・4 三国志の英雄
・4 三国志の英雄
「勃よ、お前は、学問において二人の兄に及ばぬことで、壁にぶつかっている感じであろう」
「…………」
言葉が詰まって、ついでに息も詰まった。前々から王勃の心の片隅で日陰に育つ妖しい毒茸のように大きくなっていた疑念を、父によって言葉とされて肯定されてしまったのである。
「で、あるから、詩の方面でしっかりと芽を出してほしいと思って、あえて言うことにしたのだ。これが理由の一つだ」
「では、もう一つの方は?」
「だから私は、今日、この日が来るのを前々から楽しみにしていたのだ。重陽節、という大切な日。詩の題材として詠まれることも多いという申し分ない日だ。こういう日だからこそ、お前の詩才を試してみたいのだ。兄弟の、と先程は言ったが、本当に知りたいのは、勃の才なのだ」
二つ目の理由を尋ねた王勃の問いは無視されて話は進んだ。
「今から私が詩の一節を詠んでみる。お前は、その後に続けて、対句を為してみなさい」
求める答えを貰えなかった王勃は不満げに唇を尖らせたが、父が自分を試すというのならば応えるまでということで大きく頷いた。気持ちが逸る。
「重陽遊郊、郊野黄花如金釘、釘満野郊」
音吐清朗と、まさに歌うようにして、父は上聯を読み上げた。
聯とは、上下の二句で一組の表現となる。それを一種の装飾として、門柱や戸口、邸内の内壁に書き付けたりする。家の門戸の飾りとして使う場合は「日日有財、招財進宝」といった福を招く願望を記すことが多い。
ここで王勃に求められているのは、父が述べた上聯に呼応した下聯を詠むことだ。一五文字の中で「郊」「野」「釘」の三文字がそれぞれ、四番目と五番目と一五番目、六番目と一四番目、一一番目と一二番目として重複して使われているので、王勃もまた同じ題材を扱って詩情を醸しつつ、文字の重複使用も同様に処理しなければならない。
「さあ、どうかな?」
父は王勃を瞰た。勃は上を瞻ていた。父の目を見ていたのではない。もっと上、空を見ていた。やや雲が多くなっていて、青い部分は申し訳なさそうにのぞいているだけだった。鳥が数羽、飛び去って行く。
「中秋賞月,月浸白萍如玉箋,箋盡浸月」
「む、お見事だな」
父王福畤は思わず天を仰いだ。父として息子に対してひいき目で見ていたものの、期待していた以上に出来の良い答えが出てきた。四番目と五番目と一五番目の文字に「月」、六番目と一四番目に「浸」、一一番目と一二番目に「箋」を重複して使っていて、見事に上聯に対応させている。
「これくらいだったら、それほどは難しくありません。これはちょっとした小手調べ、ということなのですよね?」
王勃は何事も無かったかのように言い放った。自らの詩才を誇大表現したのではない。本当に、この程度なら余裕でできたのだ。もちろん、並の詩人だったならばここまで迅速に下聯を完成させることはできない。ましてや、この完成度であり、王勃はいまだ一〇歳にもならぬ童子なのだ。
「良かろう良かろう。では、次だ。ええと、ええと、」
と言ってから、しばらく上聯が出てこなかった。最初の挑戦で、王勃あそこまで完璧な返答が来るとは思っていなかったため、父の中では第二問を出すための心の準備が整っていなかったのだ。
「北雁南飛、両翅東西分上下」
空を見上げた時に鳥の影が目に入ったため思いついた即興だ。
今度の対句の要点となるのは、「北」と「南」、そして「東西」と「上下」である。全て方向を示す語だ。
上聯を聞いて、王勃は俯いてしまった。苦慮して考えこんでいるのか、と父が思ったのは一瞬だけであった。すぐに王勃は声を発した。
「――前車後轍、雙輪左右輾高低!」
上聯が空を飛ぶ雁という上を題材にしたものだった。それに呼応して、王勃は下聯の題材を下にしたのだ。地面には車の轍がある。そして一文字目に「前」、三番目に「後」、七、八番目に「左右」、一〇、一一番目に「高低」という文字を持ってきた。上聯に対応して方向を示す語を過不足無く使って表現した。
