鈴音の過去
「鈴音お前は美しい」
え…?
「だけどいつかお前は男を知る」
お父さん何を言ってるの?
「だからお父さんがね」
やめて
「お前に男を教えてあげるよ」
やめて、お父さん
「はぁはぁ!鈴音ぇぇぇ!!」
やめ…て……
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思い出したのは3ヶ月前の記憶。
今すぐにでもこの薄汚れた記憶を消してしまいたいのに、そんな私の切なる願いを嘲笑うかのように脳はこの記憶を忘れさせてくれない。
醜い出来事だった。
まるでこの世に存在する人間の醜悪さを全て体現したかのような地獄。
そう、それは…
私が男性恐怖症に陥いる原因となった出来事の記憶だ。
私は実の父親に犯された。
正確に言うと未遂に終わったのだが。
それは「私の心」を無慈悲に乱暴に、容赦なく犯したのだ。
体は無事でも心はむちゃくちゃにされた。だからあながち「犯された」という表現は間違いではないと思う。
実の父親が獲物を求める獣のような目をしていた。
そしてその目の眼光の先には私の純血。
私はあの夜、自分の父は自らの精子で作り出した我が子のことを、性の対象として消費することが出来てしまう怪物だということを知ってしまった。
それを知ってしまったのならこれほどまでに嫌悪し軽蔑することに何の違和感もないだろう。
まるで獲物を狩る獣の様に行儀悪く唾液を垂らし娘の体を一心不乱に求めるその姿は、知性のある人間のそれとはかけはなれていた。
実の父に自分のデリケートゾーンを直でまさぐられているのに、心が壊れてしまっているので「抵抗する」という選択肢を獲ら別に私はただ時が過ぎるのを待っていた。
その時の私の心で蠢いていた感情は間違いなく絶望の他になく心全てが絶望という感情に支配されてた。
しかし、性行為に移る前に母が偶然家に戻ったことにより父は止められ私は一応ではあるが助かり、結果として体の純血というのは守られるという結果になった。
だがそれは結果論に過ぎなく、何も抵抗しなかった私は自分自身のこと処女を失った人間として捉えていたし、あんなに嫌で苦しくて殺してやりたいとすら思った相手に対して「抵抗しなかった」という事が何より私を苦しめ続けた。
その上父がこの事に及んだ経緯を
「鈴音が誘惑して来たんだ」
と母に虚偽の弁論をしたのだ。
そこで父を信用する母親はこの世にはいないと思うのだが、うちの母親は違った。
父を信用したのだ。あの人間にすら値しないゴミのような人間を信じたのだ。
そしてそれを私の姉にも伝え、私を悪者に仕立てあげた。家族の中で私だけが護られなかった。
でも母と姉が父親の味方をするなんてことは分かっていた。分かっていたんだ。
母と姉は私のことを酷く嫌っている。
…私の顔は…整いすぎていたのだ。
道を歩けば振り返らない人は居ないほど。
自慢しているつもりは毛頭ないが、小学生の時点で男性からも何度も告白されたことがある。
中学に上がってからは毎日誰かに告白される、というような事態にまでなっていた。
この整った容姿で多くの男性の心を虜にする私を嫌っていたのはクラスメイトの女子達だけではなかったという訳だ。
母は何より私の顔を憎んでいた。
母は元々モデルでカメラマンの父と結婚した。
元モデルという事もあり自分の容姿に対して絶対的な自身を持っていたに違いない。
そして私が産まれてくるまでその自信が砕かれたことは無かった…母のプライドを砕いたのはほかのどのライバルモデルでもなく、私だったと言うわけだ。
ある日の夜、母が誰かと電話をしているのを聞いてしまった。
母は憎悪を込めた声で確かにこう言っていた。
『あの子の顔が…本当に憎いの。私の娘が、私よりも美しいなんて…あってはいけないのよ!本当にあの子が憎い、殺したい、殺したいほど憎いよ…』
母の心からの憎悪。
その憎悪を一身に浴びた当時13歳の私は泣きじゃくるわけでもなく、絶望するわけでもなく。
優越感に浸っていた。
私は美しい。
あんなに美しい母をあそこまで言わせる私は、本当に美しいんだ、と。
その件以降私は自分自身の容姿に絶対的な自信を持つようになり、いつの間にか私に優る容姿の者は存在しないと、視界に入った全ての人間を心の中で見下し優越感に浸る毎日を過ごすようになっていた。
しかし優越感に浸る日々はさほど長くなく、実の父親に強姦未遂事件を起こされてから、自らが誇っていたこの顔を憎むようになったのだ。
それは、『あること』に気付いてしまったからだ。
私の顔を見てくる男は全員私を脳内で犯している
私の顔を見てくる女は全員私を脳内で殺している
私の体の半分に同じ血が流れている父親は私の顔に欲情し
そのもう半分の同じ血が流れている母親は私の顔に酷く嫉妬した。
美しさ、というのは性の対象として消費されるか、その美貌を嫉妬の対象にされ激しく疎まれるか。
その二択しかないことに気付いてしまったのだ。
私の体の半分に同じ血が流れている父親は私の顔に欲情し。
そのもう半分の同じ血が流れている母親は私の顔に酷く嫉妬した。
そんなことをずっとそれを考えるようになったからだ。考えるのを止めたくても止められない、脳がそれを阻害してくる。
被害妄想に近いかもしれない。
だけど私のそれは実害を受けての考察だ。
