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等号前夜  作者: おめかけ
13/15

第五夜 愛の演劇③

 殺してくれ、と父は言った。ほとんどかすれ声の、哀れな言葉だった。この男の口にする台詞といえば所詮この程度のものだ。

 お久しぶりでございます。口にして姫はじっと父を見下ろした。かつては山のように大きく感じた筈の父の背丈は今ではしかし随分と頼りない。逞しい胸板もすっかり萎み、かつては勇ましく剣を振り回した腕も痩せこけ骨ばんでいる。父の肌は石膏じみて白く、せわしなく掻き毟るたびにぽろぽろと剥がれて落ちる。石化した蜥蜴のように、枯れゆく白樺のように、あるいは凍りついた亡者のように──惨めったらしく泣き言を口にして死を懇願する。

「殺してくれ」

「いいえ父上。生きることは尊いことです」

「殺してくれ」

「いいえ父上。愛し愛されるあなたは死ぬべきではありません。母上は今もあなたに焦れています」

 母の名を口にすると父は目に見えて脅え、卑屈に背を曲げる。

「あ、い……。愛、愛、愛……。私が一番恐れるものはそれだ。愛! 愛の名のもとに千年を生きて、また来る明日を、私は……」

「あなたの身に降りかかる災厄の名は、時間というものですか。千年という時の中で、愛を忘れてしまったのですか」

「ああ忘れてしまった。……いや私は忘れることができなかったのだ。千年の間何かを忘れずに生きたとしても、それは時が流れていないのと同じことではないか? 時の止まったこの場所で私は生きるでもなく死ぬでもなく、ただ彼女の愛に生き長らえるばかりだ。忘れないということはそれほど大切なことなのか……?」

「千年生きて千の男を愛するよりも、千に一つの恋煩いに溺れ続ける方がずっと美しいとはお思いになりはしませんか」

「姫よ。娘であるお前が盲目になるのも無理はない。しかし彼女は魔女だ。彼女の愛は狂っている」

 姫は爽やかな笑い声をあげる。

「私たちはやはり親子なのですね父上」

 ひとしきり楽しげに笑って姫は目尻に涙を浮かべ、それからしんみりとした声でぽつりと言う。

「私もあなたと同感です。ただ一つ違いをあげるとするならば、それはそれから先の話になります」

「それから先?」

「ええ、父上。狂気の先はどうするのか、という話です。母が狂っているとして、それからあなたはどうするのですか?」

「知っているだろう。私は死のうとした」

 自嘲して父は視線を落とす。

「だが死ねなかった。束の間死んで、気が付くと彼女が心配そうに私を見下ろしている。私は蘇っている……」

「それであなたはどうしたのですか」

「それで? お前も知っている通り首を括り、腕を切り首を切り、酸の中に身を投じた。時には獣の牙に自ら踏み入り、焼け付く窯に三日三晩籠りさえした。それ以上の何があるというのだ」

「もしこの世にそれ以上のものがあるとするなら、それこそを愛と呼べばいい。あなたは千年続く狂える恋すら受け入れて彼女を愛し抜くか、さもなければ彼女が絶望して死を望むまで憎みぬき千年千度の殺意を向けてあの首を縊り続ければよろしかったのです。千年も生きておいて苦しいなどとめめしく恨み言ばかりこぼしているくらいなら……」

「私はそこまで強くはなれない……人間なのだ、私は!」

「弱音を吐くことが人間の証明だとでも考えているのなら、それは間違いです、父上」

 姫は厳しい目で父を見据える。

「責めるようなことばかり言って申し訳ありません。けれど今日、私はお別れを言いに参ったのです。今生の別れとなるでしょう。私を産んでくださってありがとうございます」

 ちちうえ、と僅かに舌足らずな口調で姫は囁き、次の瞬間剣を抜いたかと思えばついと無造作に振るう。さようなら、と女の声が静かに響き、男の首がどさりと音を立てて床に転がった。



 姫は涙を流さない。流した涙がいつかは乾き、素知らぬ顔で目覚める日が来ることを知っているからだ。泣かぬ姫は玉座に座り、頬杖をついてそっと息をつく。長い長い時の流れに倦み果てたため息は喉を柔らかに焦がしていく。

