18;窓越しの相談員
僕は今、居間にいる。
思い立ったが吉日。とはいったもんだ、と思う。
僕は今母親と面を向けて昼食のパスタを食べていた。
何やら奇跡が起きてるようだ。
成り行きは簡単。
出ると誓った僕は、まずは家族と打ち解ける所からやることにした。
というより、「昼食の時間だね」と橘君にいったら、彼の方から家族と食べてこいと進められた。
僕が黙っていると、「出たいんでしょ?」といわれてしまった。
出たいのなら、まずは家族、ということで、今にいたる。
母親は驚いたようだったけど、特に何も過剰な反応はしないから逆に僕には扱いやすい人でもあった。
気を使われて、いっぱい話しかけられたらたまったもんじゃないから。
「ごちそうさま。」
母親はそれだけいうと食器をキッチンへと下げて行った。
僕もほとんど同時に食べ終わる。
僕は母親がキッチンから食後の茶を持って出てくるのを見てから、入れ違いにキッチンに入って、食器をシンクに置く。
本当は母親の分まで食器を洗ってもいいのだが、もの珍しげな目で母親に見られるのはごめんだから僕は食器をただ放置した。
ご飯も食べ終わった事だし、居間を後にしようとしたところで、僕は足をとめた。
うーん…。
なんか進歩ない…なあ…。
僕は居間の扉の前でダイニングテーブルに座って茶を啜っている母親を見た。
母親の顔はテレビに向けられているからその表情はわからない。
僕は深呼吸をした。
よし…。
言うぞ。
「…ごちそうさまでした。」
僕はぼそっと、できるだけ聞こえる様に呟いた。
母親がこっちを振り向く前に僕は、扉を開けて居間から出て行った。
自分の部屋に入り、扉を閉める。
はぁー、どきどきした…。
そしてすかさず窓辺へと向かう。
橘君が座っている。
橘君も僕が昼食を食べている間に食べ終わったのか、窓辺に待機していた。
彼は僕に気付くと笑った。
「どうだった?」
と彼。
僕はおずおず頷いて書いた。
「まあまあ」
「一応一緒に食べて」
「ごちそうさまも言えたけど」
なんだかなあ…。
と僕は思った。
すると彼は
「がんばったね!」
「その調子だね。」
と書いた。
誉められると思ってなかった僕は思わず困惑した表情で頷いた。
「よかったのかな?」
と僕が聞くと、橘君は書いた。
「だって今までのスグル君は」
「一緒に食べてもなかったんだよ?」
「すごい進歩じゃない?」
僕は彼の言葉を見てから考えた。
確かに。
今までの僕からは考えられないほどの進歩ではあったのかもしれない。
劇的に変わったわけではないけど、着実に半歩だけでも前に進み出たのかもしれない。
「小さなことの」
「積み重ねだね。」
と彼。
僕はなんだか少し誇らしくなって微笑んだ。
そして強く頷く。
頑張ろう。
すると、彼が書いてきた。
「改善点とかは?」
僕は彼の言葉に目をまるくした。
なんだか、橘君は先生のようだ。
いや、カウンセラーとでもいうのか。
ずいぶんと時間がたった。
窓の外はもう暗い。
僕の家では、もう父親がさっき帰宅したのが聞こえた。
僕らはずっと窓越しに話をし続けている。
議題は、「僕がでるための秘策」。
昼の昼食の僕が、次に出来うるであろう改善策とか。
あとは、夕食ももちろん、一緒に食べろとか。
父親との接し方、とか。
まずは挨拶から始めるとか。
困惑したし、でも、なんだか着実に何かを変えて行けそうで嬉しかったけど。
議題のテーマは全て僕のため。
橘君は出る気はないのだろうか?
