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     四


 翌日――。

 よく晴れた朝だった。普段だったら昼頃まで寝ているけれど、今日はそういうわけにはいかない。何しろ、卓也の試合を観に行かなければならない。霧島さんがいるけれど、思えば、学校の友達とどこか行くなんて、中学になってからは初めてかもしれない。

 朝食ではトーストとヨーグルトを食べ、母親に卓也の試合を観に行ってくると告げて家を出た。

 十時四十分。待ち合わせの五分前。僕が校門前に行くと、私服姿の少女が一人立っていた。遠目からではよくわからなかったけれど、近くまで行くとそれが霧島さんであるとわかった。なんというかおしゃれな格好をしている。チェック柄のシャツのようなワンピースに足のラインがくっきり出るようなスリムなパンツ。それに小さなショルダーバッグを下げている。学校で見る雰囲気とは全く違う。

 霧島さんは僕の姿に気づいたようだ。すると、あからさまに不満そうな顔をする。

「ちょっと、猫屋敷君どういうこと」

「え、何が?」

「何がって女子を待たせるなんてサイテーよ」

「でも、待ち合わせ時間の前だよ」

「三十分前には来なさいよ。十五分も前から来ているあたしがバカみたいじゃない」

「え、そんな前から来てたの。やる気はいってんなぁ」

「それにその恰好はなに?」

 僕の格好は、ゆったりしたパーカーにジーンズだ。チビでデブの僕は、そもそも既成の服で合うサイズがほとんどない。だから、極稀にあった服をずっと着続けている。

「恰好、変かな」

「垢ぬけないわね。もっとかっこいい服持ってないの」

「持ってないよ。僕はデブだし、おしゃれしても意味ないよ」

「それは間違いよ。いくら太っていても、おしゃれをする気持ちは大切だと思う。だって、これって、そ、その、デ、デートみたいなものじゃない」

「へ? デート。そうなの」

 僕が繰り返すと、霧島さんは拗ねたように告げた。

「もういいわ。とにかくおしゃれにも気を使ってよね。それじゃ試合を観ましょうか」

「う、うん」

 グラウンドに行くと、両校のチームが準備運動をしていた。試合前の独特の緊張感が漂っている。そう言えば、卓也の試合を観に来るのは何カ月ぶりだろう。もしかすると、一年以上観ていないかもしれない。中学に上がってからも、何度か足を運んだけれど、最近はめっきり観なくなった。

 あんまりグラウンドの近くにいると、邪魔になりそうだったから僕と霧島さんは、グラウンドから少し離れたところから観戦するようにした。幸い、遮蔽物はないからすっきりとグラウンドを見渡せる。

 午前十一時。

 両チームのスターティングメンバーがグラウンドに並び、いよいよ試合開始だ。

 レフリーの笛の音と共に、キックオフ。どうやら、僕らの中学校のキックオフで始まるらしい。

 中学生のサッカーの試合だけど、侮ってはいけない。皆、日々練習しているから素晴らしいプレーがたくさん出る。自分の同級生たちが頑張っている姿を観るのは、どこか誇らしい気分になる。

「ねぇ。猫屋敷君、根本君はどこ?」

「えっと、宮中(※優希の中学校)は青いユニフォームだよ」

「それはわかるわ。背番号何番? なんか混乱するわね」

「背番号は十四番。ほら、今ボール持った」

「え、どこどこ、ふーん。足速いのね。ドリブルっていうんだっけ、すごい上手」

「当たり前だよ。タクは小学生のころからサッカーをしているんだ。それに二年生なのにレギュラーなんだよ」

「ふ~ん。根本君のポジションは?」

「確かミッドフィルダーだと思うけど」

「みっどふぃるだーって何? バンドの名前?」

 この人は、時折ボケなのかマジなのかわからない発言をする。卓也が好きで興味があるなら、最低限度のサッカーの知識くらい頭に入れてほしい。とはいうものの、僕もそれほどサッカーに詳しいわけじゃない。たまに観る日本代表戦以外は、ほとんどサッカー観ないから、それほど、知識があるわけじゃない。

