7. 遭遇(3)
辺りは異様な雰囲気に包まれていた。
ごくごく平和な村であるはずだった。花羅織りと呼ばれる美しい毛織物を特産とし、カイランからほど近い場所に位置する、素朴な村であるはずだった。
その村が今、血なまぐさい惨状が繰り広げられている。数名のゴロツキの悪行を見かねた青年による、制裁――しかし血を伴うその行いは、村人達を震撼させるのには十分だった。
「うぅ……あぁぁ……」
血だまりでゴロツキは呻いている。
そんな悲惨な姿にした張本人である青年は、高笑いを鎮めた後も、ただそのゴロツキを見下ろしていた。
シウは今までないほどに、鼓動が早まっていくのを感じていた。今回はこのゴロツキだった。しかし、次は我が身だ。自分のしていたことは、そういうことなのだ。けれど――。
「……やり過ぎだよ」
誰かが、小さく呟いた。
それに呼応するように、辺りがどんどん騒がしくなっていく。ゴロツキに一時は人質になっていた女でさえ、口元を押さえながら青年の元から離れようと、後ずさっている。村人数名は血まみれになりうずくまっているゴロツキの元へと駆け寄り、腕の止血を始めた。
ゴロツキに蹂躙されようとしていた村を救ったのは、確かに青年であることに間違いはないが、今は完全に違う状況になっていた。
シウは、村人達の畏怖の対象となってしまった青年を見た。
青年は、笑みを浮かべてはいなかった。ゴロツキを介抱しようとする村人達に視線を向け、ただその場に立ちつくしているように見えた。
上等なものであろう衣服も、細く長い指も、血にまみれたその姿に、シウは身震いした。
「…………ウ。……シウってば!」
その時やっと、シウは傍らにルカがやって来ていることに気付いた。
ルカはずっとシウの服の裾を引いていたようだった。その部分が変に伸びきっていたのだ。
「行こう。早く!」
ルカが急かす。
結局、シウはルカに引かれるようにしてその場を去った。
「ていうかさ、シウは緊張感が足りないよ!」
裾を掴まれたまま、逃げるようにして村から出た後、ルカは語気荒く言い放った。
「な、何だよ」
少年らしくないその気迫に、シウは若干面食らいながら、答える。
そんな情けないシウの言葉を聞くやいなや、ルカは立ち止まり、勢いよく振り返った。
「あのさ、シウはカイランで捕まってたんだよ? ボクが助けなかったら、きっと今頃裁かれてたはずでしょ」
「あ、ああ」
「まだそれほどカイランから離れてないんだから、あんまり目立つようなことはしないでほしいんだよね」
そう言ってルカは頬を膨らませた。
しかし、そう言ったものの、実のところダヤよりもカイランで牢から逃げ出した後に起こした騒動のほうが、はるかに目立っていたことも、ルカは分かっていた。
しかし、あえてそれは言わない。
目立ちはしたものの、あの件が今後に与える影響が少ないことも知っていたからだ。
「…………悪い。でも、あのゴロツキだって、生きることに必死なんだと思ったら、つい」
シウは嘆息した。
あのゴロツキの行為を肯定するわけではない。けれど、そうしなければいけない――そうせざるをえない状況なのだろうことも、盗賊であるシウはよく分かっていたのだ。
「まあ、人質とるってのは、やり過ぎだろうけどな」
空を仰ぐ。
いつの間にか空は赤く染まっていた。
「……今日は野宿か」
ぼそりと呟く。
本来であれば、宿の暖かい布団にもぐれると思っていただけに、シウはがっくりと肩を落とした。
そんなシウを見て、ルカはクスリと笑った。シウが肝心なことを忘れていることに、ルカだけは気付いていたのだ。
「シウ、もともとお金なんて持ってないでしょ?」
その言葉に、シウはますますうなだれた。金があるなら、盗賊などしていないのだ。
「くそっ……、世の中やっぱり金なのかよ」
がくりと膝を落としたシウが呻く。そんなシウの肩に、ルカはポンと手を置いた。
顔を上げたシウが見たのは、初めて出会った時のような、意地悪な笑みを浮かべた少年の顔だった。
「そんな貧乏なシウに、いい話があるんだ」
◆
「イサラ様、あなた様自らあのようなことをされなくても……」
ダヤの村の宿、その中でも一等高級な部屋で、白い装束を纏った女が跪いていた。女の前には、その日この村でゴロツキに制裁を与えた、漆黒の髪を持つ青年が立っていた。
「問題ありません。それに、ここに来たいと言ったのは私ですからね。わざわざあなたの手を煩わせる必要もないでしょう」
跪く女に立つよう促して、青年――イサラは革張りのソファに腰かけた。そして傍らに置いていた花羅織りを、その手に取り、まじまじと眺める。
「美しい……まさに芸術品。やはりこの村までわざわざ足を運んだ甲斐がありました」
美しい幾何学模様は、手織である為、二つと同じものはない。それに加えて、繊細な色づかいも、上質な手触りも、全てが芸術に値するものだ。
イサラは一通り眺めた後、丁寧に折りたたみ再び傍らに置いた。
「カリン、私は休みます。明日からは、いつも通り公務をこなさなければいけないですからね」
「はっ」
カリンと呼ばれた女は、イサラの上着を受け取ると、一歩後ずさった。
「あなたももう休みなさい、カリン」
柔らかな笑みを向け、イサラは寝室へと向かった。カリンはそれを見送ってから、上着を丁寧にたたみ、小さく嘆息する。
この役目を負って、彼女はまだ日が浅い。それにしても、今日の出来事は彼女の失態であった。仕える主の手を汚させるようなことなど、本来あってはならないのだ。
「……しっかりしなければ」
カリンは頬をぴしゃりと打った。背筋を伸ばし、大きく深呼吸する。
そして、いまだ未熟な自分に言い聞かせるようにして、呟いた。
「全ては我が主、イサラ=ユエ=シュルツ様の為に――」