・9 一番近くの敵
・9 一番近くの敵
「例えばポロ競技を観戦するにしても、自分の応援する馬や乗馬者を褒め称えるのは当然ではありませんか。別に、対戦相手を貶すというつもりは無いのです」
「王先生には他者を貶める意図が無くても、その文章を読んだ人は、そうとは解釈しなかったのでしょうね」
漠然と頷いてから、聡明な王勃は皇子の言葉の微妙なアヤに気づいた。「その文章を読んだ人は」と言った。わざわざそのような持って回った言い方をしなくても、自分の父である皇帝陛下がその文章を読んで不快感を抱いた、と言えば済むにもかかわらず。
「日頃から、私の輝かしい文才などに対して快く思っていない者の誰かが、陛下に讒言した、ということですかな」
つまりは、陛下の御前でこのような遣り取りが交わされたのだろう。
「陛下、こちらの文章をお読みになられましたでしょうか。あの王勃めが英王鶏を熱烈に褒めて過剰に応援しております。これは裏を返せば、陛下の鶏に対して負けろと言っているようなものではないでしょうか」
「なぬ。それは聞き捨てならぬな。そのような不敬な輩を、皇子の教育係として側に仕えさせるわけにはいかない。変な考え方を吹き込まれでもしたら困るからな」
「まこと、陛下の仰る通りでございます。王勃めの若造は処分すべきかと存じます」
「そうだな。あやつは若いながらも優れた才を持っているのは確かだが、それを鼻に掛けて傲慢な態度が目立つ。若い者は年長者や目上の者を立てなければならないという儒の教えがあるにもかかわらず、それを実践しないというのは、若いからこそまだまだ人間として未熟なのだろう」
「はい。ここは一つ、礼儀を勉強させる意味でも、王勃めに何か罰を与えるべきかと愚考いたします」
「うむ。どこかに左遷させよう。長安の都から離れた、峻険な蜀あたりの地が、自惚れて熱っぽくなった心を冷やすには丁度良いのではないかな。そういえばあいつは『送杜少府之任蜀州』だかという詩を詠んでいたではないか。自分がその蜀の地に行ってみれば良いのだ」
想像すればするほど、腹が立ってきた。皇帝に取り入って王勃を排除しようとしたのは誰だろうか。佞臣の甘言にあっさりと欺かれてしまう皇帝の間違った判断も困りものだが、才能を嫉まれて言いがかりをつけられた王勃自身に反論の機会が全く与えられないまま蜀に行かなければならないというのが心を重くする。
「まあ、父上が王先生の文章を読んで怒った、とは素直には思えませんね。誰か別の人が王先生の見事な文章を見て悔しさのあまり、貶めてやろうと画策したのでしょう。それで、母上に取り入って、その母上の意向を受けて父が王先生に対して怒りを表明した、といったところでしょうね」
「……ああ、そうか。確かに、陛下の場合は、皇后陛下に頭が上がらないですから。武皇后に取り入った方が近道か」
呟き、吐き捨てる言葉。佞臣の誰かが皇帝に上奏して王勃を陥れようとした場面の妄想は、春の花の蕾よろしく良く成長して膨らんだ。
王勃は上下の歯を強く噛み締めた。長安の都を去らねばならない。屈辱の都落ちだ。まだ出世を諦めるには早いが、高い壁に突き当たり、大きな回り道を余儀なくされたことは覆しようの無い事実だ。喉から声を絞り出す。
「優れた相手を貶めることでしか自らの出世の道を見出せないような俗物が多い長安から少し離れて、田舎で体を休めてくるのもいいかもしれませんな。ただ、長安に帰ってくるのがいつになるやら。殿下の『後漢書』注釈のお手伝いもできなくなってしまうのが心残りと言えば心残りですが」
「そちらの方はご心配には及びません。自力でなんとかしますよ。王先生の他にも頼りになる人材は自分で見つけて登用していますから」
皇子は晴れやかな笑みを見せた。それは、王勃と初めて会った時の皇子の顔とは違っていた。
あの頃は大人びた雰囲気を背伸びの中に潜ませている幼い表情だった。今は、幼さの面影を残しつつも唐という国の中枢として育ちつつある若人の引き緊った面貌だ。
「それでは、さらばです。もし殿下が、その、偉くなられたら、その時には自分もまた長安に呼び戻されて、再見できることもあるかもしれませんね」
行く行くは李賢が皇太子、皇帝になったら、という言葉はさすがに自重して、王勃は言葉を濁した。現在の皇太子は、李賢の同母兄である李弘だ。李弘に何か異変が起こらない限り、李賢が皇太子になることは無いのだ。
蜀へ旅立つ準備をするために、王勃はそっと退出した。その場には李賢皇子だけが残された。
静寂の中で、皇子は小さく微笑む。
「文才の優れた人は重宝される。それでも、才能に溺れて慢心し、傲慢となって周囲の人から何かと怨みを買う人は、やがて嫌われて疎まれて追い払われてしまう。『史記』や『漢書』に描かれている時代から、その繰り返しだったはずですよね、王先生」
◆◆◆◆
自分を左遷に追い込んだ相手が誰であるか知ることなく、ただ自らが筆を執って書いた『檄英王鶏』文を悔やむ以外に無い。
峻険な道のりの途中で、幾度も甲高い猿の鳴き声を聞いた。その鳴き声自体は、外敵の存在を仲間に知らせているのか、子どもを呼んでいるのか、あるいは単に腹が減っているのか、猿には猿の意味があって鳴いているのだろう。だが、蜀への道を通る者にとっては、その者の背負っている境遇によって、猿の鳴き声の聞こえ方が違ってくる。
威嚇しているように聞こえることもあろう。黄昏の雲の下で舞っている烏の鳴き声と相俟って嘲笑しているように聞こえる時もあるようだ。単に喧しいだけの雑音として聞き流す者もいよう。王勃の耳には、寂しく物悲しく聞こえた。
青い空に、鼠鬚筆で乳のように白い墨汁を刷いたような雲が流れゆく。人馬による旅で幾日か分の隔たりがあるだけで、長安の空と蜀の空は繋がっているはずなのに。猿の鳴き声が聞こえて鋭い岩肌ばかりが見えていると、あまりにも胸を締め付けられて目頭から熱い滴がこみ上げてくる。空が繋がっているならば、同じ色に見えるはずなのに。
幼少時に見上げた山西の空には、年を取ってから見る空よりももっと、無限の大きさの中に鮮やかな青が光り輝いていた。今も昔も、空自体は変わらずに同じはずなのに。童の見る目と、成長した後の目とで、見え方が違う。それと同様に、長安と蜀では空の見え方が異なっている。
だから、ここはもう長安ではないのだ。