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僕は彼女を殺して、彼女になる。  作者: Kfumi
Ⅲ 世界を変えたいか?
21/54

02 亀裂

 響子が聴取を終えて出てくるときから、少し時間は遡る。


 人々に紛れて隠れるように優真は喫茶店の窓際を見つめていた。

 盗聴器のイヤホンから流れてくる響子と警察の女性刑事とのやり取りに集中していた。


「死んで当然の人間だと思います」


 という一言で心臓の鼓動はさらに早くなった。


 どうしてもっと隠すようなことをいえないのか。

 どうしてそんなにも危険な発言をするのか。


 だが、それと同時に響子は逃げたり隠したりするような発言はできないだろうという不思議な納得も生まれていた。


 そのとき、喫茶店の中の男性と目が合った。

 その男性は響子が聴取を受けているテーブルとは別席に座っていたが、彼は優真を見ると何か疑いを向けるかのような眼差しを示した。


 警察だ、と思ってしまった。


 慌てて優真は路地裏の方へと身を隠した。


「あぶない……」


 口に出てしまった。


 不審に思われなかっただろうか。

 知り合いだと疑われたら、さらに響子の怪しさが増すだろう。

 それどころか、優真も共犯だという線も出てくる可能性がある。


 優真は背後の壁に凭れ、大きく深呼吸をした。


 ふと視線の端で人影がチラついた。

 裏通りにはバーや居酒屋など、今の時間では営業していないような店が立ち並んでいる。


 そこにとある女性がいた。

 優真はゆっくりとその人物へと目をやった。


「……母さん?」


 そう呟いた。


 優真の母・夏海が裏通りを歩いていたのである。

 優真は咄嗟に身を隠した。


「何やってるんだ……? こんなところで」


 キョロキョロと辺りを見渡しながら先を歩いていく夏海のあとを追い始めた。


 夏海が居酒屋のようなところでパートをしているというのは、詳しくは話したことはなかったがなんとなく知っていた。

 だが、だとしてもこの昼の時間から出勤というのはおかしい。

 それに今日は出勤日だとは聞いていない。


 優真は既に響子から渡された盗聴イヤホンへの集中は切れていた。


 その代わり、夏海の秘密を覗くような子供じみた好奇心を抱いていた。


 夏海は壊れた街灯の下で足を止め、辺りを見渡し始めた。

 携帯を覗き、ひとつ息を吐く。

 そのとき、夏海のもとに誰かが駆け寄ってきた。


「!」


 優真の身体に衝撃がはしった。


 それは若い、おそらく20代くらいの男だった。

 夏海が楽しげに笑う。

 すると男性も笑った。


 そして、腕を組み夏海と男性は歩き始めた。

 そこには夏海の母の顔はなかった。


 別におかしなことではない。


 夫はいないし、不倫でもない。


 ダメなことなどひとつもない。


 だが、母としてではなく女の仮面をつけた夏海に優真は嫌悪感を覚えてしまった。


 それに相手が若い男で、なんというかチャラチャラしている見た目である。

 遠くからでもわかるほど、下品な風貌と雰囲気。


 優真はふと遠藤たちのことを思い出してしまった。


 あの男は奴らに似ている。

 高校で自分を虐げていた奴らに。


 歩き始めた夏海と男の背後を気づかれないように優真は追った。


 心で何か秒針のようなものが動いた気がした。


「アイツらに似ている」


 声にしてしまったことに自分では気づかなかった。


 優真は男と母の背中を睨みつけた。



 その足取りはホテルへ向かっているのだと気づいた。


 安いラブホテルの立ち並ぶ通りをコソコソと歩く優真は滑稽だったかもしれないが、それどころではなかった。


 この時間は人通りが少なかったことが救いだったかもしれない。


 男は夏海の肩へと腕を回して、2人の距離感が縮まるのがわかった。


