20;窓を越えて
9:45
約束した時間の15分前。
僕が一番綺麗だと思える洋服を着ている。
大した洋服ではないけれど、僕にとっては上出来だ。
今日母親は朝から出かけた。
だから今は家に一人。
居間で家を出る時間を一人で待っている。
もう玄関に行って用意をしよう…。
僕は廊下へ出て、家の玄関へと歩いて行った。
長い間履いていなかった靴を取り出す。
ドキドキした。
僕は玄関にしゃがんで靴のひもをゆっくりと結んだ。
カタン…
ふと音がした。
…?
僕の家の玄関のドアには郵便受けがついている。
どうやらその音はそこから聞こえて来たようだった。
誰かが何かを郵便受けに投函したらしい。
僕は靴ひもを結び終えてから、何気なく郵便受けを開いた。
中には、白い小さな封筒が入っていた。
僕はそれを手に取った。
…!?
「スグル君へ。」
そこにはそう書かれていた。
見慣れた文字で。
それは、間違いなく橘君の文字だった。
僕は混乱した。
何故こんな手紙がここにあるのだろうか。
彼が僕の家の玄関の郵便受けに投函したのだろうか?
すると、彼は家から出てわざわざ僕の家の郵便受けに…?
どうして…??
どういうこと…???
なんでこんな手紙なんて…。
僕は混乱しながら焦る指先でその封筒を開けた。
中に入れられた2枚の白い手紙には、見慣れた文字がぎっしりと書かれていた。
【スグル君へ。
こんな形でスグル君に手紙を送る事になってしまってごめん。
本当は、スグル君がボクの家に来てくれるまで、ボクは外に出たくはなかったんだけど、どうしても、この手紙を届けなくてはいけないと思ったから、数ヶ月ぶりに家の外に出て、君の家の玄関までこれを届けようと思う。
それがスグル君に一番迷惑がかからないことだと思ったから。
スグル君、まず第一にありがとう。
スグル君に会えて,本当に幸せだった。
友達が出来ないで、独りぼっちだったボクに出来た大切な友達だよ。
スグル君が、出たいって言った時、ボクに頼ってくれてると思って、すごく嬉しかった。
何より、炊飯器の炊き方を教えてくれて、美味しいお米が食べれる様になってすごく嬉しかった。
ボクね、ずっと一人だったんだ。ずっとパソコンやって生活してた。
それで、いいと思ってた。
出れなくても、パソコン通して世界のニュース見て、ボクはボクなりに生きてってると思ってたんだけど、君と初めて会った日にボクのパソコン壊れちゃったんだ。
壊れちゃって、ふと開けた窓の外にスグル君を見て、君の視線がどうしようもなく怖くて、もう窓開けたくないって思って。
だって君の目と合ったとき、ボクは、自分の小ささを嫌なほど感じてしまって。
他人っていうものにもの凄い恐怖を感じたんだ。
自分の部屋で幸せだったのに、僕は一人だった。
一人は嫌なのに、他人は怖かった。
今までの空っぽな人生は、すぐに壊れてしまうパソコンで支えられてたと思うと、無性に悲しくもあった。
行き場のない自分の存在を痛感した。
ボクの両親はいつもケンカしていて、その数日後父親が出てっちゃった。
母親は、ひどい人だったと思う。
それから、ボク、自殺しようと思ったんだ。
大きな過ちも犯してしまったから。
生きてる意味がなくなってしまったから。
それを決心したら、急に清々しい気持ちになって、窓を開けようと思ったんだ。
これが、僕が窓をまた開けようと思った理由。
そしたら、またスグル君にあった。
死のうと思ってたせいか、もう君の視線も怖くなくて、無意識に挨拶してた。
でも、スグル君に呼び止められるとは思いもしなかったけど。
死ぬ前の思い出にと思って、スグル君の呼び止めに軽く応じたけど、良かったと思う。
だって、本当はすごく嬉しくて。
気付けば、死ぬ事なんて忘れてた。
ううん、違うのかも、スグル君にあって生きる事がほんの少しでも楽しくなっただけなのかも。
ボク、スグル君に助けてほしかっただけのかもしれない。
だからスグル君に、どっちが早くでれるかレースをしようなんて言い出したのかも。
スグル君に早く出て、ボクをここから出してほしかったのかも。
ボクはとにかく誰かに救ってほしかった。
自分の全てから。
でも、それは現実には、なっちゃいけない話。
ボクの甘えであって、ボクの夢の中の話だから。
だからね、昨日、スグル君が出るって言ったとき、決心したんだ。
ボクは、スグル君が迎えに来てくれるに値しない人間だから。
