2. 盗賊と少年(2)
「そこから、出してあげようか?」
突如現れた少年を、シウは訝しげに見据えた。
「出たいと思って出れたら苦労しねぇよ。消えろ、ガキ」
そう答え、シウは再び口の中に溜まった血と唾を吐き出した。同時に、腕を繋ぐ鎖をジャラジャラと鳴らしながら、少年を威嚇する。
そんなシウの前で、少年は今度はニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「え〜、残念。出ないんだ? 鎖はもう外れているのに?」
瞬間、シウはガクンとバランスを崩した。バランスの崩れたその体を支えようと、反射的に両手が先に地面に付く。それは鎖で繋がれていた筈の手だ。
何が起きたのか分からなかった。両手両膝を付き唖然とするシウは、つい今さっきまで繋がれていた鎖を見上げた。鎖はまだその場に残っていたが、一体何故外れたのかをそこから推測する事は難しそうだった。
「ね? 外れてたでしょ」
格子越しに佇む少年はくすくすと笑った。唖然としつつも、そんな少年をシウは睨みつけた。
「僕が外してあげたんだよ? 感謝してよね」
「ああん? てめぇ、何ふざけた事ぬかしてんだ」
シウとしては思い切り睨みを効かせた顔をしたのだが、少年は動じずにくすくすと笑い続けた。
「ねぇ、早く牢から出てくれば? せっかくここも開いたんだし」
少年がそう言った瞬間、がチャリと音がした。鈍い金属音を発しながら、格子状の扉が開く。
シウは目を見開いた。
シウは扉に触れてはいない。勿論、それは格子の外に立つ少年も同じだ。
しかし扉は開いた。何故今まで閉じていたのかが不思議な位、それは自然だった。
普通ならば、人間はここで深く考え込むだろう。突然自分の身に起きた二つの不可思議な出来事に、首を傾げ、訝しげに思うだろう。しかしシウは深く考えることが苦手だった。結果、シウの頭の中でこの不可思議な出来事は、ただの警備隊の不注意で片付けられた。
「よっしゃ、ツイてる!」
ガッツポーズを作り、鼻歌交じりに早速格子の扉をくぐり抜ける。
しかし喜びも束の間、通路奥から話し声が近づいてくる事に気付き、シウは口を閉ざした。断片的に聞こえてくる会話から、見張りの警備兵がこちらにやってくる事を察知し、慌てて隠れる場所を探す。しかし、ぐるりと辺りを見回したが、隠れられるような場所は無い。仕方なく、シウは先程くぐり抜けた扉をまたくぐり直した。
「おい、ガキ! こっちに来い! 見つかっちまうだろ」
シウは、手招きをして小声で少年によびつけた。しかし少年はニヤニヤと笑みを浮かべたまま突っ立っている。
「大丈夫。こっちには来ないよ」
「馬鹿野郎! てめぇが見つかったら俺だってやべぇだろうが! いいから、こっち来い」
シウは扉から手を伸ばし、少年の上着を掴むと、牢の中へと引き寄せた。
少年の着る上着はシウや盗賊仲間の着る衣服のそれとは違って、ひどくなめらかな感触だった。
わわっ、と声を漏らす少年を牢内へと引きずり込み、シウは少年の口を押さえた。そのままじっと隅で身を潜める。
しかし、すぐそばまで近づいて来ていたと思われる警備兵達の声は、シウの読みに反して遠ざかっていく。シウは少年の口を押さえたまま、鉄格子の中から、恐らく外へと続くだろうと思われる通路を確認する。
やはり警備兵達は戻っていったようだ。シウは安堵し嘆息した。
「危ないところだったな……」
安堵の声を漏らすシウ。その腕のなかで少年はもごもごと何かを喋りながらジタバタしだした。シウは慌てて少年の口を押さえていた手を離す。
「……ぷはっ! だから言ったじゃん、来ないって。」
「あのなぁ……、兵士共が戻って行ったからいいものの、こっちに来てたらお前も捕まるぞ。どこのガキだか知らねぇけどよ」
その時シウは先程掴んだ時の服の感触を思い出した。滑らかな感触。自分の着るボロボロの麻の服の感触に比べると、天と地ほどの違いのある感触を。
「おい、ガキ! お前どこから来た?
お前の親父の名前って何ていう? まさかロウエン、ていう名じゃないのか?」
少年はシウから一気に質問をたたみかけられ一瞬目をまん丸くした。しかしその表情はすぐに笑顔に戻った。
「そうだよ。僕のパパはロウエンっていうんだ」
シウは、心の中で再びガッツポーズを作った。ロウエン――それはこの町の権力者の名だった。そしてこの少年はその息子だという。シウの心にある野望が生まれた瞬間だった。
「そっかそっか! 迷いこんじまったのか? 可哀相になぁ……。よし、兄ちゃんが送っていってやるよ」
シウは普段したこともない紳士的な微笑みを少年に向けた。慣れない動作に口の端がつりそうになるのにもめげず、精一杯微笑んで見せる。
少年はそれを見てくすくすと笑った。
「僕を誘拐でもするつもり?」
その問いに、シウは慌てて両手と首を振る。どこまでも大げさに、そしてどこまでも胡散臭く。
「まさかまさか! ちゃんとロウエン様のお屋敷に連れてくさ! 俺はこう見えても善良な一市民なんだぜ?」
シウは、自分のつく嘘に吹き出しそうになったが、ここで吹き出してしまったら全部パァになると思い、なんとかこらえた。
「ふぅん。じゃあ何でここに捕まってたの?」
少年の問いにシウは詰まってしまった。
この少年を誘拐し、多額の身の代金を手に入れる――目的だけは明確だが、それに至るまでの経過まではシウは考えていなかった。いや、考えつけるはずもないのだ。
所詮は思いついたばかりの、行き当たりばったりの野望だった。
「そりゃあ、アレだ。俺は無実の罪で捕まってたんだ。扉が開いてくれて助かったよ」
少年はじっとシウの目を見つめた。シウの言葉の真偽をはかるかのように。一瞬金色の少年の瞳が妖しく光ったが、シウはその前に目を反らしてしまった。
「そっか。じゃあ連れてってよ」
少年がシウに手を差し出す。
シウは差し出されて手をそっと握ると、少年は強く握り返してきた。そしてにっこりと笑って言った。
「約束だよ。連れてってね」