6. 遭遇(2)
「な、な、なんだと! テメェ!」
青年の言葉に激昂したゴロツキが声を上げる。額に青筋を浮かべ、怒りに震える手で懐から短刀を取り出した。対して青年は丸腰だ。しかしその表情には、どこか余裕がある。
「おいおい、まずいんじゃねぇの」
目の前で対峙する彼らを見て、シウは呟いた。
武器を持つ屈強な体を持ったゴロツキは三人、それに相対するのは華奢な体つきの青年一人。しかも青年は武器を持たない。誰が見ても、青年のほうが分が悪いのは明らかだった。
「ふふ、武器を持って強さを誇示するのですか? それで私がひれ伏すとでも? ……ますます愚かな」
静かに笑みをたたえたまま、ゴロツキ達を挑発するように言ってから、青年は大きなため息をついた。微動だにせずに、侮蔑の浮かんだ視線を向ける。
「テメェ……おい、お前ら! やっちまえ!」
完全に怒り心頭のゴロツキ達が唸った。短刀をかかげ、三人同時に青年に飛びかかる。
シウはもちろん、そこに集まる誰もが目を覆った。
「ぐあぁっ!」
刹那、野太い悲鳴が辺りに響いた。
しかしその場に集まる人々が見たのは、想像していたものとは違う光景だった。
「いてぇっ! 離せっ、離せガキがぁ!」
情けない悲鳴を上げていたのは、ゴロツキの一人だ。武器を持った手を捻り上げられ、四つん這いに押し倒されている。残り二人は横に転がり、目を回していた。
黒髪の青年は、ゴロツキの上に腰かけ余裕の笑みを浮かべていた。じたばたともがき、顔を赤くしながら大汗をかいているゴロツキとは正反対に、息すら上がっていない。
「ふふ、いいザマですね」
青年は短刀を取り上げると、その手の上でくるりと器用に回し、ゴロツキの首に刃をあてた。笑みを浮かべ、丁寧な口調ではあるが、容赦なく刃を押しつけている。
青年が本気であることに気付いたゴロツキは、悲鳴にも似た声を上げた。ガタガタと震え、懇願する。
「や、やめてくれぇ! 頼むっ! これは返す。返すから……命だけは……っ!」
辺りに悲鳴が響いた。
ゴロツキのものだけではない。今この場所にいる人々の中からも、それは漏れ聞こえた。
その時だった。
「……おい! そのくらいにしとけよ!」
勢いよく飛び出したのは、シウだ。
誰もが、突如声を発した彼に、視線を向けた。
シウはゴロツキに腰掛ける青年の元まで、そのまま進み出た。その歩みに迷いはない。
「もう勘弁してやれよ。あんただって、殺す気はないんだろ?」
そう言ってゴロツキを指さす。
ガタガタと震えるゴロツキと、笑みを浮かべたままの青年は、顔を上げた。ゴロツキの顔は恐怖に歪み、脂汗でまみれている。対して青年は涼しげな笑みをシウに向けた。
「……君は?」
ゴロツキから決して刃を離すことなく、青年が尋ねる。
「俺のことはどうでもいいよ。それよりも、事情は知らねえけど、ソイツ謝ってんだろ? もう離してやれよ」
「ふふ、旅人ですか? ずいぶんと甘いことをおっしゃるのですね」
そう言って、青年は自らが腰掛けるゴロツキを見下ろした。その表情は相変わらずにこやかだ。
「そんな甘さが、このような者達を生み出しているというのに。世界に何の貢献もせず、それどころか、民の生活をも脅かすようなまねをするこんな悪党が、ね」
ふふ、と笑って青年は短刀を逆手に持ち替えた。刃は首もとから離されたものの、今度は二の腕に当てられる。ぎりと捻り上げられた腕はやはり動かすことが出来ず、ゴロツキはただ悶えていた。
