21;さようなら
5年以上。
ボクは考えていた。
頭にあるのは後悔と呼べばいいんだろうか。
スグル君がボクに出ると言った最後の窓越しの会話の日。
ボクは頭が真っ白になった。
スグル君が出てしまう。
ボクを迎えに来てくれると言った。
でも、ボクが一緒に出れるわけがなかった。
昔は、よく夢に見ていた。
あの日、スグル君がボクの家に来て、一緒に出て遊ぶ夢。
かなう事の無かったボクの夢。
どうしようもない物悲しさを感じる夢。
最近はもうすっかり見ないけれど。
ボクはどうすれば良かった?
あの夜ほど自分の罪に押しつぶされてしまいそうになったことはなかった。
自分が犯してしまった事の重さに、息苦しさに消えてしまいたくなった。
一緒に出て遊びたかった。
自分がやってしまったこと全てが嘘だと思いたかった。
もしも全てが嘘で、ボクがただの不登校の少年なら、どれだけ人生は変わった事だろうか。
少しでもタイミングが違ったなら、どれだけ違った結果が出ていただろうか。
でもそんなことを思ってみても、何の効果もないけれど。
もう事は全て起きてしまったのだから。
起こしてしまったのだから。
ボクはあれから彼にあっていない。
会う資格もないような気がする。
会ってもなんて言えばいいのかわからない。
でも、ボクは彼に感謝しているから。
もういいんだ。
ボクはそんなことを思いながら窓の外に目をやった。
5年間お世話になったこの施設を出て行くけれど、正直不安の方が大きいほどだった。
どうやって生きて行けばいいのか、わからなかった。
ボクは施設に入って来たときに預けていた荷物を手渡された。
そして、ドアが開けられる。
その奥にあるのは,何だろう…。
冷たい風がボクの頬を撫でた様な気がした。
僕は段ボールだらけのおんぼろアパートに仕事の後帰って来た。
窓の外はもうすぐ朝。
日は昇ってないけれど、薄暗かった空が少しずつ明るくなって来ている。
夜勤は疲れるけど、僕は朝になるこの瞬間が少しだけ好きだった。
あれから5年ちょっとが経った。
僕は俗に言うフリーター。
今は昼間は某ファーストフード店で働いて、夜は、居酒屋の厨房で働いている。
たまに夜通しで働く。
いわゆる夜勤ってヤツだ。
お金もいいし、もともと不摂生だった僕に取ってはそこまで辛くない。
楽な生活ではないけれど、やっと僕は望んでいた独り立ちが出来たのだ。
初めての一人暮らし。
まだ開封してない段ボールが部屋を占領している。
不安はもちろん沢山あった。
でも、その度に僕は思い出す。
昔の自分を。
そうすると、何故か大丈夫の様な気がするのだ。
少しは片付けないと…。
僕はそんな事を思いながら段ボールを一つ開けようとしたが、あまりの疲労に段ボールのことは忘れて、薄汚れた畳の上に座り込んだ。
疲れたなあ…。
軽く溜息をつきながら、僕は壁にかけたカレンダーに目をやった。
気にしないつもりでいたけど、胸が少しだけ高鳴った。
彼が収容されてから5年。
彼の父親があの事件の後、僕に会いに来た。
僕のことを彼から聞き、お詫びをしに。
そのとき教えてくれた。
彼が出てくるであろう日にちを。
今日なのだ。
本当は気にかけるつもりもなかった。
正直言って、辛かったから。
でも、無意識だろうか、意識的にやってしまったことだろうか、僕は、何故かこの日だけは何のシフトもいれなかった。
夜勤明けの今日はもう何も無い。
一日珍しく暇なのだ。
どうこうしようというわけではない。
ただ、仕事は入れたくなかった。
今日だけは。
……。
………。
僕はかろうじて横になれる狭い畳の上で目を覚ました。
どうやら眠っていたらしかった。
寒い中、うたた寝してしまったせいか、喉が少しいたかった。
窓の外はすっかり明るかった。
でも、ほんの少しだけ日が傾いているのを見ると、随分と長い間眠っていたようだった。
僕は段ボールの上に出していた腕時計に目をやった。
15:28
…最悪…。
寝すぎた…。
