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  作者: 槍手 持手男
8/21

8;テレビ越しの彼

目が覚めた。


嘘のようだけど、外の小鳥のさえずりで起きた。

僕は近くに置いていた腕時計を見た。


7時46分。


それが夕方の7時46分で無い事は、カーテン越しに入ってくる光の色を見れば一目瞭然だった。


朝…、らしい。


いつも昼に目を覚ましている僕は、なんだか不思議な気分だった。

何故か自然と僕の足は窓辺へと向かっていた。

カーテンを開けて、隣の窓を見る。

橘君の部屋のカーテンは閉まっていた。

そのかわり、左の部屋のふりふりのカーテンは開いていて、向かいの部屋のカーテンも窓も開いていた。

まるで昨日のことを夢のように感じながら、僕はカーテンを閉めた。

ぼーっとしたまま、自分の部屋の鍵を開け、ふらふらとした足取りでトイレへと向かう。


廊下を隔てて、僕の部屋とトイレは近い。


僕はトイレのノブを握って回した。


あかない。


普段、昼に起きてトイレに行っているため、トイレが閉まっているなんてことはそうそうなかった僕は、その「開かない」という現象を理解するのに少し時間がかかった。

開かないトイレをぼーっと見ていると、中から水のながれる音がした。


僕の意識が徐々に覚めて行って、僕はやっと理解した。

それと同時に、無意識的に頭がどこか隠れる場所を探していた。

でも、相手がトイレから出てくる方が早かった。



長身でやせ形、肌は浅黒く、頬はこけていた。

ぎょっと出ている目は僕をとらえると、驚いた様にしばし固まっていた。

それは、ここ数週間顔を合わせていない、父親だった。

僕は、成長期から不摂生な生活を繰り返していたせいか、父親からは想像出来ない程、身長が低かった。そのうえ、不健康的な痩せ方をしていた。

やせ形で長身な父親でさえ、僕の前では巨人のように思えた。

僕は、無意識的に父親からすぐに目をそらした。

すると、彼は


「おはよう。」


といった。

低くて、大人しい声。

彼のこんなにも冷静な声を、間近で聞いたのはいつぶりだろう。

僕は答えなかった。

正確にはどういう風に答えればいいのかも解らなかった。

笑顔で言うなんて事は考えられなかったし、無表情でぼそっというのもなんだか嫌だったし、むしろ答えないのが無難のように思えた。

僕が無表情で俯いていると、親父はそのまま居間へ向かった。


僕は顔を上げて、居間へと去って行った親父の背中を見ていた。

小さな背中。

親父に会ったのは本当に久しぶりだった。

久々の出来事のためか、それとも、予期していなかった出会いのためか、単なる驚きのためか、僕の心臓はバクバクとしていた。


用を足して水を流そうとしていたときだった。


「へえ、じゃあお隣の橘さん、最近体調でも崩してるのかしらね?」


母親の声。

僕は「橘」という名前に手を止めた。


「最近は寒くなったからそうかもな。」


親父の声が聞こえた。

どうやら母親が父親を玄関まで送り出しにきたらしい。

トイレは玄関のすぐ隣だから二人の声が近くで聞こえた。

僕は息を殺して二人の会話に聞き入った。


「今晩は夕食はいらないのね?」


「ああ。」


でも、どうやら「橘さん」の会話はもう二人の間では終わっていたようだった。

たわいもない会話が二人の間で続く。


「じゃあね、寒いからお父さんも気をつけて。いってらっしゃい。」


「行ってくる。」


玄関の開く音。

そして、閉まる音。


僕は母親の居間へと戻って行く足音を確認してからトイレを流した。

そして、トイレを出る。

いつもは、起きると、部屋の前に昼食、僕にとっては朝食が置いてあるが、いつも僕が熟睡している今の時間には、何も置いてなかった。

僕は朝食を求めて、居間へと渋々向かった。


居間のドアを開けて入ってきた僕を見ると、母親は僕が起きている事を父親から聞いていたのか驚いた様子もなく、ほんのりと笑って

「おはよう。」

と言った。


僕は無言で居間の中央にある四角いダイニングテーブルのイスに座った。

そして、そのダイニングテーブルからちょうど良く見える様に配置されたテレビには、ニュース番組が映っていた。

大人気だという「モノ ミンタ」が司会をつとめている朝のニュース番組だった。


画面に『ごっそり、8時をまたいでニュース』と表示されたかと思うと、モノ ミンタが、大きなボードを引っ張ってきた。


「今日も、『8時をまたいでニュース』のお時間がやってきました。」


モノが独特の口調で語り始める。

「8時をまたいでニュース」のボードにはニュースが羅列されていた。

でも、所々、紙が貼られて、見えなくなっている。

どうやら『8時をまたいでニュース』とは、モノがその紙を剥がしながらニュースを語って行くという形式らしかった。


僕はたんたんと語られて行くニュースをただ見つめていた。

知らない間に色んな事が起きて、僕が部屋から出られずにいる間に確実に世間が動いている事を、僕は実感していた。