「ミッドフィルダーは中盤の選手だよ。サッカーの重要なポジションだと思う」

「重要じゃないポジションなんてあるの?」

「わかんないけど、とにかく真ん中の選手だよ」

 試合は進む。宮中と相手中学の実力は拮抗しているようで、なかなか得点は生まれない。宮中がホームだけあってやや有利に試合を進めているのはわかる。試合開始から二十分、最初のチャンスが生まれる。宮中のコーナーキックで、いいボールが上がってくる。背の高い卓也がヘディングシュートを放つ。

 相手キーパーの脇を抜け、ゴールかと思ったが、残念ながらゴールポストに直撃し、それをディフェンダーがクリアした。ゴールならず。

「あぁ。惜しかったなぁ。もうちょっとだったのに」

 僕がやや興奮しながらそう言うと、霧島さんは面白そうに笑った。

「意外。今の猫屋敷君」

「え? 何か変だった」

「ううん。ただ、学校で見る雰囲気じゃなかったから。なんていうのかな、猫屋敷君で何事にも興味がないって感じなんだもん」

 それは大いなる誤解だ。

 僕は確かに浮き沈みのない人生を送っているが、決して何にも興味を示さないロボットのような人間ではない。自分の学校が攻め込んでいれば、それなりに興奮するのだ。

「霧島さん。僕を何だと思っているのさ。僕は普通だよ」

「そう思っているのは、自分だけかもよ。猫屋敷君は普通とは違う気がする」

「そうかな」

「うん。だって魔法少女梨々花を文句言わずに読んでくれたし」

「あぁ。そう言えば一巻は読んだよ。なかなか面白かった。今、二巻の最初かな」

「じゃあ、悪の帝王ハザードとの最初の戦闘は読んだわけね」

「うん。あそこはなかなか興奮するよね」

「わかってるじゃない。あれは一巻の中で屈指の名シーン。アニメでも人気なのよ」

「そうなんだ。アニメと小説じゃ大分雰囲気が違うだろうけれど」

「そんなことないわ。ちゃんと小説の世界観を壊さずにアニメは作られている。東京アニメっていう有名なアニメ会社が作ってるんだから」

「あ、そう。アニメ会社まで知ってるなんてほんとすごいよ」

「ほら、そういうところ……」

 不意に、霧島さんが言った。試合は淡々と進んでいるが、僕らは試合そっちのけで魔法少女梨々花の話をしている。

「そういうところってどういう意味?」

 僕は気になって尋ねる。霧島さんは、僕から視線を外すと、ゆっくりとサッカーの試合に目を向けた。

「普通さ、コアなアニメの話しをすると引くっていうか、びっくりするでしょ。そういう反応が猫屋敷君にはない。あくまで純粋というか、自然体なのよ」

「そうかな。あんまり意識ないけれど」

「だから、あたしは猫屋敷君と話せるのかもしれない」

 僕と話しても仕方がない。

 霧島さんの目標は卓也と付き合うことだ。僕と話すのが目的じゃない。だから、このままでは距離は縮まらない。だけど、チャンスはあるのだ。この試合に誘ったのは卓也だ。卓也は霧島さんを認めつつある。卓也は優しいから、霧島さんと仲良くなるきっかけとして、この試合に呼んだのだろう。

 なら、このチャンスを生かさなければならない。絶対的なチャンスなのだから。

 霧島さんの弱点は、卓也の前に立つとまるで話せなくなってしまうことだろう。これではダメだ。確か、霧島さんは男子と話すのが苦手だと言っていた。だけど、僕とこうして話せるのなら、何かきっかけがあれば話せるはずなのだ。自分で勝手に話せないと壁を作っているに違いない。その壁さえ取り除ければいいんだけれど。

 前半が終了する。〇対〇。卓也のヘディング以降、チャンスは訪れなかった。僕は試合を観ながら考えていた。霧島さんが卓也と話すためには、やはり、共通の話題を考える必要がある。一番は今日の試合について話せばいいはずだ。卓也だって、試合の話をされれば嬉しいだろう。

