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僕は彼女を殺して、彼女になる。  作者: Kfumi
Ⅰ 痛みを感じるか?
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03 Boy meets Girl

 駐車場で突然声をかけられた優真は無我夢中で走っていた。


 見つかってしまった。

 優真の心臓はバクバクと音を鳴らし乱れていた。


 この鼓動が周りの人間にも聞こえてしまい、不審に思われ、挙句の果てそのままリンチに遭うのではないかと想像してしまうほど、優真は怯えていた。


 車に傷をつけるという行為は、優真が幼いころから常習していたことだった。


 自分の心が痛くなった時に、それをやると落ち着いた。

 自分の中で勝手に線を引いていた。これはセーフであると。

 そうしなければ優真の心は、ズタズタで廃材になってしまいそうだった。


 でも、見つかってしまったのだ。


 どうしよう。


 警察に告げられたら、捕まってしまう。

 車の持ち主にバレたら、殺されてしまうかもしれない。

 遠藤らにバレたら、馬鹿にされ、嗤われ、気が済むまで殴られる。

 でも、最低な行為をした自分を守ってくれる人などいない。


 優しい優真は、内向的で、それゆえにひどく臆病だった。


 どこをどう走ったかは覚えていない。


 オレンジ色に染まる道路を駆け回り、優真はとあるスーパーマーケットの前までやってきていた。



「優真、おかえり」


 その声は優真が唯一、身体をびくつかせ怯えることのない声だった。


「お母さん……」


 優真が振り向くと、そこには店員の格好で、レジ袋片手に立つ優真の母・望月夏海の姿があった。


 優真が幼い頃、出て行った父の分まで女手一つで優真を育て上げてきたシングルマザーである。

 様々なアルバイトやパートを掛け持ちし、養ってきた。


 今はこの優真の自宅から徒歩20分ほど離れたスーパーマーケットで店員をしている。

 気の利く性格と、優しい笑顔から店長からの信頼も厚いらしい。


 夜道に電灯が少なく危ない道のりだというのに、気前のいい賃金のため、長いことここで働き続けている。

 夏海は優真にレジ袋を差し出していった。


「今夜も仕事のシフト入って帰れないから、それ温めて食べてね」

「うん」

「どしたの優真。元気ないじゃない」

「いや……」

「制服どうしたの? 汚れてるわよ」

「……転んじゃって」

「全く。貴方は小さい頃からドジなんだから、気を付けなきゃだめよ」

「ごめん」

「帰ったら洗いなさいね」

「うん」


 遠藤達は優真の顔は殴らなかった。

 問題を大きくしたくないからか、じっくりと痛めつけたいからか、わからない。


 だから夏海は優真の傷には気づいていないようだ。

 でも、だからこそ優真は罪悪感を抱え続けていた。


 たくさん迷惑をかけて、たくさん助けられてきた母の財布から金を盗んでいることに。


「あのさ……お母さん」

「なに?」


 言おうと何度も試みたが、言葉が続いたことはなかった。


「……なんでもない」

「そう。ならいいけど」

「……じゃあ」

「何かあったら、言いなさいよ」

「……うん」


 優真は、俯いて去っていった。



 近所にある神社の境内が好きだった。

 そこは野良猫たちのたまり場になっていて、何度も通っていた優真に対しては逃げなくなっていた。

 優真は、野良猫たちに仲間だと思われている節があった。


 いや、どちらかというと食料調達の下僕と思われているといったほうが適切かもしれない。


 優真は今日もスーパーで買っておいた猫缶を空けて、野良猫たちに御馳走する。

 優真は、野良猫たちが自分のあげた食べ物を美味しそうにクチャクチャと食べるのを見るのが好きだった。


 それはきっと、自分が誰かに必要とされているのを確認できるからかもしれない。


 そのとき、猫たちの咀嚼音に紛れて、何者かのすすり泣く声が聞こえてきた。


「え」


 優真は怯えた。