 優真の中に湧き出た激しい嫌悪感と説明しようのない気持ち悪さはドクドクと増していった。

 怒りとも違うやるせなさのような感情に息が乱れた。


 そのとき、楽しげな夏海から視線を外して、男がチラッとこちらを振り向いた。


 「やばい」と優真は一瞬で角に隠れた。


 しかし、確かに目が合ってしまった。

 それは蛇のような目だった。


 隠れた優真は地面に無造作に置かれていたビール瓶を蹴ってしまった。

 ガランと音が鳴った。

 心臓の鼓動が大きく早まった。


「夏海さん、ちょっと待ってて」

「え? どうしたの?」


 その掛け合いの後に、誰かが駆け寄って来る足音が聞こえた。


 優真の息遣いが荒くなる。


 ここは行き止まりだ。

 逃げられない。


 ふと行き止まりの先を見ると、人が一人通ることができそうな隙間を見つけた。


 慌ててそこへ身体を入れ込む。


 ザザッと足音が確実にこちらへと近づく。


 優真は隙間の先を見た。


 明るい。どうやら大通りへと出られそうだ。


 このまま人混みに紛れて立ち去ろう。


 身体を壁に擦り、歩き始めた瞬間だった。


「何してんだ? てめえ」


 背中を激しく掴まれ、そのまま地面へと叩きつけられた。


「!」


 男が優真を見下ろす。

 まるでゴミでも見るかのような目で。


 優真は慌てて立ち上がり、走り出そうとした。

 しかし、男は優真の襟足を掴んで拘束した。


 喉が一瞬で締め付けられる。

 男は優真の頬を殴り飛ばした。


「てめえだよな。さっきから俺たちをつけてやがったのは?」

「……ぼ、ぼくは」

「なんだ高校生か? 何が目的だ?」

「……」

「おい、何か喋れ。殴られてーのか?」


 男が顔を優真へと近づけ、啖呵を切った。


 そのとき、


「滝野君? どうかしたの?」


 と、背後から夏海の声がした。


 滝野と呼ばれた男は一瞬で優しげな微笑みへと変貌して、夏海を見つめた。


「いや、なんでもない。教育のなってない子供を叱ってたところさ」

「!」


 不安そうな夏海の表情は優真を見たことで、さらに絶望へと変わった。

 優真はゆっくりと夏海のほうを振り向き、冷たい視線をさした。


「……」


 夏海は何も声を発しなかった。


 優真は視線を地面へと落として、立ち上がり走り出した。


 背後で滝野の声が聞こえたが、振り切るように走った。


 夏海の声は最後まで聞こえなかった。


 でも、あの絶望に満ちた表情は、最後まで優真の心にしがみついて離れなかった。



 気が付いたら元のいた場所まで戻って来ていた。


 そういえば響子と警察とのやり取りのことなど、すっかり頭にはなかった。


 最早どうでもいいほど、それどころではなかった。


 ふと前方にキョロキョロと、おそらく優真を探しているのであろう、響子の姿が目に入った。


 響子は優真を見つけると、嬉しそうな笑みを浮かべて近づいてきた。


「優真、どこ行ってたの?」

「……」

「大丈夫?」


 響子は優真の腕を触ろうとしてきたが、それを振り払った。


「……触るな」

「どうしたの? 何かあった?」

「……」


 優真は響子に身体をぶつけるようにして、その場から立ち去った。

 響子はその背中を見つめ続けていた。



×   ×   ×



 『夜憩』というのが夏海の働いているバーの名前である。


 滝野は時折ここを訪れては夏海との時間を過ごしている。

 最初はただの客だった。


 滝野はフリーターで、ここの近くのホテルで働いているらしい。

 だから、その仕事終わりによく訪れるのだと語られた。


 それからよく顔を合わせるようになり、あるときから滝野の特別な視線に気づき始めたのだった。

 今日もそうだった。


「夏海さん、綺麗だ」


 と夏海の手に自らの手を重ねた。

 その気にさせる台詞を吐き、夏海を紅潮させる。


「止して。私なんてもうおばさんよ」

