その揺れが伝播して後ろからぶら下げている立派なツインテールもプラプラと揺れていた。
「……て言うかァ……なんでェ……試験前にィ……徹夜でゲームしてたのよォ……」
「!?……あ、えーっと真衣と約束しててさ」
あくまで気にしていないというスタンスを貫くつもりなのか、美織はプルプルと肩を震わせながら日常会話を再開させた。
唇も力なくパクパクとしているいるため声も震えている。
さすがに無理があるよ、美織。
と、思いつつもこれ以上この気まずい雰囲気を続けるのも僕の本意じゃないので美織のスタンスに乗っかることにした。
「ふぅん……真衣ちゃんとね…。ホントあんたは妹好きのバカなのね」
僕が美織のスタンスに乗っかると、安心したのか美織の体から震えが止まる。
しかしその代償として怒りの感情が発芽した空気を感じたのだがなんか怒らせるようなことを言ってしまったのだろうかーー
「え……?妹好き?」
「な、なによ!この妹好きのバカ優蘭ッ!いつまでもそんなんだからこの歳になっても妹達はアナタに甘えてるのよ!」
シスコン及びにロリコンと呼ばれることはあっても「妹好き」と呼ばれることは人生で初めてだ……。
美織はこの15年間、真面目にそして煩悩無く育ってきた。それ故にロリコンやシスコンという俗っぽい代名詞は全く知らないのだろう。
「そんなこと言ったって」
「もし……もしも!妹達があなたを異性として好きになったらどうするのよ!」
「……え?」
斜め45℃の質問が美織から飛んで来る。
真衣や真奈が僕を?
いや……そんなこと……考えた事もなかったけど……。
「そんなことある訳ないよ……」
「ッッー!アンタはねー」
「ごめんごめん、今美織の説教聞く体力ないかも」
「んもぅー!知らないわよ!」
僕の返答がが美織の怒りに油を注いでいるということを肌で認識したため、強制的に話を打ち切る。
数秒我慢すれば人は怒りを忘れると言うが、美織に関してはその効き目が常人の何倍かはある。
強制的に説教を打ち切ることによって美織はその怒りを一瞬にして忘れ、普段のパリパリツンツンした声に戻る。
これが第二の『対美織用ライフハック』だ。
(美織の怒りが強すぎた場合は不発に終わるけど)
「そうだ、昼ごはんどこで食べる?」
「そう言えば駅の近くに新しいご飯屋さん店出来たみたいなんだけれどーー」
「あぁ!確かラーメン屋さんだよね」
「ええ、でも行列に並ぶことになるかもしれないけど……」
「僕は大丈夫だよ、美織が食べたいなら行こう」
「ほんとに?ありがとう、優蘭」
その性格からは想像出来ないが、美織は無類のラーメン好きだ。
ラーメン屋に行くと決まった途端さっきの怒りが演技だったのかと思うほど、満面の笑みを浮かべていた。
その笑顔は僕にとっては光そのもので、安らぎを覚えるような……なんと形容すればいいか分からないけれど、とてつもなく僕にとって大切なものだった。
「よーし、じゃあいこっか!」
「うんーー」
ガラララララ!
僕と美織が席を立とうとしたその瞬間、教室のドアが激しい摩擦音を立てながら力いっぱい開かれた。
「蕾沢……美織さん……ちょっといいですか!?」
「……はい?」
「「ざわざわ」」
扉を豪快に開き、いきなりの大声を教室に響かせたのは隣のクラスの中西一馬くんだった。
帰りのホームルームを終え、30分ほど経ったまだ教室内には沢山の人が残っており雑談や学習に勤しんでいたのだが、中西くんの怒号に似た声によって教室が静寂に包まれた。
かく言う僕らも、驚きのあまり頭がフリーズしていた。
「いきなり、ごめんなさい……話があるんです!」
「はっ!話ってなんですかいきなり!」
一足先に正気を取り戻した美織が中西くんに返答をする。
そんな美織をみて僕も正気を取り戻し、この混乱の主、中西くんに視線を向ける。
彼はワイシャツの上からでも分かるほどの筋肉質な体をしており、髪の毛はしっかりと今風のセンター分け、男から見ても顔はなかなかにかっこいい。
つまりTheイケメンだ。
そんな彼が、美織に何の用なのだろうか。
彼自身も緊張しているのか目が泳ぎまくっているし、足も震えているように見える。
あの大声は緊張を隠すためのものなんだろう。
「こんなテスト期間中に、ごめんなさい。でもどうしても!!今!!伝えたいことがあるんです!!!」
「は、はぁ……?でもこれから用事があるのー」
「なんかすごい深刻な顔してるよ?聞いてきなよ僕は待ってるからさ」
「は?」
「えっ?」
僕は何を言っているんだろうと、言葉を発してから自分の発言を省みた。
彼が美織にどんな用事があるのかは分からない。
ただ深く頭を下げている彼を見て、ラーメンの為に彼の覚悟を無下にしてはいけない……そんな気がした。
「……アンタ…………」
「美織?」
僕の提案を受けて、美織は今まで見た事のないほど怒りに満ち溢れた表情を僕に向けた。
歯をカチカチと鳴らし、眉毛は上下に震えている。
そ、そんなに今すぐラーメンを食べに行きたかったのだろうかーー。
「美織?どうしたの?」
「…………待たせてごめんなさいね!いきましょう」
「やった!ありがとうございます!!」