 恥ずかしくも、幽霊か何かだと思ってしまったのだ。

 だが、違うことにすぐ気づいた。


 それは神社の裏から聞こえてきた。

 不思議に思った優真が覗くと、まずは制服が目に入った。

 それは自分たちの高校の制服で、女子生徒のものだった。


 色白の透き通るような足が露出して、少女が抱え込むように蹲っていた。


 まるで何かのCMにでもそのまま使えそうな長く綺麗な黒髪。

 ほっそりとした身なり。


 しかし、彼女の制服は優真と同じように汚れていた。


 優真は咄嗟に声をかけた。


「あの……大丈夫ですか」


 その声に反応すると、少女はすすり泣く声を止め、顔をあげた。


 そこにはまるで嘘泣きだったのではないかと疑うほどの可愛らしく整った顔立ちの少女がいた。

 美人で、かつ幼い少女のような風貌を兼ね備えている。

 化粧っ気はないが、ケバく着飾っている同年代の女子の誰よりも、遥かに美しい顔をしていた。


 優真は、心臓が飛び出そうなほどときめいた。


 それは彼女が可愛かったからではない。


 彼女が、駐車場で自分に声をかけてきた女だったからだ。


 捕まる。


 優真は咄嗟にそう思った。


 彼女はじっと優真の顔を見つめている。


 何か、話しかけなければ。

 優真はそう思い、口を開いた。


「そ、その傷……どうしたんですか」


 彼女は傷と泥だらけだった。

 まるで、優真と同じように誰かから暴行を加えられたようだった。

 彼女は優真から一切の視線を逸らさずにいった。


「貴方こそ。顔以外は傷だらけ」

「!」


 優真は驚いた。


「ど、どうして、身体に傷あること知ってるんですか」

「身体だけのことを言ってるんじゃない。心も傷だらけ。そうでしょ?」


 彼女は表情を何一つ崩さずに告げた。


 ひどく冷めた声だった。

 なんの感情を表に出ていないように感じ、優真は怖くなってそこから立ち去ろうとした。


「す、すいません」


 足を後ずさり、優真は慌てて振り向いて走り去ろうとした。

 そのとき、背後で彼女が立ち上がった音が聞こえた。

 ふいに、腕を掴まれた。


「帰る場所、ないの」


 それは鈴が鳴ったような、心地いい声だった。


「え……?」

「シャワー、貸して。貴方のウチで」


 また優真の心臓が高鳴ったが、それは先の鼓動とは別物だった。



 辺りは夜という闇に包まれた。


 優真の自宅であるマンションは3階建ての小さく古い作りのものだった。

 望月家は2階に位置している。

 ご近所との付き合いは夏海が適度に済ましてあるが、入れ替わりも激しいため、優真はほとんどの住民を知らない。

 またその性格から顔を合わせても、挨拶などしたこともなかった。


 そこへ優真は帰ってきた。

 しかし、その足取りはいつもとは違う。

 まるで背後から銃を突き付けられ、案内させられているかのようである。


 優真の後ろには先ほどの彼女がいた。

 ただただ優真の背中を見つめ、何を考えているのかわからない。


 優真は自宅のドアの前で足を止めた。


「ここがウチ、です」

「そう」

「ほ、ほんとに?」

「何が?」

「ほんとに、シャワー借りるんですか?」

「ダメ?」

「ダメじゃないですけど……でも」

「でも? なに?」

「お、女の子とか、部屋に入れたことないし……も、もちろん親と暮らしているので……あの」

「私はいいよ。別に」

「あ……えっと、はい。すみません」


 なんともぎこちない会話を済ませたあと、優真は大きく深呼吸をして、鍵を差し込んだ。


「ど、どうぞ」


 彼女のほうを向き、部屋へと招き入れる。

 彼女は何もいわずに、入っていった。

 狭い廊下を何もいわずに進んでいく。


 ふと左を向いて、優真がいった。


「ここ、シャワーです」

「借りるよ」

「あ……は、はい。……あの」

「なに?」

「ウチ、乾燥機あるので。洗濯しましょうか?」


 彼女は優真の顔を見ると、少しだけ笑みを浮かべた。そして、


「ありがとう」


 と呟いた。


 その言葉に優真は少し嬉しくなり、俯いた。