「そんなことないよ。……夏海さんは今まで見たどの女性よりも完璧で。こんな俺にも優しくしてくれる」


 夏海は自分を見つめてくる滝野から視線を外した。


 恥ずかしすぎて見つめていられなかった。

 こんな気持ちになったのは何年ぶりだろうか。


 優真が生まれてから自分よりも何よりも優真を優先させた生活だった。

 だから、それはすっかり忘れてしまっていた気持ちだった。


 今日のことを何といって優真に詫びればいいのだろう。


 でも、自分はダメなことをしているわけではない。

 いくら息子であろうと、もうこれからは自分の人生だ。


 誰にも止める権利なんてない。


 滝野の瞳を見つめているだけで、不思議と自信が溢れてきた。


 嫌な事、煩わしい事なんて、忘れることができた。

 ふと夏海は滝野の表情が浮かないことに気づいた。


 確かに見た目は清潔とは言い難いが、普段から紳士的な彼は明るくて悩み事がある素振りなど見せたことはなかった。

 だから、余計に気になった。


「滝野君? 何かあったの?」

「え? ……あ、ああ。実はね、……いやダメだ。こんなこと相談できるわけない」

「なに? 私でできることなら、なんでも力になるから。だから遠慮せずにいって?」


 滝野は夏海から手を離した。

 真剣な表情がどんどん曇っていき、視線を落とした。


「お金が……必要なんだ」

「え」

「弟が……車で事故を起こしてしまって……。その慰謝料とか相手の医療費とか払わなくといけなくなって。助けたくても、俺のバイト代だけじゃ全然足りなくて」

「……」

「凄く困ってて。今してる仕事も辞めさせられて。でも、大切な弟なんだ。絶対助けたいんだ……だから」

「滝野君」


 滝野は顔をあげた。


「いくら必要なの?」

「……30万」


 夏海は口を引いた。

 滝野はハッとして立ち上がった。


「ごめん、こんなこと! 俺、最低だ!」


 立ち去ろうとした滝野の背に夏海は声をかけた。


「待って」

「……」


 ゆっくりと滝野は振り返った。


 夏海は少し悩みながらも覚悟を決めたように、バーのレジからお金を取った。

 震える手でお札を数え、そして滝野に渡した。


「少し足りないかもしれないけど……これでよかったら使って」

「え! で、でも……それって店のお金じゃ――」

「大丈夫。私が後から足しておくから。それに……絶対返してくれるって信じてるから」


 夏海は必死な笑みを浮かべた。

 滝野は目を潤ませてお金を受け取った。


 夏海の手を握り、


「夏海さん。ありがとう」


 と瞳を見つめていった。


 頷く夏海をもう一度見つめて、滝野はその場をあとにした。

 彼と共に過ごすだけで、まるで青春の高鳴りが戻ってきたみたいだった。


「ゲホッ……!」


 そのとき、咳が出た。

 苦しく咳は止まらなかった。

 ヨタヨタと壁に凭れながら、夏海はトイレへと駆け込んだ。


 だから、最後にもう一度だけ、女として生きたくなった。



 暗い路地裏で一台の車が止まっていた。


 中から声が聞こえてくる。

 ひとつの声は滝野のようだ。


「ほれ。20万分くれ」

「おいおい。どこで手に入れた?」

「簡単簡単。若いのは身体がいいけどよ。貢がせるだけなら、色恋沙汰外れたババアが狙い目ってわけ」

「へー。なかなか酷いことするねえ。ククク」

「それより早く。ケーキ」

「ん? ああ、ほれ。……新しい顧客層も開拓してくれよ」

「開拓つってもなあ。もうここらへんの高校生には近づいたしなあ」

「アイツは? なんつったっけ? 矢吹響子? 身体売ったり、転売したりで、稼いでんだろ? 高く売っちまえばいいじゃねえか」

「響子はダメだ。薬やんねえから……それに」

「それに? なんだよ?」

「アイツを壊すのは薬じゃなくて、俺だ」

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