06 ナイフ
窓が少しだけ開けられていて、そこから流れてくる心地のいい風が響子の黒髪を撫でていた。
教室の中は、生徒たちの喧騒が響いていたが、響子の耳には何も聞こえていないようであった。
ただ窓の外の景色をぼんやりと眺めていた。
ここから見える景色が響子は好きだった。
クスクスという微かな笑い声が聞こえてきて、響子は耳を澄ませた。
そして、響子の背後に何者かの足音が近づいてきた。
この学校で響子に用を持って、近づいて来ようとする者なんて極めて珍しいことであるので、響子は少し驚いた。
ゆっくりと振り返ると、そこには大きな紙袋を持った優真が立っていた。
「……このクラスだったんですね」
優真はぽつりと呟いた。
そんな優真の姿を見て、周りの生徒たちは笑っていた。
優真の行動は何かと滑稽に見えるらしい。
「優真、おはよう」
響子はそんな奴らの笑い声に一瞬苛立ったが、優真を見つめるとそんな苛立ちも消えてしまった。
「なにこれ?」
差し出された紙袋を見て響子はいった。
「あの……乾いたんで」
中を覗き見るとそこには響子の制服が入っていた。
「使ってもいいって言ったのに」
「何にですか!?」
「何って……わかってるでしょ?」
「……つ、使わないです!」
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに」
「別に、恥ずかしがってません!」
「普通だよ。男の子なら」
「……帰ります」
「……」
「それじゃ」
優真は紙袋を響子の机に置くと、振り返り去っていこうとした。
「待って」
響子はそんな優真の腕を掴んで立ち上がった。
クラスの生徒たちの視線が一瞬だけ集中されたが、みんなそれぞれに目を散らした。
「な、なんですか」
優真はどこか怯えた表情をしていた。
「ちょっと用があるの」
「……え?」
「来て」
「あ、あの! ちょっと!」
響子は優真の腕をぐいっと引っ張り、歩き始めた。
カーテンが閉め切られ、今は使用されていない教室に響子と優真はやって来た。
鍵は開いてあった。
こういうところに学校という施設管理の杜撰ずさんさが表れている。
響子は相も変わらず無表情だったが、優真はひどく怯えているようだった。
それと同時に、昨日の出来事と響子の裸が脳裏を掠めて、少しだけ紅潮した。
優真は響子に掴まれている腕を振った。
響子は黙って離した。
そして、優真の方を向いて見つめた。
優真は見つめられていることに気づいて、恥ずかしくなった。
「あんな奴らに黙ってやられてんの?」
響子はそういった。
「え」
優真は一瞬で身体が硬直した。
「優真はそれでいいの?」
「何がですか……?」
優真の心臓の鼓動がドクドクと早くなる。
「あんな奴らって……誰のことですか?」
「意味のない質問はやめて。自分で気づいてるでしょう?」
「……」
優真の表情筋が固まって、笑いたくもないのに笑みがこぼれた。
「優真はどうしてやり返さないの?」
「……あ」
「私が誘ったとき断ったよね? 同じようにやればいいだけだよ?」
「……あ、あな……」
「うん?」
「……あ、貴方に、何がわかるっていうんですか」
「わかるよ」
「いえ。絶対にわかりません。貴方に僕の気持ちなんて、絶対に」
「……わかるよ」
響子はポケットから何か棒状のものを取り出した。
優真は最初それが何かわからず、首を傾げた。
響子が少し傾けるとその内部から刃物が素早く現れた。
それは折り畳み式のナイフだった。
優真は驚き、さらに怯えた。
響子は、何の迷いもない声でいった。
「あいつら、殺しちゃえばいいじゃん」
響子は刃をしまい、折り畳み式ナイフを優真に差し出した。
優真はドクンと自分のなかに何か湧き出すのを感じたが、それが心臓へと流れ込み、締め付けるように苦しくなったので、その気持ちを振り払った。
ナイフを手で払い落した。
「ふざけないでください!」
「ふざけてないよ」
「僕のこと、茶化すために連れてきたんですか? 馬鹿にするためにそんなこと言ってるんですか?」
「違うよ。そうじゃない」
「もうやめてください!」
「……」
「僕に……話しかけないでください」
優真は響子の顔を見られずに、そのまま教室を去っていった。
取り残された響子は自分の掌を見ていた。
優真と手が触れ合い、少しだけ嬉しかった。
そして、床に落ちた折り畳み式ナイフを見つめ、屈み拾い上げた。
刃を出して、鋭利に輝く先を見つめた。
「いつまで、そんなふうにしてるんだろう」
ぽつりと呟いた。
屈んだままの響子は優真が出ていったドアを見つめた。
「私の前なら……隠さなくてもいいのに」
また呟いて、笑った。