 そのとき、彼女はいきなり制服のボタンを外し、脱ぎ始めた。

 優真は髪の毛が逆立つのではないかというほど驚いた。


「うわ! こ、ここで脱がないでください!」

「うん?」

「カ、カーテン閉めて! 中で脱いでください!」


 優真は勢いで彼女を脱衣所に押し込んだ。

 彼女はきょとんとした顔を浮かべ、いった。


「貴方も泥だらけでしょ? シャワー浴びた方がいいよ」

「は、はい……後でそうします!」

「うん? 一緒に浴びればいいのに」


 優真の顔は一瞬で猿の尻のように赤くなった。


「じょ、冗談はやめてください!」

「冗談じゃないけど」


 彼女は上の衣類を脱ぎ、下着姿になっていった。


「うわあああああ!」


 優真は驚き、赤面し続けたまま、カーテンを閉めた。

 あまりにも勢いよく閉めすぎたせいで、カーテンレールの取り付け部分がひとつ外れてしまった。


「さっきからどうしたの?」


 彼女が本当に何も気にしていないような声でいった。


「ど、どうしたのって! 一緒に入るなんて、そんな……ダメですよ!」


 彼女はカーテンレールの外れた部分を取り付けながら、なんとも間抜けな恰好でいった。


「どうしてダメなの」


 おそらく先ほどよりも肌を露出しているであろう彼女の声が、カーテンの中から聞こえた。


「い、いや……だって。ぼ、僕たち付き合ってもいないですし……初対面ですし。名前も知らないですし……」

「矢吹響子」

「へ?」

「私の名前。吹き矢に、響く子供で」

「や、矢吹さん?」

「うん。貴方の名前は?」

「も、望月優真です。月に望む、優しいに、真っすぐ、っていう字です」

「そっか。よろしくね優真」

「あ、はい……よろしくお願いします」

「これで一緒に浴びてくれる?」

「は! 早く入ってください!」


 優真は慌ててその場から立ち去ろうとした。


「待って」


 優真がその声に振り向くと、カーテンがずれて響子と名乗った彼女の腕が出てきていた。

 制服を持っている。


「はい。洗ってくれるんでしょう?」

「あ……はい」


 優真がそれを受け取った。


 そのとき、カーテンの隙間から響子の白い肌がちらっと見えて、優真はまた顔が赤くなった。

 男なら覗こうと思わなかったわけではないが、少し心が痛くなってやめた。


「一緒に入りたくなったら、いつでもどうぞ」


 そんな響子の声にびっくりして、慌ててその場から離れた。



「なんなんだよ。……あの人」


 回る洗濯機を見つめながら呟いた。

 まだ時間がかかりそうだったので、リビングへと戻った。


 その途中、浴室からシャワーの流れる音が聞こえて、またドキドキした。

 響子と会ってから今までまるで妄想の世界に入り込んだように思っていたが、リビングで鏡を見たとき現実に引き戻された。


 痣と傷だらけの痛々しい身体。

 遠藤らに言われた友情料の徴収を思い出してしまった。


 優真はゆっくりと戸棚まで歩いた。

 右列中段の引き出しを開けると、中には通帳と夏海が一か月分の出費として用意してある封筒が置いてあった。

 心の中で刃物を持った生物が暴れているような罪悪感にかられた。


 でも、身体に刻まれた傷と痣がそれ以上に疼いた。

 手が震え始めて、吐き気が襲ってくる。


 優真は、今にも泣きだしそうな顔で封筒に手を伸ばした。

 中を覗き見る。


 1万円札が3枚入っていた。


「足りない……」


 優真は小さく呟いた。


 一か月も終わりに差し掛かり、残りは3万円しかなかったのだ。

 これでは2万円も足りない。

 そういった理由で、また殴られる。


 でも、もしかしたら、1000に1の確率で、許されるかもしれない。

 彼らが急に微笑んで、「もうお前をいじめるのはやめた」と言ってくれるかもしれない。

 優真はまだ希望を捨てきれずにいた。


 封筒の中に手を伸ばした。


――何かあったらいいなさいよ


 ふと、夏海の言葉と顔を思い出した。

 手の震えが止まり、優真は封筒から指を離した。


 そのときだった。


