14;孤独な窓辺
僕は今、居間にいる。
今は午後。
僕の部屋にテレビはないから、様はテレビを見に来たわけだ。
あれから5日間、僕は自分の部屋のカーテンを開ける事はなかった。
唯一のうすぐらい光でさえも、カーテンに遮られるわけだから、部屋は常に暗かった。
窓の外を眺める事も出来ず、部屋の中で、やることもなく、ただ閉じたカーテンを見つめるのでは、心が沈んで行くだけだった。
だから、ここ数日、僕はずっと居間にいた。
母親がいたが、別に僕に何を話しかけるわけでもなかった。
だから、僕は黙って居間にいた。
流石に父親が帰ってくると、僕は自分の部屋に戻るのだが。
僕はサスペンスドラマを見ていた。
午後にはいつも再放送がやっているのを知った。
特にこれといってハラハラドキドキするわけでは無いが、暇つぶし程度にはなっていた。
今日の話は、自称「主婦探偵」の主人公が幼なじみが経営する温泉に泊まり、次々と人が殺されて行く。
話は終盤を迎え、今は崖っぷちで主人公が犯人を追いつめるシーンだ。
犯人は、俗に言われるエリートの医者であり、将来を期待されていた。
犯人の男は逆上して、主人公に刃物を向ける。
「何故、殺したの…?」
と主人公。怯えつつも気丈な態度で犯人に話す。
「邪魔だったんだよ。」
犯人は薄気味悪い笑みを浮かべながら、刃物を手に主人公に近寄る。
後ずさる主人公。
でも崖の縁にいる彼女にはもう逃げ場がない。
主人公が思わずその場に尻餅をつく。
全てを語りだす犯人。
「6年前に自殺した男、今沢だよ。」
「えっ…?」
「あいつは自殺なんかじゃない。俺が殺したんだよ。
邪魔だったんだよ。
俺よりも何も秀でているあいつが。」
「そんな…そんな理由で…!」
「あいつを殺して、全ての期待も名誉も俺が背負うはずだった。
なのに、あいつらは見ていたんだよ、その犯行現場を…。」
僕はそこまで内容を飲み込んでからテレビを消した。
溜息をつく。
つまらない…。
つまらない。
ドラマも、ドラマの中の犯人の動機も。
なんてつまらないんだろう。
【ジャマなものって、どうするべき?】
ふと彼の顔が脳裏に浮かんだ。
結局、僕は彼が聞いたこの質問に対する、彼の答えを聞いた事がなかった。
これからも聞く事なんてあるのだろうか…。
僕は、彼には会いたくなかった。
5日経ってしまった今、今後も彼に会わない事は僕の意地でもあったし、なんだか恥ずかしかった。
彼はあのとき、別に怒ってなかった。
僕が一方的に怒って、一方的に会うのを絶ってしまったから、彼にしてみれば、いきなり窓から顔を出さなくなった僕の気がしれないだろう。
もしも、また会ってしまえば、僕は何をいえばいいのかわからないし、気まずさを感じそうだった。
だから、これからも、会いたくない…。
僕は外に目を向けた。
居間の窓から見えるのは、向かいのマンション。
外はとても寒いはずなのに、光が降り注いでいた。
思わず、幸せを覚えてしまいそうなその景色に、僕は溜息を付いた。
【ぼくと きょう争を しようよ】
また「彼」の言葉が頭に浮かぶ。
【どっちが 早く でれるように なるか】
橘君…。
出る事を、希望を、僕に教えてくれた隣人。
僕は、夢を見ていた。
彼と一緒に、この外の世界を歩く夢。
まだ聞いた事のない橘君の声を想像しながら、色んな哲学的な話を、溢れる光の中で楽しむ夢。
僕は彼の寂しげな笑顔を思い浮かべた。
でも、すぐに頭からふりはらう。
【スグル君は恵まれているよ。】
彼の見下した様な視線が脳裏に焼き付いていた。
すぐに黒いもやもやしたものが僕の心を浸食し始める。
もうあんなやつ忘れちゃえ…。
あいつは、お前を見下していたんだよ…。
自分が誰よりも不幸だと思って、お前をずっと軽く見ていたんだよ。
心の闇が僕に語りかける。
嫌ってしまえ、嫌ってしまえ、許すな、許すな、と。
何度も何度も。
バンッ!!