 さみしい、と姫は独り言をいう。それから甲高い笑い声をあげ、馬鹿馬鹿しそうに唇を曲げる。さみしい、さみしい、さみしい。そんな風に孤独を囁き何度となく自嘲して、どうにもならぬ我が身の悠久を噛みしめる。

 とその時、灯かりの落ちた昏い室内に誰かの声が響き渡った。

「だったら幸せになればいい」

 視線を上げれば二号がこちらを淡々と見つめている。

「あなたは幸せになるべきだ」

「幸せになるのはお前の方だ二号。私はお前のことが嫌いだが、それでもお前は幸せになるべきなのだろう。さっさと人間にでもなってどこへなりと行ってしまえ」

「私はあなたのことを愛しています」

「それがお前の言葉か二号。団長の口説き文句はもっと魅力的だったぞ」

「あなたが好きです。私にはあなたが必要なのです。だから死なないでください」

「言葉だけではな……。お前の語る愛に救われるほど私の千年は軽くない。私を変えたいというのなら言葉を超えて語れ。言葉以上の……形以上の……」

 姫は瞳を彷徨わせ、探し求めるように口をつぐむ。二号は右眼を蠢かせ、ぶるりと体を揺すり、──そして少女へと姿を変える。幼い少女のいとけない唇で物語を紡ぎ、過去をこの夜に産み落とそうとする。

 ──なりたいの、と少女は言った。

 それを見て姫は穏やかに微笑み、立ち上がって少女に手を伸ばす。

「さぁ、芝居を始めよう。これが最後の幕だ。演じるのは永遠嬢の物語。千年生きて千年一人の魔女物語をこの一夜で終わらせよう」

 姫は少女へと姿を変える。その少女の姿は──。





 それは夕闇の王宮の、人気のない一室でひっそりと幕開く、時間と乙女の演劇。二人で演じる一人芝居。

 少女の唇は桜貝に似てぷっくらと膨れた薄桃色の肉。百年経ち千年経とうとも褪せることなき永遠の乙女の色を持ち、口蓋を震わせて空間に柔らかに響く声色は舌足らずながら鈴鳴るように凛と張る。

 少女がいる。

 その瞳は海底に沈む玉石の秘める静けさと深さを湛え、墨を流し込んだような黒瞳は無邪気な愚かさと永遠を生きる知恵とを同時に孕んでいる。

 もう一人の少女がいる。

 少女と少女は手に手を取り合いくるくると回転し、胸を合わせ足を絡ませ遊戯のように踊り淫らに踊り唇を合わせてそっと吐息を交換する。

 少女がいる。もう一人の少女がいる。互い違いに別々の場所にいて別の命の筈なのに、けれども二人は同じ姿同じ形をして二人で一人、謎かけ踊りに足を踏み出す。

 むかしこんな少女がいた。こんな顔をして、こんな姿をしていた。そんな過去の少女が現在に再現され影を持つ。

 なりたいの、と少女は言う。

「生きていると誰もが思う。自分以外の誰かになりたい。もっと素敵で美しい自分に。誰もが愛する理想の自分に。夜ごと人は夢を見て、夢の中で繰り広げられる物語の中にまだ見ぬ私を見つけてはそっとため息をついて、このままでは嫌だ、今の自分が好きになれないと涙を流す。そうして人は時には呻くようになりたいなりたいと囁いて空を見上げるのかもしれない。なりたい。なりたい、と思ったの。私は。だから……」

 口籠った少女の代わりにもう一人の少女が言葉の穂を接いで語りだす。

「千年を生きて私はきっと『なれた』のかもしれない。何故って私にはその力がある。私は以前よりも不幸を感じることが少なくなった。私はきっと幸せで、きっと『なれた』のだろう。けれどだとしたら」