「ねえ、シャワーありがとう」


 背後から響子の声が聞こえた。


 優真は驚いた反動で、封筒の中からお金を抜き取り、それを制服のポケットに突っ込んだ。

 なんとか変な探りを入れられないように、会話を紡ぎ出そうとした。


「あ、は、はい。えっと制服洗濯中なので、もう少し待って……」


 そういいながら優真は振り向いた。


「は――」


 と息を漏らし、優真は呼吸が止まった。


 そこには一糸まとわない裸の響子がいた。

 白くて透き通るような肌に、濡れたままの髪がはりついている。

 長い髪に乳房が隠れ、胸の膨らみが強調されている。


 響子は、丸くてくりくりとした瞳で、優真のことを見つめていた。


「うわあああ! ちょっ!」


 優真は慌てて手で目を隠した。


「あ、あれ! す、すいません! あ、あの! バスタオルと代わりのジャージ用意しておいたはずなんですけど!」


 優真は一気に顔を赤くして、乱れた声を整えようとふんばりながら早口でいった。


 全身から汗が噴き出すのを感じた。

 勿論、じっくりと見たわけではないし、振り向きざまだったが、初めての同年代の女子の裸だった。


「……」


 響子はそんな優真も裸であることも意に介さず、優真のもとに近づいた。


「え……えっと、服、ありましたか?」


 優真は目を隠したままいった。

 響子はそんな優真を近くで見つめた。

 何を考えているのかわからない無表情だった。


 そして、優真を近くのソファーに押し倒した。


「ええ!」


 優真は驚くも、目を隠したまま倒れた。


「な、なんですか! ご、ごめんなさい!」


 響子はそんな優真のうえに跨った。


「ちょっと! え? え!」


 響子は優真を見下ろし、ずりずりと後ずさり、いった。


「シャワーのお礼、してあげる」

「はい?」

「ズボン、脱いで」

「え」

「早く」

「さ、さっきから何をいって――」

「脱ぎ方、知らないの?」


 響子はそういうと、優真の制服のベルトに手をかけた。

 カチャカチャと音を立ててベルトを外し、ズボンのチャックを下げた。


「ちょっと待って――」


 優真は恥ずかしさと緊張と恐怖を振り払うように、かつてないほどの声をあげた。


「やめてください!」


 響子は手を止めた。

 優真は響子の裸を見ないように目を懸命に閉じたままだった。


「嫌なの?」


 響子はいった。


「嫌っていうか、おかしいです!」


 響子は口元にうっすらと笑みを浮かべたように見えた。


「そっか」


 響子は立ち上がり、優真のもとから離れて、脱衣所へと消えていった。


「……矢吹さん?」


 優真は薄目を開け響子がいないことを確認すると、立ち上がってズボンを履きなおした。


「矢吹さん? あ、あの……僕何も見てないので……」


 そんな優真の言葉など聞こえていないかのように、響子の声が返ってきた。


「ちゃんと断れるんだね」

「……え?」

「……じゃあ、そうすればいいのに」

「矢吹さん? 何を……」


 そうすると脱衣所からジャージ姿の響子が現れた。

 濡れた髪を束ねて、うなじが綺麗だった。


 そのまま優真のもとへ息がかかる距離まで近づいて、耳元でいった。


「この借りは返すから。……必ず」

「……」


 優真は何もいえずに立ち尽くした。


 響子は口元だけで笑みを浮かべ、去っていこうとした。


 優真は、洗濯機の止まる音で気を取り戻して、慌てて追いかけた。


「や、矢吹さん!」


 玄関から出たところにいた響子が振り向いた。


「なに?」

「あ、あの! 制服は?」

「もう一着あるし、あげる。そういう趣味があったら使っていいよ。男子ってそういうふうに興奮するんでしょ?」

「! つ、使わないです!」


 響子はにこっと笑うとリズムを刻むように歩きだし、夜の闇のなかへと消えていった。


 優真はそれをずっと見つめ続けていた。


 幻のようだったこの時間を感じ続けていた。

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