 問題は霧島さんがその話をできるかだけど、たぶん大丈夫だろう。試合の話をすればいいだけだ。そんなに難しくはない。

 後半が始まる。相手チームのキックオフ。開始五分でチャンスはやってくる。前方でパスを受けた卓也がそのままシュート。それは見事にゴールネットに突き刺さった。

「やった、入った!」

 僕は喜ぶ。だけど、その瞬間、審判が笛を吹いた。よく見ると線審の旗が上がっている。どうやらオフサイドだったらしい。

「なんで? 今のはゴールじゃないの?」

 霧島さんは不満そうだった。ミッドフィルダーを知らないくらいだから、当然オフサイドだって知らないだろう。

「うん。オフサイドだったらしい」

「たまに聞くけどさ、オフサイドって何?」

「僕も詳しくはないんだけど、相手のディフェンダーより、前にいちゃいけないんだ。これを許すと、ゴール前でフォワードが待ち伏せできるようになるから、それを防ぐためにあるんだと思う」

「なんか複雑ね。わかりにくい」

 そうだ。……僕は閃く。

「霧島さん。思いついたよ。それを聞けばいい。卓也にオフサイドを聞くんだ。そうすれば会話のきっかけになるよ」

「根本君に? でもオフサイドなんてサッカーじゃ当たり前のルールなんじゃないの。それを聞いたら、なんか変じゃないかな?」

「変なもんか。例えば、霧島さんに魔法少女梨々花の当たり前の質問をしたとしよう。そうしたらどう思う。答えてあげたいって思うんじゃないの」

「そ、そりゃまぁ思うかな。興味を持ってもらったのは嬉しいし」

「でしょ。ならオフサイドを聞く。これが一番さ」

 我ながら、素晴らしい提案であると思う。卓也だってサッカーについて聞かれれば嬉しいはずだ。それも、今日の試合を観てオフサイドを知ったとなれば、試合をしっかりと観ていた印象もつけられるし一石二鳥だ。

「う、上手くいくかな……」

 霧島さんは不安そうに尋ねてきた。

 何かをする時、不安になるのは当たり前だ。だけど、その不安を乗り越えなければゴールにはたどり着けない。これはチャンスであるのと同時に、霧島さんの試練でもある。この試練を潜り抜ければ、きっと幸せなゴールが待っているはずなんだ。

「大丈夫だ。僕も協力するから、やってみようよ」

「う、うん。わかった」

 結局、サッカーの試合はスコアレスドローであった。

 あのオフサイドが非常に悔やまれる試合だった。サッカー部は試合の後にミーティングをするらしいから、卓也と一緒には帰れない。今日は解散かな。僕はそう思っていた。けれど、霧島さんはそうは考えていなかった。

「じゃあ、月曜日オフサイドの話をしよう。それじゃ」

 学校の校門前まで二人で歩き、僕は別れようとした。すると、不意に霧島さんにパーカーの裾を掴まれた。

「ちょ、ちょっと待ってよ。どこへ行くつもり」

「どこって、帰るんだよ。試合は観たし、今後の方針は決まったじゃないか。万々歳だよ」

「帰るってまだ昼よ。折角会ったんだから、もう少し付き合いなさいよ」

「付き合うって言っても何するのさ」

「それくらい男だったら自分で考えてよ」

 ツンとそっぽを向く霧島さん。何をするって言っても、まったく考えが思いつかない。ちょうど時刻は十二時を過ぎている。となると、食事か。あんまりお金は持っていないけれど、ファストフードくらいなら食べられるかもしれない。

「うんと、じゃあハンバーガーでも食べる?」

 僕はおずおずと提案する。なんでだろう、急に緊張してきた。

「は、ハンバーガー、もっといい店知らないの?」

「知らないよ。だって中学生だし。それに僕はあんまり外食しないんだよ」

「まぁいいわ。じゃあハンバーガーを食べましょう」

 結局、僕らは近くのファストフード店へ向かい、そこでハンバーガーを食べることになった。

 土曜日の昼だけあって、店内は混んでいた。なんとか空いている席を取り、ハンバーガーを注文する。僕はデブだけどハンバーガーはそれほど好んで食べない。僕がデブになった原因は主に炭水化物だろう。油物というよりも、ご飯、麺、パン、とにかく糖質を含んだものが好きだ。だから、中学二年生で七十㎏を超えてしまったのだ。