僕がそんなニュースをただ黙って見ていると、ふと、僕の目の前に皿が置かれた。

皿には目玉焼きと、ソーセージ、トーストが乗っている。


朝食だ。


今作ったばかりなのだろう、温かくて湯気がたっていた。

母親は何も言わずに、キッチンへ戻ると、今度はコップとオレンジジュースのパックを持ってきて、僕の前に置いた。


僕は思わず、母親の顔を見た。

僕と目があった母親はふっと笑うと、また何も言わずキッチンへと戻って行った。


僕はフォークを手に取って、ソーセージを口に入れた。

美味しかった。

なんだか、とても美味しかった。


『え〜、じゃあ次ね。』


モノの声がテレビから聞こえた。

僕は視線をテレビに向ける。


『15歳少年、語った「消したかった…。」あの夜の真相』


モノが紙を剥がしながら語り始める。


『え〜、この事件は、ちょうど、9日前の事件ですね。

都心で一家が惨殺された。

その一家の長男が捕まって、動機などは一切謎だったのが、どうやら語り始めたらしいですね。』


モノがそういうと、今まで映っていたスタジオがVTRの画像に切り替わった。


真っ黒なスクリーンに白いおどろおどろしい文字と一緒に男の声が流れる。


「消したかった…。」


するとまた画面が切り替わる。

ニュースが放映された日の現場のマンション近くの映像になった。


『コレは今月○日の深夜、起きた事件。

都内T区のマンションの一室で一家が惨殺された。

殺されたのは、Hさん一家。

この事件の犯人であった長男は、惨殺現場となった自宅の自室にて発見され、本人の自白により、すぐ逮捕されたが、今までその動機は不明とされていた。』


すると、また画面が切り替わり、今度は高校生らしきの人物のアゴから下が映し出された。

字幕には「長男の友人」と書かれていた。


『いや、ほんとうに明るい子だったし、ぜんぜん悩みとかも、なさそうで…。

事件を聞いたときはひたすら信じられなくて…。』


と呟いた。


『長男は、周りからの評判も良く、成績も優秀、優等生として学校では人気者として生活を送っていた。』


とナレーター。


『しかし、家庭での彼は学校での彼と違っていたようだった。』


画面が再度切り替わり、今度は彼の近所のおばさんが出てきた。

顔にはモザイクがかかっている。


『なんかよく夜に怒鳴り声が聞こえてた。』


とそのおばさん。


『「ふざけんな〜」とか「クソばばあ」とか。多分男の子の声。

でも朝会ったときとかは、元気よく挨拶してくれる子だったからねえ。

私はまあ、反抗期なのかな、と軽く思ってたけどねえ。』


『そして昨日彼は語った…』


と、ナレーターの声が流れる。


『消したかった…。

学校での僕も家での僕もどれも僕じゃなかった。

僕じゃない僕を縛り付けてるものも、僕自身も消そうと思った。

自分も消そうと思ったけど、怖くて出来なかった。』


と彼の言葉であろうものが字幕つきで流れた。

そこまで流れてから、画面がスタジオに戻った。

モノの厳しそうに歪んだ顔が表れる。


『いやあ〜。』


とモノ。


『今、本当に少年が自分の家族を殺したり、他人を傷つけたりする、そういう事件がおおすぎるねえ。

本当に信じられないねえ。

どうしてこういう風になっちゃうのかねえ。

しかも、この少年は学校では評判がよくて、誰もその悩みとかに気付いてなかったんだからねえ。

いやあ、残忍な事件です。



…、じゃあ、次の事件ね。』


そうすると、モノは次の事件をたんたんと語り始めた。

僕は溜息を付いて、テレビから視線をそらした。

そして、またソーセージをフォークで刺して口に運ぶ。


僕の頭の中には、例の事件の少年の言葉が浮かんでいた。


『学校での僕も家での僕もどれも僕じゃなかった』


僕もそういう風に感じたことがあった。

僕がまだ学校にも行って、優等生を一生懸命に演じようとしていたときだ。

数年前まで、僕はそうだった。

でも、僕はそれに耐えられなくなった。

そして、今に至る。

あの日々から生まれたのは、惨めで自分勝手で、いらない存在の僕。

でも、死ねずにのうのうと毎日毎日時間を無駄に消費しながら生きている僕。

これが僕だ。

壊れてしまった僕の慣れ果てだ。


彼と僕はもしかしたら似た者同士だったのかもしれない。

顔も名も知らぬ彼も偽りの日々に耐えられなかったのだろうか。

でも彼と僕は違う道を選んだ。

彼が選んだ道は殺人鬼になること。


家の中で、自分のからに閉じこもって苦しむのと、人を殺してしまって牢に入るのとでは、どちらが幸せなんだろう…。

消してしまいたいと、思う事もあったけど、彼は本当に消してしまって幸せだったんだろうか。

とはいっても、僕の今の状態が幸せだなんてみじんも思わないけれど。


でも…


僕は台所で食器を洗っている母親をちらりと見た。

それから自分の前に置かれた朝食を見る。




そして、僕は名も顔も知らない少年に同情した。

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