僕は思わず握りこぶしで床を叩いた。
後ろで母親が驚いた様に僕を見つめる。
でも、それを僕が知る由もなく、僕はそのままその場にうずくまった。
悲しい。
寂しい。
どうして、
どうして、
どうして どうして
何を恨めばいいんだろう。
自分が望んだ言葉を言ってくれなかった橘君?
それとも、あんな彼に会わせた運命?
それとも、弱すぎる僕?
それとも、弱い僕を作り出した過去?
それとも、その過去を作り出した親?
やっぱり、僕か?
全てが憎く思えた。
でも憎く思うたびに僕の心は黒い炎で焼かれる様にチリチリと鈍くいたむ。
苦しい苦しいと、うなる。
橘君は今頃、何を考えてるのかな。
5日間もいきなり顔を出さなくなってしまった僕を怒ってる?
もう嫌いになってしまった?
【ありがとう!】
【これで 米が 食べられる】
彼はお米が炊けただろうか。
炊けたお米と一緒に缶詰を食べてるんだろうか。
一人で…。
一人で彼はあんなに寂しい夕食のご飯を、食べているんだろうか。
僕は彼が一人で缶詰を開けて、それを白米と、暗い部屋で一人で食べている図がうかんだ。
そしてそれと同時に自分の姿が浮かんだ。
寂しく寂しく、母親がつくった夕飯をドア越しに一人で食べている自分の図。惨めで、寂しくて、美味しくなんて無い。
楽しみだった夕飯は、もはや、何の意味も持たなくなった。
夕べであるという時刻を僕に体感させるだけの、栄養をとるためだけの行為になってしまった。
むしゃくしゃして、思わず立ち上がる。
向かう場所と言えば、僕の部屋ぐらいしかない。
僕は部屋に入ると、ドアを閉めて鍵を閉めた。
カーテンのしまった真っ暗な部屋。
僕はドアに背にして、座り込んだ。
橘君と会う前の生活に戻っただけなのに、非常に物足りなく思った。
僕の人生がまた全くの無意味に戻ってしまったのだから。
寂しい。
僕は独りだ。
果てしなく、独りだ。
僕は背筋がゾクゾクするのを感じた。
それは僕の部屋が寒いからだけではない。
ふと、目を窓辺にやる。窓辺の下に散らかる紙。
綺麗に束になっていたけど、あの夜、橘君と別れてから、僕が蹴って散らかした。
僕は、床に散らかる紙に近寄った。
一番近い紙を手につかむ。
「ありがとう」
そこにはいつ書いたのかそう書かれていた。
僕に似合わないその言葉に思わず動揺してしまう。
悲しいー…。
僕は無言で紙を拾って行った。
そして、綺麗に束にまとめ始める。
悲しかった。
悲しくて胸がしくしくと痛んだ。
ためていたモノが、抑えていたモノが、頬を伝う。
かっこわるい。
今の自分はすごくかっこわるい。
涙で揺れる視界の中、紙を拾って行くと、散らかった紙の中からノートが顔をのぞかせた。
それは母親に頼んで買ってもらったノート。
それを開くと、炊飯器の使い方の説明が書かれたページが延々と続いていた。
そこには、数日前まで一生懸命だった僕がいた。
どんなに小さなことでも、何かに熱心になれた自分がいた。
便りにされてると思えた自分がいた。
【よかった もう君と話せなくなるかと思ったよ】
橘君の安心した様な笑顔が浮かんだ。
胸が温かくなった。
僕は確かに誰かに必要とされていた。
…なんて馬鹿なんだろう…。
僕は涙を拳で拭った。
そして、ノートを閉じ、全ての紙を拾って綺麗に束にして、それを窓辺に静かに置いた。
窓辺が片付いた所で僕は静かに息を吸う。
ちょっと緊張した面持ちで、カーテンに手を添えて、ゆっくりとカーテンを開ける。
同時に部屋に薄暗い光が入る。
久しぶりに見る僕の窓からの世界。
でも、僕が一番求めていたものは、そこにはなく、カーテンが何事も無かった様に閉じていた。
一種の安堵感と絶望が僕を襲う。
僕はカーテンを握りしめたまま、力なく窓辺に座り込んだ。
窓を通して冷気が僕の体の熱を奪って行った。
「…ごめん…ごめん…。」
誰にも聞こえないような声で僕は静かに静かに呟いた。
何度も、何度も呟いた。