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僕は彼女を殺して、彼女になる。  作者: Kfumi
Ⅰ 痛みを感じるか?
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07 傷と痣

 本校舎と体育館の間には渡り廊下があり、授業や部活に向かう人たちはここを通っている。

 いざ部活動の時間が始まってしまうと、ここを通る生徒たちの影は見えなくなる。


 そんな渡り廊下の外、体育館の角を曲がった裏は木々や外壁に囲まれ、日当たりも人目の通りも悪い環境になっていた。

 だからこそ部活中の身体の熱くなった生徒たちの夕涼みとしては最適であった。


 遠藤と田名部、岸本の3人はそこで煙をまき散らしていた。

 教師に見つかれば、叱りを受けるが、わざわざチクろうとする生徒も皆無だった。

 そもそもそんな面倒なことをしようとする教師などもいなかった。


 そんなところに優真はトボトボとした足取りでやって来た。

 下唇を噛みしめて、悔しげな様子である。


 遠藤らに呼ばれたことがその原因ではなく、昼に響子から告げられた言葉と自らが響子に告げてしまった言葉が、ずっと心に突き刺さっていた。


 人に対して、あんなに強く言葉を吐いたことなどほとんどなかったと思う。


 「僕に話しかけるな」と言ってしまった。

 響子のことを傷つけてしまったのではないか、と優真は怯えていたのだ。


「お前はいちいち鈍いんだよ。もっと早く来いや、ザコ」

「す、すみません……」

「金も払えないし、歩くのも遅いし、走ろうともしないし、マジでお前って何なん?」

「気持ち悪いんだよ」


 田名部と岸本がニヤニヤとした目つきで、優真の隣までやってきた。

 いつ殴られるかもわからないので、優真は必死に腹筋に力を込めていた。

 身体中の筋肉が硬直していて、つりそうだった。


「謝ってさ、済むと思ってんの?」

「……僕は」

「あん?」

「僕は、悪いこと……してません」


 遠藤らは信じられないとでもいうような表情をした。

 でもそう思ったのは優真も同じだった。


 心の中に響子の姿が浮かんだ。

 響子に対する申し訳ないという気持ちだけが覆いつくしていた。


 だから何も考えずに言葉が口から出てきた。

 ボソボソとした小声だったが、確かに遠藤らの耳に届いた。


「……! すみません!」


 優真が自分のいったことに気づき、謝罪の言葉を投げかけた瞬間、優真の頬に固い拳の衝撃がやってきた。

 鉄の味が広がり、その場に勢いよく倒れた。


 優真は生きたサンドバックだった。


 遠藤らの靴底を何度も見た。

 そして、それは身体に強い衝撃と痛みを与え、痣となる。


 汚い苔の茂る土の上で、優真は今日の制裁が終わる瞬間まで、ずっと苦しみに耐えていた。


 胸倉を掴まれ立たされた。


「はーい! 立てって、気を付け」

「……」


 優真は口から血を流して朦朧とした目を前方に向けた。

 両腕に感覚が戻って来て、自分は羽交い絞めにされているのだとわかった。


「遠藤、やってやれ!」

「……や、やめて、くださ……」

「一発目ー」


 遠藤は拳を固めると助走をつけて優真のみぞおちを思い切り殴った。


「……!」


 優真の苦しみは声にならずに、そのまま嘔吐してしまった。


「うわ! きったな!」

「吐いたぜコイツ! あはははは!」

「まだ一発目なのに。軟弱だな、おい!」


 げーげーと優真が吐いている間に遠藤の冷たい声が聞こえてきた。


「二発目ー」


 強烈な蹴りが優真の腹部に直撃した。

 羽交い絞めから外れて、優真は倒れた。


「二発しか耐えれないのかよ。気持ち悪いな」


 優真は既に涙すら枯れていた。


「あははははは!」


 遠藤らの笑い声から遠ざかるように、その場から逃げようと必死に地面を這いずった。


 身体を壁に擦りつけるように角を曲がり、ふと前方を見上げた。

 本校舎と体育館の渡り廊下に誰かが立っていた。


 その姿を見つめて、優真は手を伸ばした。


「おい! どこ行くんだよ。ザコ」


 背後から遠藤らの声が近づいてきた。


 この姿の自分を見たら、渡り廊下に立つその人物が手を差し伸べてくれるかもしれない。


「おい! 逃げんなよ」


 遠藤が優真の髪を掴んだ。


 やっとこの牢獄から抜け出せる。


 優真は、必死に手を伸ばし続けた。


 霞んでいた視界がはっきりとしてきた。


 はっきりとするにしたがって、優真の救いの手が遠ざかる音が聞こえた気がした。


 渡り廊下には、教師の須貝が立っていた。


 はっきりと須貝と目が合った。


 確実に須貝は優真の目を見ていた。


 そして、面倒くさそうな、拒絶するような、嘲笑するような、笑みを浮かべた。