 ハンバーガーは確かに安い。百円程度で買えるから、今の僕の手持ちでもなんとか買える。ハンバーガーとポテトのセットを頼み、僕らは席に座る。店内は、僕らと同じような若い客で溢れている。

「猫屋敷君、それで足りるの?」

 僕が頼んだのは、いわゆる一番小さいセットメニュー。あんまりお金を持っていないから文句は言えない。

「うん。大丈夫だよ。これ以上デブになったら困るしね」

 僕は皮肉っぽく言う。確かにこれ以上太ったら問題がある。

 ハンバーガーを一口齧る。久しぶりに食べたけれど、やっぱりハンバーガーは美味しい。どうしてこんなにジャンクな食べ物がおいしく感じられるんだろう。

 はぁ、でもどうしたんだろう。なんというか空気が耐えられない。

 と、とにかく何か話さないと。これじゃまるでお通夜だ。

 周りの喧騒が凄まじいから、逆に僕らの間に流れる沈黙が痛く感じられる。

「あ、あのさ。霧島さんは普段、休みの日何をしてるの?」

 霧島さんはポテトを食べながら、質問に答えた。

「休みの日? まぁ大体家にいるかな。たまった小説を読んだり、あとはアニメを観たり、自由に過ごしているけれど、猫屋敷君は違うの?」

「まぁ僕も大体同じようなものかな。昼まで寝てるけれど」

「友達と遊んだりしないの?」

 友達か……。

 僕には卓也がいるけれど、卓也は部活で忙しい。小学生のころのように一緒には遊べない。

「ほとんど遊ばないかな」

「そっか、なら、あたしと同じね。なんか似ているね、あたしたち」

 似ている。そう言うと、霧島さんはニコッと微笑んだ。その笑顔は、今まで見てきた霧島さんの中で最高の表情をしていた。

 ドクン――。

 笑顔を見て、僕の心臓は高鳴る。ドキドキしてしまう。

 懸命になって話題を探した。

「う、うん。でも、霧島さん、文芸部には他にも部員がいるよね。確か佐伯さんと、杉並さん。この二人とはどういう関係なの?」

「心と未海とは幼稚園のころからの友達なの。でもね、二人とも、それぞれ好きなことがあって、それに一所懸命になってる。心ならバスケだし、未海は演劇しているし。だから、休みの日はほとんど一緒にならないから。クラスメイトとは学校で話すくらいで、一緒には遊ばないし。何より、あたしがアニオタだって知ったら引くと思うし」

「佐伯さんと杉並さんは、霧島さんがアニメ好きだって知っているの?」

「うん。二人は知っている。認めてくれているし」

「じゃあいいじゃないか。一緒に遊ぶだけが友達じゃないと思うし。困った時に助けてくれるのが本当の友達だよ」

「そうね。そうかもしれない。心も未海も部活が忙しいのに文芸部に入ってくれたし。感謝しないとね」

「う、うん」

 会話が途切れる。

 何か話さないと思っているんだけど、何を話していいのかわからなくなる。ここで、僕は気づく。異性と話すっていうのは、意外と大変なんだ。特に自分の好きな人と話すのは大変だろう。霧島さんが話せなくなってしまうのも仕方のないことなのかもしれない。

「猫屋敷君。あたしといて楽しい?」

 不意に、霧島さんが尋ねてくる。

 楽しいのか? 楽しくないわけじゃない。ただ、緊張してしまうのだ。だからこそ、返答が一瞬遅れた。この遅れが致命的であった。

「……楽しいけど」

「ありがとう。猫屋敷君。あたし行くね。今日は付き合ってくれてありがとう」

 霧島さんは行ってしまう。追わなきゃ。そう思うけれど、追ってどうする。何を話すんだ。緊張から解放されて、少し喜んでいる自分がいるのも事実なのだ。

 僕は霧島さんを追えなかった。

 今日を境に僕は霧島さんを意識するようになる。

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