僕はぼーっとする頭を抱えながら立ち上がった。
本当は今日一日を使って部屋を少しは片付けるつもりだったのに。
…片付けるか…。
僕は段ボールに手を添えた。
…。
……。
その手を止めて、僕は窓の外を無言で見つめた。
…。
……。
心が落ち着かなかった。
同じ考えが僕の頭に何度もまとわりついた。
僕は思わず顔をしかめた。
…。
恐らくもう既に出所したであろう彼が、どこにいるのかももうわからない。
ただ無性に、心がざわついた。
ざわついて、ざわついて。
そして気付けば、僕はコートを手に外に飛び出していた。
向かう所は一つ。
何がしたいわけでもない。
何か考えがあるわけでもない。
ただ行かなきゃいけないと思った。
電車に乗って僕は向かった。
僕の新居からそこは遠かった。
1時間半ぐらいかかって僕は着いた。
僕の昔のマンションに。
あの事件があってから間もなくして僕の家族は引っ越していた。
だから、このマンションに近寄らなくなってから5年近く。
そんなマンションを前にして、なんとも言えない感情が僕を支配した。
懐かしい様な、怖い様な、悲しい様な、切ない様な。
僕は拳を握りしめて、マンションに入った。
見覚えのあるエレベーターに乗って5階へと向かう。
胸が無駄に高鳴っていた。
誰がいるわけでもないのに。
いてほしいなんて思ってしまう。
僕は廊下を歩きながら胸を抑えた。
この角を曲がれば…。
角を曲がる。
もちろん誰もいない。
僕は見慣れた玄関の前に来た。
僕の家。
そして、橘君の家。
今は誰も住んでないようだった。
無駄に橘君の家のドアノブを握って回してみる。
もちろん開くわけも無かった。
…。
…何やってんだろう、僕は…。
僕は自分の行為に思わず笑ってしまった。
自分は何を望んでいるというんだろう。
こんな遠くのマンションにまで足を運んで。
…馬鹿みたいだ…。
僕はそのままそこを去った。
エレベーターを下りて、マンションの庭のベンチに力なく座る。
辺りはもう暗くなり始めていた。
冬の夕方は暗くて寒い。
僕の顔を寂しい蛍光灯が照らしていた。
人通りのないその庭で、僕は泣いていた。
自分でも何故泣く必要があるのか全然わからなかった。
よくわからないけど、無性に悲しくて悲しくて、泣いていた。
次から次に涙があふれた。
とめられなかった。
傍から見れば笑ってしまう図だろうと思う。
大の大人が一人泣いている。
暗い冬の寂しい夕方に。
声を殺して泣いている。
滑稽だ。
とても滑稽。
僕は息を整えた。
あまり泣きすぎて、顔はぐちゃぐちゃだった。
まだ体も少し震えている。
僕は深呼吸をした。
何やってんだろ…。
もう帰ろう…。
僕はベンチから立った。
そしてマンションを見上げた。
……。
思わず拳を握りしめた。
そしてただただ佇んで、静かにマンションを見つめた。
帰ろうと思ったのに体は動かなかった。
…。
……。
…会いたい…。
ふとそんなことが頭をよぎった。
…会いたい…。
素直に僕はそう思った。
そう思ったらまた涙が出て来た。
情けないけど、意識したくなかったけど、やっぱりひたすら会いたかった。
だって終わってないのだ。
僕にとって、まだ終わってないのだ。
あのレースは。
だってまだあの約束を果たしてないのだから。
彼を迎えに行って一緒に出て行くっていう約束を。
僕は終わったと思ってないのだから。
僕はまたマンションの方に歩みを進めていた。
帰りたくなかった。
帰ってしまえば、終わってしまうと思ったから。
静かに僕は歩みを進めた。
今回は、マンションの箱庭へ。
箱庭についた僕は一階からその箱庭の上を見上げた。
見慣れた箱庭。
僕は5階にある自分の部屋のあの窓を見上げた。
一階から見上げているだけでは、ただ窓がある事しか確認出来なかった。
でも、僕は無性に懐かしさを感じた。
あの窓があの頃の僕にとっての全てだった。
あの窓から見つめる景色が全てだった。