「よし」
「これで夕飯を待って 実行するばかり」
僕らは一通り話し終えてから橘君が満足そうに書いた。
僕は頷いた。
緊張する。
今日の目標は、
・夕飯を家族と一緒に食べる事。
・もちろん「いただきます」をいうこと。
・父親に「おかえり」と声をかけること。
・ちゃんと「ごちそうさま」ということ。
できれば皿洗いまでして進歩したかったが、いっきに多くの事をやるのは、難しいという結論にいたって僕らは上記の4点を今晩の夕食時の課題とした。
ただ、僕は心にひっかかることがあった。
橘君はどうするんだろう…。
橘君は僕のこと中心に考えてくれているようで、自分がどうするかを全く話していない。
僕が家族と食べる事によって、橘君が一人で食べる事になるとかは、そんなのは嫌だし、できれば、彼にも出るためのステップを一緒に踏んで行ってほしい。
彼には、彼の家族で。
ただ、彼は自分の家族の議題を出そうとしない。
僕は思い切って聞いた。
「橘君は、どうするの?」
橘君は驚いた様に僕を見る。
僕は続けた。
「夕飯、橘君も」
「お母さんと食べるの?」
彼は無表情で僕の言葉を見つめた。
僕は続けた。
「でるためのステップ」
「一緒にがんばろうよ。」
僕がそう書くと、彼は少しうなだれた様に俯いた。
僕は彼の言葉を待った。
すると、彼はこう返してきた。
「ぼくはスグル君の」
「専属相談員だから」
「ぼくのことは」
「心配しないで」
彼は笑った。
作った様なぎこちない笑み。
彼は嘘をつくのが下手だ。
でも、これ以上は僕は何にもいわないほうがいいな…。
僕はしぶしぶ頷いた。
「まだスグル君はご飯じゃないの?」
彼は話題を変える様に聞いてきた。
僕は彼の言葉に床に置いてある腕時計に手を伸ばした。
もうすぐ8時。
僕は、彼に書いた。
「もうすぐ。」
すると彼が書いた。
「いってきな。」
「がんばって!」
僕は頷いた。
少し橘君に申し訳なさを感じながら。
窓辺を、部屋を、後にする。
部屋の外にはまだ食器は置いてなかった。
居間へと行くと、ダイニングテーブルには父親が既に座っていて、テレビニュースを見ている。
机には綺麗に夕飯が並べられていた。
母親は、というと、キッチンで僕のための夕飯をお盆に綺麗に並べている。
父親は僕に気付くと呟いた。
「ただいま。」
暗い声。
なんでそんな暗い声なわけ?
僕に会うのがそんなに嫌なわけ?
被害妄想的な不条理な苛立が僕を襲い始める。
でもそれが被害妄想とか、不条理とか、僕が気付くわけも無いし、しったこっちゃない。
【がんばって】
ふと、頭の中に言葉が流れた。
僕は割れに帰って、自分の中での苛立を抑えながら呟いた。
「…おかえり…。」
かなり無愛想な挨拶ではあったが、課題の一つはクリアできた。
あやうく、キレてしまいそうだった…。
僕は胸をなで下ろした。
父親はそんな僕を驚いた様に見て少しだけ不思議そうに見つめてからテレビ画面に顔を向けた。
キッチンにいる母親は居間の扉の所にたっている僕に気付くと笑った。
「あら、スグル、ごめんなさいね、今から持って行こうと思ってたの。」
そう言って用意出来た僕のお盆にのせられた夕飯を持って近づいてきた。
僕はお盆を受け取った。肉じゃがだ。
…。
ダメだ…。
一緒に食べるんだ…。
僕はお盆を持ったまま居間のドアの前に立ち尽くした。
母親はそんな僕におかまいなしに、ダイニングテーブルに座る。
「いただきます。」
母親がいうと、父親も続いてぼそっと
「いただきます。」
を言った。
知らないうち仲直りをしたのか、二人とも美味しそうに食べ始めた。
二人の間に変な空気は流れてない。
むしろ、変な空気を流しているのは僕だった。
僕は相変わらずお盆を持ったまま、ドアの前にいた。
部屋に帰る事も出来ず、ダイニングテーブルにつくこともできず、夕飯を持って立ち尽くしている。
はたから見たら挙動不審だろう。
やはり実際の現場にでると思ってた通りにはいかないようだった。
変な意地やひねくれた思考が課題を遂行するのを阻止しようとする。
【がんばって】
また言葉が響いた。
不思議と、その言葉が響くと、胸が少しだけ温かくなる。
