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水の檻  作者: 香野三弥
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インターバル <MIZUKI>

水貴目線

インターバル <MIZUKI>



 目を覚ますと、すでに陽が落ちうっすらと夜の気配が漂っていた。半分カーテンが開けられた窓ガラスに、斜め向かいのビルのネオンが花火のように映り込んでいる。


 どのくらい眠っていたのだろう。窓から顔を戻すと、隣で横になっていたはずの椎名さんが、壁際のソファーで台本を読んでいた。袖机の柔らかい灯りがぽーっと彼の周りを包んでいる。私はしばらくその姿をじっと眺めていた。


 二人で部屋に戻った後、私が眠るまで彼は何も聞かなかった。ただ、優しく抱きしめて、今は何も考えるな、と言った。

 一言でも言葉をこぼしたら、私は自分の感情をコントーロールできずに倒れるまで暴走したかもしれない。薬のおかげで、今は頭痛が治まり呼吸も楽になっていた。


 ページを繰る音だけが部屋に響く。時々前のページに戻って確認してはまた読み進めていく。今度の映画の準備稿だろうか、表紙は白のままだった。


 椎名さんが気配に気づいたのか顔をあげた。


「目が覚めた?気分はどう?」


 台本を置き、そばに来ると、ベットに腰をかけ私の髪に触れる。

 私はゆっくり起き上がり、頭を軽く振った。ふらつきもないことにホッとした。


「大丈夫、どこも苦しくないです」


「良かった。もし動けるようなら食事にでないか?気分転換にもなる。咲妃が帰ってきてるんだ一緒でもいいかな?」


「もちろん、私も咲妃ちゃんの顔が見たいです」


「ちょっと、呼んでくるから、ゆっくり支度してて」



 だが、すぐに戻ってきた椎名さんから、咲妃ちゃんは、凛の作ったご飯を食べていると聞かされた。


「なんか、凛君に懐いたかな。咲妃は物怖じしない子でね、誰の懐にもすぐとびこむから」


「凛は、ほんとに優しいから、ううん、優しくなった。初めてあった頃の凛は、料理なんか全くしなかったし、絵を描き出したら、食べることも寝ることも忘れちゃうような子だったの。ちょっと無愛想でお店でもあまり喋らなかったし。」


「とてもそうは思えないね。今の彼を見ていると」


「私のせいで、絵が描けなくなって凛は苦しんだと思う。でも、悪いことばかりじゃなっかたのかも。すごく、大きくて豊かになった気がする。私はずっと凛に守られ、甘えていたから、凛は大人になるしかなかったのね。」


「そうだね。確かに彼は君の保護者だったよ、かなり辛辣な牽制も受けたからね」


そういって椎名さんは笑った。


「そうなんだ」


 凛の成長に萌子先生が深く関わっていることは間違いなかった。私は少しの寂しさと共に、今、咲妃ちゃんと食事をする凛の笑顔を思い浮かべた。





 近くの和風ビストロのカウンターに並んで座った。向かいあって座るよりとても落ち着く。低めに作られた白木のカウンターは贅沢なほどゆったりとしていた。

 鎮静剤を飲んだ後だったので食前酒を控えた私に、椎名さんはノンアルコールのカクテルを頼んでくれた。


 サマーデライト、鮮やかな濃いオレンジと透明な炭酸部分が二層になっていて、ライムの香りが立っていた。白木のカウンターに映える涼しげで可愛らしいそのカクテルは、爽やかでほんのりと甘く、沈んだ気分を少し軽くしてくれた。椎名さんは珍しく白ワインを飲んでいた。


「昨日の夜、君の部屋にいく前に凛君が僕のところに来た」


「えっ?」


「すべて、その時に聞いていたんだ。」


「そうですか」


 凛も萌子先生も、椎名さんまで、万全の体制で私をフォローしてくれていたんだ。

これだけ心配をかけても、私はまだ思い出せないでいる。


「『水の檻』の輝の役が凛くんであることは気づいていたんだ。でもまさか、凛君まで高遠さんの息子だったとは思わなかった。きっと、高遠さんはそうと知らせず、君たちを会わせたかったんだろうね。映画の中で姉弟を演じさせて、映像を残したかったんだと思う。」


「多分そうだと思います。」



 そう多くはない父との思い出の中で、『水の檻』を撮影していた時間はかけがえのないものだったから。


 軽く、前菜の串物をいただいて、このお店名物、甲斐路軍鶏の親子丼を注文した。卵や出汁にまでこだわり抜いた味と食感は絶妙で、疲れた体に染み渡った。なんだか涙が出そうだった。どんな時でも美味しいものは心を癒してくれる。



「どうしたの?」


 

 箸の止まった私を心配そうに見る。



「美味しい・・・から」


 そう答えて、私は椎名さんに笑顔を向けた。少し半泣きだったけれど。


「良かった。この店、事務所の近くにもあるんだけど、よく一人で行ってる」


「また来たいです、元気なときに来てお酒も飲みたいです」


「うん、来よう」



 椎名さんは私の頭を軽く撫で回すと


「酒、好きだな」


 と言って笑った。


 

 でも、この穏やかな時間が長くは続かないと、私は感じていた。私が向き合わないといけない真実は、もうそこまで歩いて来ていたのだ。



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