・24 水辺の山中
・24 水辺の山中
王勃は居住まいを正した。
「そ、そうです。このワタクシが、王勃です。字は子安と申します。詩人としてのワタシを知っておられたのですか。ありがたいことです」
妙に畏まった言い方になってしまった。逆に船頭の方は王勃に対して親近感の距離が大いに縮まったらしい。
「いやあ、まさか、あの有名な詩人の王子安先生に直にお会いできるとは。光栄ですよ。王子安先生が自分の舟に乗ってくれたなんて、兄に会ったら自慢できます」
「そこまで大袈裟に喜んでいただけるほどのものですかね?」
「そりゃそうですよ。だって、あの王子安先生じゃないですか。先生の『山中』の詩は、学の無いオイラでも覚えてしまうほど、単純でありながら心に残る詩ですから。素晴らしいですよ」
「さ、『山中』なのですか……」
意外だった。その題名通り、幽山深谷の情景を詠んだ詩だ。山はどこにでもあるだろうが、この周辺にはそういった高い山は近くには無さそうだ。平坦な地形だからこそ、流れの緩やかな川を舟で旅しているのだ
「懐かしいですな、『山中』。あれは確か、蜀に流されていた時だから、咸亨二年くらいだったと記憶しています。九月九日の重陽の節句だったかと。短いし、難しい字も使っていないから、確かに覚えやすいかもしれません」
王勃は照れくささもあって、少し控えめな声で自作の五言絶句を低唱微吟した。
長江悲已滞
万里念将帰
況復高風晩
山山黄葉飛
当時の王勃は、長江の畔、つまり蜀に滞在すること既に三年ほどになっていた。
万里の遠き彼方にある都の長安に帰りたいという思いを募らせ、悲しみに暮れていた。
高い所に登って親しき人たちと酌み交わす重陽の節句の晩ともなると、悲しみも尚更だ。
一人で登る山では、黄色い葉が風に飛んで、楽しいどころか蕭条たる寂しさだ。
元を辿れば、重陽の節句における登高という風習は、南北朝時代の南朝が発祥だ。故郷の華北を北方騎馬民族に征服されて江南に追われた漢人たちが、どこでもいいから遠くを見渡せる高台に登って、北の故郷を眺めて懐かしむ、というところから始まったのだ。南北朝時代が終わると、元からあった望郷の要素は消えて、九月九日に高い所に登る、という形式だけが残って伝わり続けた。今では食茱萸の赤い実を身に付けて厄払いをし、楽しく菊酒を飲んで健康と長寿を願う行事になっている。この時の王勃は、本来の意味で山に登り、北の方長安を思慕したのだった。
「そうそう、それそれ。味わい深い、いい詩じゃないですか」
船頭は、櫂を漕ぐ手を休めずに、満足そうな晴れやかな表情をした。舟はゆったりと進み続けている。確かに学の無い庶民では、『乾元殿頌』のごとき長くて難解な詩は覚えることは無論無理であろうし、聞いても味わうことすらできぬだろう。
「オイラだけが良いって言っているんじゃないですよ。三人の兄たちもみんな『山中』の詩が素晴らしいって言っていますよ。昔の有名な詩人に東晋の陶淵明とか、屈原とか曹植とか陶潜とか色々いますけど、それらの詩人を上回るってみんな口を揃えて言っていますから」
王勃は苦笑した。半分は照れ笑いだった。
「陶淵明と陶潜は同じ人物ですけどね。でも、そこまで自分のことを賞賛していただけると、お世辞でも光栄です」
潜が諱で、淵明は字である。勃が諱で子安が字であるのと同様だ。
嬉しい気持ちもある反面、王勃の心には謎が渦巻き始めていた。
何故、自分の詩がここまで大いにもてはやされているのだろうか?