 須貝は何の行動をすることも何の言葉を投げかけることもなく目を逸らし、その場から去っていった。


「望月君ってば、誰も助けちゃくれないよ。お前みたいなカスなんか」


 優真の髪を引っ張り、遠藤が体育館裏に連れ戻す。


「い、……い、いや……」


 優真は涙を流した。


「いやだ! いやだああ! いやだ! 助けて! ああああああ!」


 優真の悲鳴が校舎に反響して、消えた。



 オレンジ色に輝く駐車場に優真はやって来た。


 歩くことすらままならなかった。

 壁伝いに倒れ掛かるようにしてやって来たのである。


 心の中にどす黒い靄がかかっているのを感じた。


 これを晴らしたい。


 優真は、ポケットに手を突っ込んだ。


「もう……みんな、しん――」


 ぽつりと呟いたそのときだった。


「待ってたよ、優真」


 鈴が鳴るような綺麗な声が聞こえた。


 優真の心のなかの靄が少し晴れた。


 ふと前方を見ると、そこには響子が立っていた。

 響子は優真を見ると、ニコッと微笑んだ。

 とても可愛らしい少女のような笑みだった。


 優真の心の靄が、また少し晴れた。


「矢吹さん? どうして……」

「どうしてって? 待ってたんだよ、優真のこと」

「だから、どうして?」


 響子は何もいわずに近づいて、優真の制服に手をかけた。


「え!?」


 そのまま制服をまくり上げようとした。


「ちょ、ちょっと矢吹さん!?」

「いいから」


 制服がまくり上げあげられ、露わになった優真の上半身は傷と内出血の痣で一杯だった。


 響子はそれを見つめ、優しく撫でた。


「いっ……!」


 響子は制服を戻し、裾もズボンに入れようとしたが、恥ずかしくて優真は自分で入れた。

 すると響子はハンカチを取り出して、近くの水飲み場で濡らし、優真の口元に当てた。


「……あ、ありがとうございます」

「顔以外を中心に狙うなんて、陰湿な奴ら」

「あ、あの……」

「なに?」

「今日、ひどいこと言って、ごめんなさい」

「ひどいこと?」

「話しかけるな、って……」

「……ああ、そうだったね。気にしてないよ」

「……す、すみません」

「すぐ謝るの癖なの?」

「え……そうですか?」

「うん。何もしてないじゃん、優真」

「すみません」


 響子はハンカチを外して、優真を見つめた。


「す! すみません……」


 そして、優真の顔に近づいてきた。


 ドキッとした。


「今日もアレやるでしょ?」

「アレ? とは……?」


 響子はある仕草をしてみせた。


 優真はそれを見て、罪悪感が湧いた。


 それは車を鍵で傷つける動作だった。


「フラストレーションの発散」

「……」


 優真は怖くなった。

 やはり響子は優真の弱みを見たことで、何かを脅し取ろうとしているのではないか。

 優真の心の中に疑念がぶわっと湧き出てきた。


 ニコッと先の笑みを浮かべて、響子が続けた。


「あれが普段押し殺してる貴方の本当の姿でしょう?」


 いわれた意味がわからなかった。


「ち、違います……」

「やらないの? 優真」

「……」


 怖くなった優真は逃げるようにその場を立ち去ろうとした。


「そっか……」


 背後にいた響子が、にやっと笑った。


「じゃあ代わりに私がやってあげる」

「え」


 その言葉の意図が飲み込めず、優真は後ろを振り返った。

 地面に置かれていた響子の顔ほどの大きな石を拾い上げ、響子は大きく振りかぶった。


 その瞬間の響子が優真には輝いて見えた。


「待って……!」


 響子は赤いスポーツカーに向かって、大きな石を思い切り叩きつけた。

 激しい衝撃音とともに赤いスポーツカーの窓に大きなヒビが入った。


「あはははははは!」


 響子は楽しそうに笑っていた。


「矢吹さん!?」


 響子の動きを止めることなく、そのまま何度も石を叩きつけた。


「あはははははは!」


 楽しそうに笑いながら。


「や、やめてください!」


 優真は響子を止めようと必死に腕にしがみついた。

 響子は息を荒げて、笑みを浮かべつつも動きを止めた。


 そのとき、赤いスポーツカーに搭載されていたのであろう警報が辺り一面に鳴り響いた。


「!」


 優真も響子もはっと驚いた。


「やばいね」


 響子は優真の顔を見つめた。

 優真はこんな事態にも関わらず、心臓が高鳴った。


「逃げよう」


 響子に腕を掴まれ、優真は走り出した。


 楽し気な響子とともに夕焼けがかる道路を走り抜けながら、優真は彼女のことを想うだけで自分は変われそうな気がすると、心の奥底で感じ始めていた。


 だから気づかなかったのだ。


 優真は自分の生徒手帳を落としてしまったことに。

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