そして、僕の意地やひねくれた思想が少しだけひるむのがわかった。
僕は頷いた。
よし。
僕は自分のお盆をもって、ダイニングテーブルで食べている母親と父親にゆっくりと近づいた。
ドキドキする。
二人は僕が近づいたのを気付くと、僕を不思議そうに見つめて僕の言葉を待った。
僕は唾を飲み込んだ。
唾を飲み込んだ音が聞こえて、緊張している自分に恥ずかしさを感じた。
【がんばって】
でも、そんな僕を後押しする様に僕の頭は彼の言葉を脳内に流した。
僕はまた頷いた。
お盆を握る手に力が入る。
「…一緒に食べる。」
僕はぶっきらぼうにそう言うと、ダイニングテーブルの空いているスペースに僕のお盆を置いた。
そして、開いている席、母親の隣の席に座る。
父親は随分と驚いているようだった。
母親は昼食のことがあったから、あまり驚かなかったのか、笑って呟いた。
「お先に頂いてます。」
そういって、何事もなかったかのようにご飯を口に運び始めた。
僕の心臓はドキドキなっていた。
なんて情けない、目には涙さえ貯まってる。
馬鹿みたいだ。
でも…
【がんばったね】
脳内はタイミングよく彼の言葉を僕の脳内に轟かせた。
それと同時に僕の胸が少しずつ温かくなって行く。
安堵感と、緊張とで目頭が思わず熱くなる。
僕は両親にバレない様に俯いた。
「い…いただきます。」
蚊の鳴くような声で僕は俯きながら呟いて、ご飯を口に運んだ。
いっぱいいっぱいだった。
でも、
美味しい…。
やっぱり人と食べるご飯はおいしかった。
…橘君は…、今頃独り…なのかな…。
ふと彼の姿が浮かぶ。
一人、窓辺で食べている姿。
寂しそうな表情で。
そんなことを考えてると、また目頭が熱くなる。
僕、変だ…。
泣きっぽい自分に少し恥ずかしさと温かさを感じながら僕はひたすら夕食の肉じゃがを口に運んだ。
「ごちそうさま〜。」
母親は満足そうに言った。
「美味しかったぁ〜。」
母親はとても幸せそうだった。
父親も満たされたのか、表情が柔らかい。
食べ終わる頃には僕の心も落ち着いていて、冷静に周りが見れる様になっていた。
僕も食べ終わって呟いた。
「…ごちそうさまでした。」
終わった。
今日の課題。
無事、遂行できた。
僕が安堵感に胸をなでおろしていると、母親と父親が食器を片付けるために立ち上がった。
僕も思わず自分の食器を重ね始める。
そして、重ねた食器を母親に手渡した。
「…ありがとう。」
母親は嬉しそうに言った。
胸が温かくなった。
目頭が…また…、少し熱くなる。
馬鹿な目頭だ…!!
なんでこんなに潤んでるだろう?
僕はバレない様に目をしばしばさせた。
あっという間に食器は片付けられて、テーブルを父親が布巾で拭いている。
その父親の表情は見た事がないくらいに柔らかく感じられた。
こんな顔をしていたんだ…。
彼の顔を見ながら僕は思った。
今まで、僕は数えきれないほどのものを見過ごしてきたのかな…、と。
父親が拭き終わって、キッチンに入って行った。
僕は、ダイニングテーブルに一人残されて、立ち上がった。
でも、居間の扉を出ようとした時に母親がキッチンから出てきて僕を呼び止めた。
「スグル。」
僕は母親を見つめた。
小柄な僕よりも小さい母親。
彼女は笑った。
「今日の夕飯は、美味しかったわ。
いつもより全然。」
僕は母親の言葉に恥ずかしくなって、無表情を装いながら居間の扉をいそいそと開けて出て行った。
嬉しい様な、恥ずかしい様な。
自分の部屋へ入って扉を閉めると、胸が一気に熱くなった。
目頭も熱くなった。
たとえ様のない感情が胸を締め付けた。
でも、それは苦しい締め付けではなくて、言葉にできないような感情。
遠い昔に忘れてしまった様な感情。
でも、なんだか無性に温かい感情。
僕は窓辺へと向かった。
そこには橘君がいた。
僕が窓を叩くと、彼は僕に気付いて笑った。
陰りのない笑顔。
そういう橘君の笑顔は大好きだ。
「どうだった?」
と彼。
僕はピースサインを手で作ってみせた。
もちろん、完璧、とはいかないけれど、これ以上ない冒険だったと思う。
2歩も3歩も進んだ気がした。