100%あっている保証はないが100%間違っている保証もない。
「嫌だ嫌だ嫌だ」
眠れない夜を過ごす日々、この顔をナイフでズタズタにしようと夜中キッチンから包丁を取り出してきては怖くなって…結局は何も出来ず包丁を戻して終わる、と言うような生活を続けていた。
「私をこの顔をで産んだのはお前らなのになんで私を恨むんだよ!!」
そう嘆いた。だけど現実は残酷だ。
姉がこの件を学校でいろんな人に言いふらしたのである、私は家が近いと言う理由で姉と同じ高校を選んだのだがそれが命取りとなった。
学校のクラスメイト達を下に見ているということはみんなにはバレバレだったらしく他の女子生徒からものすごく嫌われていた私のその話は「最高のネタ」として瞬く間に広がった。
噂が広がる瞬間風速はマッハを超えており、私は一瞬にして
「父親を誘惑する変態」
「清楚ぶってるけど本当はクソびっち」
「経験人数8000人」
そんなレッテルを貼られるようになった。
そしていろんな男子から恋愛的な観点ではない告白を無数に受けたのだ。
「ヤリマンなんでしょ?じゃあ俺とやろ!!」
「童貞卒業させてくぅれるってほんとでふかぁ〜」
そんな地獄みたいな告白を1日に何十回も受ける生活。中には無理矢理押し倒して来る人もいた。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
私を襲ってくる人は必ずみんな父のように人間離れした理性の飛んだ獣の目をしていた。
恐怖に耐えられなくなった私は家にひきこもりがちになり、そんな生活に嫌気がさしてきた9月の中頃、両親に遠く離れた高校に転校したいと言う旨の話を提案した。
母や姉は私が消えることを望んでいたためすんなり話は進みその一ヶ月後には転学先も決まり、私はこの家から、そしてこの街から脱することが出来た。
しかし私は気付いていなかったのだ。
この件以降。
男性に酷い恐怖感を抱くようになりはじめ、自分でも気づかないうちに私は男性恐怖症になっていることを。
しかもそれはただの男性恐怖症ではなくて、男の顔を見るとその顔は真っ黒に塗りつぶしてありそれと同時に酷い吐き気を催す、という最悪の弊害までもが同時に発現したのだ。
気付いた時にはもう遅い、私は「欠陥品」へと堕ちてていたのだ。
絶望した。
環境を変えても私は父のそしてトラウマの呪縛に縛られている。
一生男に怯えながら生きていかなければ行けない…
男性恐怖症に陥った事よりもこれから死ぬまでずっと父の呪縛に後ろから私の体を抱きしめられて生きていかなければいけないという事実が何より私を苦しめた。
転校したは言いもののなかなかクラスになじめず
「もう死ぬしかないのかな」
そう考え始めたある日のこと
彼が、転校してきた。
彼の名前は君咲優蘭、彼の性別は男性なのに何故か私の目でもしっかりとその顔を認識することが出来た。
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初めは、好奇心だった。
なぜ彼、『君咲優蘭は私の目でも視認することが出来るのだろうか』そう思ったから彼に近づいた。
知識欲をくすぐられたと言うのが正しいかもしれない。
彼に近付いたのに恋愛的な好意とかそんなものがあったわけじゃない、ただ、知りたかった。
だけど彼とメールのやり取りを続けていくうちに。
彼の優しい所や抜けてる所、そして愛おしいなと思うことが増えていた。
そしてある種の実験動物の様な括りで彼を見ていた私自身を酷く嫌悪するようになった。
私が今彼に抱いてるのはただの知識欲という言葉では説明できないものに違いないと自分ではわかっているが、かと言ってどんな感情を彼に抱いているのか、それは私には分からない。
でも数週間前の昼休み、転校して日も浅くなんの思い入れもまだないであろう学校の花壇の花に手入れをしている彼を見て、私の心はザワザワと風に揺られる草原の様に揺らめいているのを感じた。
この感情はなんなんだ。
私はそれを知りたかった。
これは知識欲じゃなく、彼とこれから正当に向かい合う為に必要な…いや……知ってはおかないといけないことだから。
すこし覚束無い手つきでスマホを開き、LINEのアプリを開く。
トーク画面の1番上にいるのは彼のアイコン。
慣れた手つきで彼のアイコンを押し彼とのトークを開く。
文章は迷わなかった。
揺れる私の心を見透かして欲しくなかったし、いつも通りの私で彼に会いたいとおもったから。
「明日遊ばない?」
…
…
…
『いいよ!』
返信が、来た。
その時私は胸が苦しくなるような、そんな感覚に襲われた。返信をすぐ返してくれたことが嬉しかったのか、それとも明日遊べるのが嬉しかったのか。
分からないけど、胸が焦がれるような焼けるようなでも心地いいような。そんな経験したことない苦しさが私を優しく包み込む。
「楽しみだ…明日…」
気付いたら口が動いてた。
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鈴音が父親に犯されるのを母親が止めた理由は鈴音を守るからというものではなく
『自分の愛した夫が自分の嫌いな娘と関係を持つという事実が成立したら女としての自分のプライドが酷く傷つくから』
という理由です。
鈴音の両親はどちらも自己中心的なクズです。