 俯いていた少女は顔をあげ、問いかけるように少女を見つめる。少女は少女の瞳の中に自分自身の姿を見、ええ、そうねと頷いて口を開く。

「だとしたら私は一体何になったのだろう」

 は、と息をつき、少女と少女は交互に語る。

「何かになったというのなら、なった私は一体なあに」「何かになった私の形は、言葉で言えば一体なあに」「私を指してこうだと言えばその言葉は私だけれど、私は私の呼び名を知らない。私と等しい記号を知らない」「私はきっと何かになれる。AをBにしてBをCにするように」「等価を=で繋いでゆくなら初めの私をIとして。誰かに愛されて生まれたのならIという定義に私を置いて」「違う人間になってみよう」「I=Jとして、J=Kとして」「千年」「時の流れを生きてみて、Jという名の狼女、Kという名の邪眼の魔女、あまたの人が私になって」「私は自分自身を変えていく」「アイからアイへ」「私からあなたへ」

 そしてぽつりと少女は言う。

 

 ──私は私以外の何かになれる。私以外を私にできる。


「それが母がくれた唯一の謎々だった……」「なぞなぞ?」「そうだ。これは謎々だった。何故と言って……」

 口ごもる少女を見やって少女は首を傾げ、それから、そうか、と言って頷く。少女には少女のことがわかってしまう。

「私は私以外の何かになれる。私以外を私にできる。……けれど、けして私を私にすることはできない。この魔法には自我同一性が欠けている……」

 少女はもう一人の少女に儚い視線を向け、そうだよ、と慰めるように囁く。

「始まりは確かに私だったはずなのに、生きている内に私は私を忘れてしまう。自分自身を捨てて別の誰かになる度、捨てた自分が別の誰かになっていく。今はもう始まりを思い出せない」

「なりたいと思ったの。私は。だからずっと考えていたの。何かが違うって。千年の前の私も今も、何一つ変わらずに考え続けているの。幸福とは一体何だろうって……」

 苦悩に頭を振って少女は喘ぐ。まるでお芝居のように大げさな仕草で自らの哀しみを表現する。もう一人の少女は冷たい目でそれを観察し、やがて口を開き「〝彼女〟の話をしよう」と提案する。

「彼女の話をしよう。彼女は魔女だった。邪悪だった。死んだ人間を生き返らせては弄び、たくさんの人間を殺した。なぜそんなことをしたのだろう。孤独であることが魔法なら、その魔法で生きている限り彼女はずっと孤独なのかもしれない。物語の中で彼女は魔女で、多くの人々は彼女を憎み蔑んでいる。けれど彼女のことを想うと私の中で何かが燃える。胸を掻き毟り掴み出し、月光に捧げてしまいたくなる。なぜだろう。私は彼女のことを実際どう思っていたのだろう。わからない。わからない。わからない……。彼女は私を認めてくれた。必要としてくれた。私の頭を撫で、抱きしめてくれた。そこには何の打算もなかった。生きていてもいいと言われたような気がした。愛していると言ってくれた。思い出すと体が震える。抑えようのない衝動に駆られて、わけもなく叫びだしたくなる。私は……この感覚をどうにかしたいのかもしれない。この気持ち、この思いを、彼女の与えてくれたものを返したい。彼女の思いに報いたい!」

「報いあれ、と誰かが言った。邪悪な魔女は死ぬべきで、その罪には罰が与えられるべきだと。報いあれ、報いあれ。物語を読みとく者は誰もが願う。死体を操るのも、人を食うのも、人の孤独を暴くのもみんなそうだ。魔女はみな死ねばいい。そうなるのが当然だ。魔女を知る私だって、彼女たちが正しかったとはとても言えない。死ぬべきか生きるべきか、論じるのなら魔女はきっと死ぬべきだろう」

「私とあなたと彼女と…言葉が今ここにある」「借り物の言葉だ。自分自身の言葉じゃあない」「いいや違う! 自分の言葉などというものはこの世にはない。人はみな周囲の言語を真似て言葉を学ぶ。そこに創造というものはない。言葉は口にした時からすでに借り物だ」「他者を模倣ししただけのまやかしの言葉で何になる」「まやかしなんかじゃない。こうして彼女を想うなら、たとえ借り物であったとしても、それは受け継がれる言葉だ」