「馬鹿な男です。この村の特産――花羅織りを盗み、儲けようとでもしたのでしょうが……。見つかったあげく、少女を人質に、逃げようとするとは」
長い睫をふせ、青年は大きく息を吐く。震える男に刃を向けたまま、力を弛めることもなく、淡々と状況を喋り出す。
シウは、背中を冷たい汗が流れていくのを感じた。今のこの状況は人事ではなかった。恐らく自分も、この青年の言う悪党に分類されるのだから。
変な仲間意識にも似た思いが、彼を饒舌にさせた。
「もうソイツも懲りてるさ! だから、ほら、そんな物騒なモン置けよ」
「……た、助けてくれよぉ」
ゴロツキと目が合う。
屈強な男の目には、よほど恐怖しているのか、うっすら涙が浮かんでいる。
青年はその姿に視線をちらりと向けたが、すぐにシウに戻した。そして、憐れみも何も感じていないといったような表情で、首を傾げた。
「この悪党が更生するとでも?」
シウは力強く頷いた。
それを見て、納得いかない顔をしながらも、青年はゴロツキからゆっくりと腰を上げた。それと同時に、ずっと捻り上げられていた腕を抱えながら、ゴロツキはよろりと立ち上がる。
ほっと胸をなで下ろした瞬間だった。
「きゃああっ!」
「くそっ、くそぅ! 馬鹿にしやがって! 誰が大人しく出て行くものか。だれか、ありったけの花羅織りを持ってこいっ!」
ゴロツキは、その場に集まっていた村人の中から一人の女を押さえ込むと、隠し持っていた別の短刀をその頬にあてた。脂汗と涙とで酷いことになった顔で喚き散らしながら、後ずさる。
「お、おいっ!」
シウは叫んだ。
しかしゴロツキは、悲鳴を上げる女に刃をあてたまま、それを離そうとしない。興奮している分、それは危険な状態だと言えた。ゴロツキの持つ短刀の刃は、いつ女を傷つけてもおかしくない。
「お前、やめろよ! 早く逃げろよ!」
「うるさいうるさいっ! 早く花羅織りを持ってこい! じゃねえとこの女がどうなっても知らねぇぞ!」
シウの言葉にゴロツキは耳を貸そうともしなかった。むしろこちら側が声を発すれば発するほど、ゴロツキは興奮していった。
その喚き声を背に、ふふ、と小さく笑い声が聞こえ、シウは振り返る。そこには、俯き肩を震わす青年がいた。
「だから言ったでしょう」
青年が言う。その声はひどく高揚していた。
「悪党にとって必要なのは、許すことではないのです」
くっくっと笑い、青年は顔を上げる。端正な顔に美しい笑みを浮かべ、足を踏み出した。同時に、ゴロツキは後ずさる。近付くな、と叫ぶが、青年は動じなかい。
そして、青年の体がふわりと舞った。
軽やかにステップを踏むようにして、青年は瞬時にゴロツキの懐に飛び込む。女の体を、いとも簡単にその腕から奪い取ると、持っていた短刀を勢いよく振り下ろした。
今度は、誰もがその瞬間を見ていた。舞いを踊るように軽やかな動きで、青年はゴロツキの二の腕に短刀を突き立て、その刃を勢いよく引き下ろしたのを。
「ぐああっ! あぁ……ううぅ……っ」
ごとん、と音をたてゴロツキの腕が地面に落ちた瞬間、辺りは悲鳴に包まれた。ゴロツキが呻く。
「腕がぁ……俺の腕がぁ……っ」
つい今さっきまであったはずの腕の傷に手をあて、地べたに転がるゴロツキ。
青年は、青ざめガタガタと震える女を傍らに寄せ、笑みを浮かべていた。
「必要なのは、制裁です。……もう二度と愚かな真似ができないように」
痛い痛いと呻くゴロツキを、青年は足蹴にして笑った。
「殺されないだけありがたいと思うことですね」
高らかな笑い声を上げながら、青年がそう言い放ったのを、シウはただ呆然として聞いていた。