「これも、確かによくできたな」
「父上、これ、自分としてはさっきよりも簡単だったのですが」
「ああ。私も、言ってしまってから、さっきよりも容易だったかもしれないと思ってしまったよ。今度は手応えのあるのを出すからな」
父は酒を飲み干して酒杯を空にしてから腕組みして考えた。そして吟じた。
「捧青鬚三綹、対青灯、読青史、垂青名、手中握青龍偃月」
今度は二一字という長さだ。王勃は小さく微笑んだ。
「それって、さっき兄上たちが関帝廟に行くとかなんとか言っていたから思いついた上聯ですね」
「その通りだ」
三国時代を代表する勇猛で義侠心の厚い武将として名を知られた関羽。隋における仏教の隆盛に乗る形で、関聖帝君、関帝聖君などと呼ばれるようになって神格化され、それが中国全土に広まって行きつつあった。孔子廟が文廟と呼ばれるのに対比して武廟と呼ばれるものの、何故か武の神様というよりは商売の神様として祀られている。三国時代の当時の関羽は、まさか自分が商業において神として祭り上げられる未来など全く予想していなかっただろう。
「勃であっても、さすがに今回は難しかったかな。二一字で長い上聯だし」
「いえ、もうできていますけど」
「なんと」
まるで急に耳元で雄鶏がけたたましく鳴いたのが聞こえたかのように、父は驚きに目を瞠いて身震いした。
「確かにさっきまでの二つよりは若干骨がありましたが、この王勃にとっては五十歩百歩の差でしかありません」
慌てず騒がずに胸を張って、王勃は付け加えた。
「それに、数ある歴史の中では『三国志』が特に好きですから」
幼少時から『漢書』を読み、その顔師古注の誤謬を指摘していた王勃は、当然ながら他の史書もよく読んでいた。物語としての面白さでは『漢書』に勝る司馬遷の『史記』。劉秀が興した東漢の歴史を記した『東観漢記』や范曄の『後漢書』。唐の時代になってから太宗の治世に多数編纂された『晋書』や『隋書』などの史書も読んでいる。だがそれらの中でも特に王勃の心を強く掴んだのは陳寿の正史『三国志』であった。東漢の末期に魏、呉、蜀の三つの国が並び立って覇を競い合い、多くの英傑たちが熱く時代を駆け抜けた。『三国志』が好きであるからには、その時代は王勃の得意分野であった。
九歳の王勃は気息昂揚、自信満満に言い放った。
「芳赤縣千古、秉赤面、掬赤心、輸赤膽、胯下騎赤兔追風」
父は息を呑んだ。短時間に、文句のつけようの無い下聯が紡ぎ出されたのだ。自分の息子とはいえ、その優れた才には驚かずにはいられなかった。
全体の題材を三国志としつつ、青に対応して赤を同じ場所に入れている。他にも、四文字目は三と千で数字繋がりであるし、一八文字目は龍と兔であり動物として統一しているなど、全体として上聯の構造に沿って練られている下聯だ。
「これは視野開闊。うん。お見事だ、勃。あまり慢心を抱いてもらっても困るので日頃はあまり手放しに賞賛するのは控えるようにしているが、今日はおめでたい九月九日でもあるし、これほどまでの出来であれば、褒めないわけにはいくまい。素晴らしいぞ、勃。今日は良き日だ。勃の才能を明瞭に確かめることができたのだからな」
「ありがとうございます、父上」
素っ気なく礼を述べた王勃だったが、心中では九月九日という日の縁起の良さ、特別さを実感し、口元が緩みそうになり、今にもその場で高く飛び跳ねたい衝動を抑え込むのに必死だった。
「一緒に関帝廟に行ってみませんか、父上」
「そうだな。威風凜凜たる関帝爺の塑像と対面すれば、縁起の良い重陽節が更に良い日になるかもしれないな」
少し酒臭い息を吐きながら、父は王勃の手を引いて関帝廟の方へ向かった。酒のせいなのだろうが、父の手は温かく感じた。
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