 少女は息を吸う。

「言葉がある。言葉がある。“私一人なの、でも一人で、ずっと一人だったら、自分がなんなのかわからなくなっちゃう”……」「孤軽はこの世界を美しいと言った。本当にそうか? 私にはわからない」「“寂しさを捨てて生きる人のところへお行き”〟「私はこの世界を美しいとはけして思わない。けれど、だとしたら私はどうやって生きていけばいい。彼女が愛したこの世界を醜いと言い、否定し、蔑んで……そうして私は……わからない。何一つ私にはわからない。孤軽。お前はこの世界を美しいと言う」「“好きなことをひとつふたつと数え上げていくのなら、確かに私が好きなことは少ないと言えるのかもしれません”」「友達だと思っていたのに、死ぬ前に別れの言葉すら言ってくれなかった!」「“また来る明日を、あなたは美しいと思いますか”」「今更だ。なにもかも。千年生きた所でこんなものだ。友人をつくることすら思い通りにできない。また一人になった! あとに残ったのはぽんこつの人形だけだ」

 

──言葉は、いつも届かない。


「言葉はいつも届かない」「人は何もわかりあえない」「言葉を投げかけたところで、口から離れた途端にそれは嘘になってしまう」「嘘になって、物語になってしまう」「この世に真実は残らない」「残るのは物語だけだ」「どんな言葉を残しても人はいつか死んでいく」「愛していると言って抱きしめても」「その孤独を救おうとしても」「大切な人は見る見るうちにいなくなっていく」「言葉はいつも届かない」「言葉は私を示してはくれない」

 途方に暮れた様子で少女はぽつりとつぶやく。私は一体何なのだろう。もう一人の少女が呟く。私は一体何なのだろう。言葉を繰り返し、押韻し、響きあうその意味を胸の内に飲み込んでしかし、少女と少女は分かたれていくのかもしれない。

 私は、一体、なんなのだろう。悲しげに悔しげに囁く少女を元気づけるかのように、もう一人の少女は一歩歩み出て語り始める。



 ──そうして、私は一人になりました。いつものことです。元通りになっただけです。

 ひとり。千年も生きていれば今更のように、たいして悲しくもありません。本当に一人でいれば他人と自分を比べて孤独を感じることもないし、一人の苦しさを愚痴る相手がいるわけでもない、ただ今日一日を生きて、またくる明日を生きて、そうして命のようなものをなんらかの形で繰り返していくだけで、一人でいることさえ当たり前になってしまって、むしろ一人でいることが一人ではない、この世には二人や三人というものが存在していないような気すらしてきます。ただ心に浮かぶのは、「私」というそれだけで、あなたとか彼や彼女といった言葉は意味を成さないのかもしれない。

 私は一人になりました。一人になった私は今ここにいます。一人になってしまえば誰かと言葉を交わす必要もなく、私はここにいて、それ以上でもそれ以下でもない。ただ私という形がここにあるだけです。

 私の形。私は人間の形をしています。頭と体を首がつないで、手やら足や等がにょきにょきと生えている。それが人間の形です。簡単に言ってしまえば人間の形というものはその程度のものです。ちょっと腕が長かったり色が違っていてもそれは人間の形なのだそうです。

 私は時々思うのですが、毎日毎日少しずつ自分の体を削っていったらどうでしょう。今日は右手の小指を切り落として、明日は薬指その次は中指と進めていって、右腕をなくし右足をなくし少しずつ少しずつ元の形を失っていって、その都度誰かに「私はまだ人間に見えますか」と確認していったとしたら、いつの日か「いいえ」と答えられる日が来るのかもしれません。人間の形の最低条件。余計なものを削ぎ落としていけば真に人間と呼べるだけの形が残るのかもしれません。

 それは所詮形だけだとあなたは言うかもしれません。それはもちろんその通りです。人間にはまだ言葉があります。でもそれにしたって結局は形と同じように最低条件というものがどこかしらに存在しているのではないでしょうか。言葉。たとえばとんでもなく無口で一言も喋らない人だっているでしょうし、何らかの事情で喋ることそのものができない人もいます。形と同じように徹底的に言葉を削ぎ落としていって、ただ言葉を繰り返し押韻するだけの機械でも人間に見えるかもしれません。