美織は勢いよく椅子を倒すと僕を蔑むような、心底呆れたかのような目線を残し中西くんと教室を出ていった。
『あの女脈ナシじゃん、うける』
美織が出ていったあと女子生徒のグループのひとりが囁くような声で何かを言っていたのだが、僕の耳にその全容は届かなかった。
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あれから1時間経ったが、未だに美織は戻ってきてない。
さっきまでは騒がしかった教室内からは音が消え、外から奏でられる蝉のコーラスがこの場を支配していた。
何も頭を働かせず指だけを稼働させ、SNSのスクロールを繰り返す。
家でSNSを見ている時の1時間はとても短く感じるものだが、SNSを見ながら人を待っている時の1時間と言うのはどうしてこんなにも長く感じるのだろう。
ブルーライトによって疲弊した目を休ませるためスマホを机に置き、ギュッと強く目を瞑る。
何故かふと、中西くんのあの表情が頭に浮かんだ。
今思えばあの時僕は彼の表情に既視感を感じていた。
あの顔は今朝の姉さんの顔に似ていた。
いや、正確には似ていないのだがその本質というか、心の奥にある感情。
僕は……無意識下で彼の表情が雄弁に語っていたのは、今朝姉さんが語っていたものと同じだと感じていたんだ。
つまりアレは。
人を、好きなって……その人をどうしても手に入れたいという人間の本能。
つまり、恋。
きっと彼は美織に告白するんだ。
告白、それは自分の気持ちを本人に明かす儀式。
昔考えたことがある。なぜ人は自分自身の殻に秘めていた好意を他人に明かしたがるのだろうかと。
好きだとか愛おしいだとか言う感情は本来誰にも明かしたくない極めてデリケートな感情であるはずなのに、どうしてそれを人は大っぴらにし、娯楽として消費するのか。
そこにある種の嫌悪感を抱いたこともある。
だけど人というのはとても欲深い生き物だ。
自分の好きな物をどうしても手に入れたいという欲求が、どうしても抑えられないんだろう。
だから自分のデリケートな感情を明かしてでも想い人を手に入れたいと願う。
そう気付いたのはつい最近の事だった。
だから告白という儀式はとても独善的なものだと思った。
告白とはつまり相手に一方的に好意を押し付けて相手の感覚を麻痺させ、その人の生活を半分奪うということなのだから。
人は異性から好かれていると知ると、その異性のことに関心がなかったとしても興味を惹かれてしまうものだ。
人の本質の根底には、愛したい愛されたいという生物としての欲求がある。
だから「愛されたい」という欲求を叶えてくれる人間には心を開きやすいんだ。
だから、元々美織は中西くんのことをなんとも思ってなかったとしても、彼の想いに呼応して彼との関係を築く選択肢を選ぶかもしれない。
美織が僕の前からいなくなるかもしれない。
ずっと一緒だった。
僕が君咲家に引き取られてすぐ、まだこころに傷を抱えて誰とも仲良くできず、誰にも心を開いていなかった僕と一緒にいてくれたのは美織だった。
美織がいたから僕は前に進めた。
学校でも人と関われるようになった。
美織が……いたから。
いやだ……。
なんであの時
行かないでって言えなかったんだろう。
美織がいなくなる……そんなの……嫌だ。
ギュルルルルル
「ッッ!」
思考の沼に沈んでいく僕に呼応するかのように、腹部に鋭利なもので突き刺されたかのような激痛が走った。
ネガティブなことを考え始めるといつも決まって刺すような腹痛に襲われるのだ。
「……ッ……いやだ……。」
ああーー僕は一体何がしたいのだろう。
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ジャー
夏場なので水道の水が平時よりよりも温い。
そんな温い水で、手の汚れをゴシゴシ落とす?
もう何分もこうやっている気がする。
どれだけ手を擦っても自分の心根にへばりついた醜い汚れは落ちないというのに。
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手を洗い終え教室に戻ると、僕の席には中西くんとの用事を終えた美織がちょこんと座っていた。
「優蘭」
「あ、美織……」
美織が戻ってきた。
それはとても喜ばしいことであるが、そんな僕の足が震えている。
美織からなんと言われるのかが怖いんだ。
『中西くんと付き合うことになったから優蘭とはもう話せない』
そう告げられたとしたら、僕はきっと立ち直れない。
怖い、怖い、怖い、怖いーーーー
「はァ〜断ったわよ!」
「んぇ!?」
「告白!されたけど!断った!!」
不安に染る僕の表情を察してか、美織は声を張上げ端的に事の顛末を語る。
告白、された、でも、断ったーー
なんで美織は……だってーー
「でも中西君はかっこいいし……」
「うるさいバカ!」
「え?」
「帰るわよ!」
「あ、え!まってーー」
席から立ち上がった美織に袖を引っ張られ僕は教室を後にした。
なんで美織は、断ったんだろう。
美織に袖を引っ張られている中で、その疑問だけが頭の中を自由飛行していた。




