8. レッツ労働
◆
「ルカさんよ」
「なぁに?」
港町カルカンド――中央大陸北部に位置する港町。漁業はもとより、別の大陸から寄港した者達で溢れる港町は、同時に商業も発達していた。
沢山の人々でざわめくその場所で、二人は相反する感情を込めながら、目を見合わせた。
怒りのオーラを放つシウは、腕組みをしながら目の前の少年を見下ろしている。対してルカは、笑いを堪えているかのように口元をひくつかせながら、青年を見上げていた。
「いい話って……これじゃあ、まんま仕事じゃねぇかよ! 何で今更フツーに働かなきゃいけねぇんだよ」
片手に白タオルと靴墨、もう片手に木製の即席看板、足元には自分用の椅子と小さな台がセットされている。
「靴磨きだって立派な仕事だよ」
そうきっぱりと言い放ってから、ちらりとシウの額に目をやる。白いはちまきが眩しい。
手に持つ看板にはこう書かれていた。『靴磨きます。一足五リン』。
「何で俺が、どこの誰かも分かんねぇヤツが差し出した、きったねぇ靴を磨かなきゃなんねぇんだよ。しかも一足五リンだぁ? ガキの小遣いじゃねぇんだぞ」
シウは憤慨していた。
金が必要な今、稼ぐ為に仕事という名の手間をかけるのは、百歩譲って目を瞑るとして、五リンは安すぎる。
今時、五リンで何が買えるだろうか。パン一切れ――それが妥当だ。
「靴磨きはそれくらいが相場だよ」
そう言ってルカはシウの持つ看板を手に取った。とりあえず座って、と促しシウを座らせると、甲高い声で叫ぶ。
「靴磨きいかかですかー! 一足たったの五リン! 今日だけの出血大サービスだよ!」
辺りはだいぶ騒々しいが、ルカの高い声はよく通った。そのルカの言葉の矛盾を、シウは聞き逃さなかった。
「てめ……っ、今出血大サービスって言ったろ! やっぱ相場じゃねぇんだろ!」
立ち上がりルカを捕まえようとするシウ。しかし、時すでに遅く、格安の靴磨き職人の前には人だかりが出来ていた。
「安いじゃないか、キミ。早速頼む」
ずいと現れたのは、短い口髭をたくわえた初老の男だ。身なりのいい男は、それだけで値打ちのありそうな靴を履いた足を台に乗せた。
「ま、待ってくれよ! 俺は……」
首を振りながら、ルカを探す。いつのまにかずらりと列を為した最後尾に、看板を持つ少年はいた。
「さあ、早く頼むよ。後がつかえてしまっているよ」
並ぶ人数はざっと数えて二十名ほど。シウはかぶりをふりながら、呟いた。
「……マジかよぉ……」
しぶしぶ座り、覚悟を決める。こうなったらやるしかないのだ。
シウは目を見張るほどのスピードで、次々と靴磨きをこなしていった。
◆
どこから呼び込んでくるのか、なかなか減らない列と格闘し、慣れない労働を終えたシウは疲れ果て、ぐったりとうなだれていた。
「お疲れ様、シウ」
少年がねぎらいの声をかけると、シウは顔を上げぎろりと睨んだ。しかしルカは、満面の笑みを浮かべ怯まない。
「……てめぇのせいでとんだ苦労だ」
しかしよほど疲れているのか、表情とは裏腹に、声には覇気がない。そして再びうなだれた。
そんなシウを見て、ルカはくすりと笑う。
「ほら、立って! 宿に行こう! もう予約してあるんだ」
「……どうせ今稼いだ金なんか、たった一泊で飛ぶんだろ……」
ぶつくさと後ろ向きな言葉を吐くシウの背を押しながら、ルカは宿へと急いだ。
「いらっしゃい! 待っていたよ」
港町カルカンドの宿で二人を迎え入れたのは、いかにも女将らしい雰囲気の女だった。
「部屋は二階だよ。疲れてるだろう? 食事の時は呼んであげるから、ゆっくりしてなよ」
サバサバとした口調と満面の笑みで、女は階上を指差す。
二階建てのその宿は、随分と質素ではあったが疲れを癒すには十分だった。しかも食事付きだと聞いて、シウは子供のように目を輝かせた。
「おっ、食事付きか! いいところ見つけてきたな!」
シウは階段を駆け上がり、部屋のドアを開けると、勢いよくベッドにダイブした。幸せそうな顔で大きく息を吐く。
そんなシウに遅れて部屋に辿り着いたルカは苦笑した。
「落ち着きないなぁ、シウは」
「だってよ、こんなフカフカな布団で寝れるの久しぶりなんだぜ? いつもはカッチカチの煎餅布団でよぉ……」
そのあまりの肌触りの悪さを思い出して、シウは鼻をすすった。
薄くて硬くてボロボロ。悪いことづくめの布団で今までよく寝れていたものだと、心の中で自分をほめた。
「働くのもいいものでしょ?」
ふふ、とルカが笑う。シウは少しだけ間を空けて、まあな、と答えた。
しかしすぐにかぶりを振ると、その答えを撤回した。
「いや、やっぱりダメだ。あんなクソ真面目に働くなんてもう嫌だ」
「でも盗賊なんてやってたら、またいつ捕まるか分かんないよ」
「いいんだ。手っ取り早く、沢山の金を稼ぐ為には――生きる為には、仕方ない。ま、《コトダマ》さえ見つければ、そんな生活ともオサラバだからな」
ルカの言葉を一蹴して、シウは乾いた笑い声を上げる。ルカは、そんなシウをただ悲しげな瞳で見つめていた。
やがてシウは目を閉じ、寝息をたて始めた。よほど疲れていたのだろう、靴も履いたままだ。
「生きる為仕方ない、か」
頭の中で反芻させていた言葉を、ルカはぼそりと呟いた。
それは青年の世界――この戦乱で疲れ果てた世界の下層で生きる若者が発した、真実だった。
ルカはシウに布団をかけ、俯いた。
「……僕は――」
くるりと踵を返す。
後に続くはずだった言葉を飲み込み、ルカは部屋を出た。
小さな足音だけが、辺りに響いていた。