 人間とは何か。人間とは恋をする生き物である。人間とは社会を構成する生き物である。人間とは、人間とは……定義はさまざまあると思います。けれどその一つ一つに対して恋さえすれば人間、社会を持ちさえすれば人間、と条件をクリアしていくことはできます。

 けれどことここにいたって私が思うに問題はそんなことではないのではないでしょうか。人間になりたい、では人間とは何か。それはそれで難しい問題だとは思いますがそれよりもずっとずっと難しいのはきっと、誰かを愛することよりも社会に溶け込むことよりも、人間になりたいと考える自分にどうすれば自分は人間だと確信させることができるのか、ということなのです。そもそもの始まりからして自分は人間ではないと思うから悩んでいるのであって、ぽんと合格証書を手渡すみたいに「あなたは人間ですよ」と言われたからと言ってはいそうですねという訳にはいきません。そう言われて簡単に信じられるようなやつはきっと心の底から人間になりたいと思ってはいないのです。そういうやつはうすっぺらに人間になりたいとへらへら自分に酔いしれて、そうして生まれる前から人間でいるのです。

 人間になりたいと思い悩む心があるのならそれが人間の証だろうという人もいます。それが魂だと。人間になりたいものはみな人間である。そう言う人もいます。そうなのかもしれません。けれど少なくとも私はそうなのかもしれないと思って明日から人間のつもりで生きていくことはできません。さっき私は人間の形や言葉の最低条件の話をしました。たとえば昨日までは人間でなくて、今日、優しい誰かから何かをもらってその条件を満たすことができたとしたら。たとえば自分が誰かの子宮から産み落とされたという記録でも機械でない生身の肉体でも何でも構いません。人間の形と言葉を備えたのなら、昨日までは人形で今日からは人間だと胸を張って生きていくことができるのでしょうか。そんなことあるはずがありません。

 断言します。人形はけして人間になどなれません。

 だから私はその代わりに嘘をつくことにします。

 夜の間だけ私は人間になります。それは嘘です。けれどもその嘘を永遠にしようと思うのです。私は語ります。たくさんの魔女の物語を受け継いで……物語とは嘘のことです。

 人間はいつかおやすみなさいと言って眠りにつかなければなりません。眠りにつくことのない私は人間にはなれません。

 私はおやすみとはけして言いません。

 だから、その代わりに、おやすみなさいと言った彼女の言葉を物語として永遠にするのです。物語は語り継がれる、いつか元の形もなくなってしまうのでしょう。物語に真実は残りません。全ての物語は嘘でできています。それでも私はその嘘の中に、死んでいった彼女たちの物語を残しましょう。



 少女はいつしかぽろぽろと涙を零し、「人形は人間にはなれない」と悲しげに呻く。けれどもそれは嘘である。人形の演じるお芝居に過ぎない。悲しそうにしていても本当に悲しいわけではないし顔から涙を流したからと言ってかならずしも泣いているということにはならない。何もかもが嘘である。悲しげに顔を歪める少女の姿、頬を伝う透き通った涙、その苦悩も悲しみも──そしてその言葉ですらも、なにもかもが嘘なのだ。これはお芝居なのだから。

 少女は叫ぶ。

「それでも俺は人間になるのだ! 人がまぶたを閉じる時、安らかな眠りについて世界を影絵の輪郭に落とす時、俺は束の間の人間になるのだ!」

 俺は人間の形をしている。唸るように少女はそう宣言する。もう一人の少女はそれを聞いてくすりと笑う。人間になるというその嘘に微笑みをもらし、「どいつもこいつも幸せになればいい」と独り言をいう。

「いいえあなたも幸せになってください」

「いいや私は幸せにはならない。第一、どうすれば幸せなのかも私にはわからないのだから」

「それなら……」

 少女は口ごもり、懐かしむようにもごもごと口の中で台詞を転がし、それから「あなたのしたいことをしてください」と言う。

「死なないでくれと言っても、幸せになってくれと言ってもきっとあなたは聞かないのでしょう。ならばせめてのお願いです。あなたのしたいことをしてください」

 少女は──姫はようやく姫の姿に戻り、「わかったよ」とだけ短く答え、とぼとぼと歩きだした。

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