せめて、ボクは自分がやったことをちゃんと責任をとろうと思うんだ。
だからスグル君、一人で出てね。
なんだか、最後にスグル君を裏切る形になっちゃってごめんね。
本当だったら、一緒に出たかった。
一緒に町に出て、遊んでみたかった。
ごめんね、本当にごめんね。
かなう事なら、もっと早くスグル君に会いたかった。
でも、スグル君は生きて行けるから、大丈夫。
こんなボクだけど、ずっと応援してるから。
だから、さようなら。
ありがとう。
橘】
家の遠くでサイレンの音が聞こえた。
あまり聞かない嫌な音。
それはマンションの近くで止まったようだった。
手紙を持つ僕の手が震えた。
意味が分からない。
彼のいってることの意味がわからなかった。
でも心臓が無駄にばくばく言っていた。
何かがおかしい。
何か変な事が起きている。
心臓が僕の頭の中に警告音を鳴らしていた。
体が震えているのが解る。
僕は手紙を強く握りながら、家の玄関のドアを思いっきり開けた。
寒い。
それは外だった。
まぎれも無く、外だった。
でも、感動も何もない。あるのは、無駄に焦る心と、まとわりつく嫌な予感。
僕は外に思いっきりでて隣の家のドアを見る。
改札には橘と書かれている。
心臓が高鳴った。
僕がノブに手をかけた時だった。
「おい!!」
急な声に僕は体の動きを止めた。
廊下の反対側には、僕を見つめる数人のスーツを着た慌ただしい男達。
急いで小走りに橘君の家の前に来る。
「君はどいてなさい!」
そう初老のスーツの男にいわれた僕は、彼に手をひかれていた。
残りの三人の男達は橘君の家のドアノブに手をやった。
まるで誰かを待っていたかの様にそれは躊躇無く開いた。
夕方、オレンジ色の寂しい光が差し込む居間でテレビにはモノミンタが映っていた。
彼が司会のニュース番組だ。
「えー、今日衝撃的なニュースが入ったらしいね。」
画面はニュースアナウンサーに切り替わる。
アナウンサーは真剣な表情で話し始めた。
「今朝、都内の某マンションから女性の絞殺死体が、自宅の冷蔵庫から発見されました。
犯人はなんと、女性の一人息子でした。」
画面はみたことのあるマンションに切り替わる。
前に慌ただしくいるメディアの人々。
テレビに映ったレポーターらしき男が言う。
「私は今、犯行現場となった一室のあるマンションの前にいます。
今朝、午前10時ごろ、警察に女性の息子である16歳の少年から『母親を殺害した』という自首をする電話がありました。
警官がマンションに向かった所、室内から首を吊った状態の少年と、冷蔵庫の中から死亡推定時期から一ヶ月ほどたった状態の女性の遺体が発見されました。
自宅には遺書も用意され、少年は、自殺をしようとしていたと思われています。
少年は、警官に保護され、現在は意識不明の重体で都内の病院にて治療を受けているとのことです。
少年の意識が戻り次第動機等の解明を進めて行く、とのことです。」
テレビ画面は、その後、スタジオに戻った。
モノ ミンタの難しい顔がうつる。
「え、冷蔵庫?
どういうことなの?
一ヶ月前に殺したってことなの?
保管してたってこと?」
レポーターに画面が切り替わる。
「警察の発表によりますと、遺書によると、少年は、匂いがなどがもれないように、母親の遺体を冷蔵庫にしまったとかいてあったそうです。
また、発見時、冷蔵庫は遺体がでてこないように、ガムテープで密着されていたとの事です。」
モノミンタは顔をしかめた。
「いやぁ…、女性は死後一ヶ月もたっていたんでしょ?
その少年っていうのは、死んだ後、一ヶ月も平気で遺体のある家にいて、普通の生活をしていたわけ?」
すると、またレポーターの顔が画面に映る。
「調べによると少年は、不登校でここ半年近く学校に言っていない事が判明しました。
また、近隣の住人の話によると、その少年が家から出てくる所を見たこともないということです。
なので、ここ一ヶ月近く少年は母親の遺体のある家で生活していたと思われています。」
「えぇ…、死体がある家にずっとこもってたの?
何やってたわけ…?」
モノミンタは信じられないといったような顔をした。
「いやぁ…、恐ろしい事件ですねぇ…。
なんでこういう事件が起きてしまうのか…。
悲しい時代になりましたねぇ。」
モノミンタは一瞬だけ小さい溜息をついたように見えた。
「では、次のニュースいきましょうか。」
部屋にはただ空しくテレビの音が響いていた。