でも、今、僕はあの窓を外から見つめている。
不思議な気分だった。
そして、隣にある橘君の部屋の窓を見上げた。
二つの窓。
傍から見れば何の変哲も無い窓。
でも、あそこでは、確かに行われていたんだ。
窓越しの奇妙な隣人同士の、奇妙な会話が。
そして、それは僕を変えてくれた。
僕は強さを貰って、希望を貰った。
僕は未来を開く事ができた。
僕は軽く深呼吸をした。
…帰ろう…。
僕には帰る場所があるのだから…。
そんなことを思ってから、僕はまたエレベーターにのった。
最後にまた、自分の住んでいた家の前にいこうと思った。
最後に別れがいいたかったのだ。
もう二度と来ないであろうあの家に。
僕は5階で降りた。
さっき通った廊下を通る。
そしてさっきも曲がった角をまがった。
「…。」
僕は思わず歩みを止めた。
信じられなかった。
男が独り、僕と橘君の家の玄関の前に佇んでいた。
寂しそうな男の横顔に電気が薄暗くあたっている。
心臓が高鳴った。
変わってはいたけれど見覚えのあるその表情に僕はすぐにわかった。
僕は何も言えずただただ佇んでいた。
心臓の音がバクバクと鳴って、何を言っていいかもわからなかった。
突然すぎた。
出来すぎてた。
男は、悲しそうに溜息をつくと、こっちに振り向いた。
そして目があう。
一瞬彼の目が見開いた。
そして、口は少しだけ開いたけど、何も音は出てこなかった。
時間が止まってしまったかのような気がした。
「…。」
僕は何も言えずに彼を見ていた。
でも彼は、視線をそらして申し訳なさそうに俯いた。
僕のほうに歩いて来て、ゆっくりと僕の横を通り抜ける。
「…ごめんなさい…。」
すれ違い際に彼はぼそっと呟いた。
初めて聞くその声に僕はその瞬間我に帰った。
振り返って思わず呼び止める。
「…橘君…!!」
僕の声に彼は歩みを止めた。
でも、彼は振り返らずに僕に背を向けたまま俯いて立っていた。
僕は彼の小さな背中を見ながら言った。
「…あの…、あの、僕は…、僕は今ね、やっと一人暮らしするようになったんだ…。
あ、ちょっと不便で、…すっごい狭い所でおんぼろアパートなんだけど…。
でも…、やっと、目標達成できたよ…。
あ…、あの、今は、バイトして生きてるんだ…。」
僕の声は震えていた。
何を言っていいのかわからない。
ただ、言わなくてはいけないことが多すぎた。
言いたい事が多すぎた。
僕は必死に続けた。
「あはは…、信じられないよね。
あんな風に引きこもってた僕が…。
ちゃんと自立して生きてってるよ…。
すごい辛い事もあったけど…、でも…、でもなんとかやってるよ…。
すごいよね。」
橘君はゆっくり振り返った。
初めてちゃんと見る彼の顔。
大人になった彼の顔。
「橘君、僕…、僕がここまでこれたのは、本当に橘君のおかげなんだよ。
僕は、橘君に救われたんだ…。
橘君は僕を救ってくれたんだよ…?」
「…。」
橘君はうろたえたように僕を見つめた。
「…だから、ずっと言おうと思ってたんだ。
…。
……ありがとうって…。」
橘君は、僕の話を聞きながらポロポロと泣きはじめた。
僕はそんな橘君を見て呟いた。
「橘君、約束だったよね。
出た日は、一緒に遊ぼうってさ。」
橘君はポロポロと泣きながら、頷いた。
「いこっか。」
僕がそう言うと、橘君は顔を上げて、何度も頷いた。
陰りの無い静かな笑顔でポロポロと泣きながら。
僕と橘君は、「出る」事に成功したのだ。
レースは終わった。
そして、窓越しの奇妙な関係も。
僕は橘君の隣を歩きながら、背後にそびえ立つマンションを振り返って心の中で呟いた。
さようなら
そして
ありがとう
今まで「窓」におつきあい頂きまして大変ありがとうございました。
何も考えずに始めた物語だったので、目に余る点などが多い作品ではありましたが、なんとか無事に終える事が出来ました。
少しでも心に響くものがあってくれたら、とても嬉しく思います。
本当に今までご愛読ありがとうございました。