学の無い庶民であろうとも、詩を楽しむことは普通にある。華やかな都の長安や洛陽ならばともかく、こういった田舎では娯楽などそう多くはないのだから、詩というのも立派な娯楽だ。船頭やその兄たちが自分で詩を詠むことは難しいにしても、他者の作った詩を読んで味わうことは不自然ではない。
しかし、それにしても、である。詩というのは他にもたくさんあるはずだ。王勃の詩ばかりが話題になるのは些か妙な展開ではなかろうか。
王勃の悩みをも揺らしながら、舟はのんびりと先へ進む。若い娘が菱の実か蓴菜か何かを採っているらしい小舟を巧みに避けて、王勃の旅は続く。王勃は少し振り返った。今の若い娘、日射しを防ぐために布で頬被りをしていたが、なかなか見目麗しかったのではなかったろうか。
夕方頃になって、舟は目的地である船着場に到着した。王勃にとっては幸いなことに、波の緩やかな平穏な船旅だったとはいえ、地面の上に両足を下ろしたら、かえって揺れているような感覚にとらわれた。風で柳の枝が揺れているのか、自分が揺れているのか。こういった感覚は、長時間舟に揺られていた後か、そうでなければ酒を多めに飲んで強烈に酔った時くらいしか味わう機会が無いものだ。
船着場は、川岸に小さな雨避けの小屋が建っている程度のささやかなものだったが、本日の仕事を終えた何艘かの小舟が集まっていて、規模の小ささの割には賑わっているという感じを受ける。王勃が乗ってきたような渡し舟近くに仏寺があるのだろうか、鐘の音が風に乗って流れて来た。
「さてと。今晩の宿を探さなければ」
漁夫や蓮採りの女たちの間を抜けて立ち去ろうとした王勃だったが、背後から、子安先生、と呼び止められた。声にも聞き覚えがあるし、その呼び名を使うことから、相手が誰であるか容易に想像がつく。
「間に合った間に合った。王子安先生、兄たちを連れてきましたんで」
ここまで王勃を運んでくれた船頭と、四人の男たちがいた。
「おお、この人があの王子安さんか」
「あの有名な詩の作者に会えるとは。今日は運が良いな」
「オレもあの『山中』って詩、好きです」
船頭の兄って三人と言っていなかったかな? と思いつつ、船頭を含めると五人の男たちに詩を賞賛されて、作者の王勃としては悪い気はしなかった。お世辞を言われるような状況でもなさそうだし、特に『山中』の詩に限って愛好されている様子なので、本当に詩が好評なのだと受け取って良いだろう。
「その王先生が、オイラの舟に乗ってここまで来てくれたんだから、こんな嬉しいことはないね。枕が高いぜ」
「それを言うなら鼻が高い、じゃないのか?」
「あっそうだっけ? でも枕を高くして寝られるといったら、王先生は、今晩どこで宿をとるか決まっているんですか? もう日が暮れかけているから、今から街まで歩いて行って宿を探すというのは難しい話でしょう。よろしければ、オイラの家に泊まって行きませんか? 大したおもてなしはできませんけど、この辺で採れる魚とか蓮の実あたりの料理ならオイラとしても作るのは得意ですので」
話の内容から王勃が少し知恵を動かして推察するに、どうも船頭は一人暮らしらしい。そして船頭の言う通り、日輪は西の山端に掛かり始めた。山の千里の遥か向こうには吐蕃であるとか天竺であるとか波斯であるといった国があるのだろう。日は大唐を離れ、そういった西の国を目指す旅に出たのだ。どこかをぐるりと大回りして、明日になればまた東の空から出現する。それまでの夜をどこでどう過ごすか。旅人にとっては極めて重要なことだ。できるだけ安心で快適な場所が良い。
「もしかして、お代の心配をしているんなら、そんなのはいりませんから。王子安先生のこれまでの旅と詩について話をしてくれれば、それで十分です。あ、でも、オイラはあまり難しい話にはついていけないんで、分かり易くかみ砕いた話でお願いします」
「なんと。お代まで不要とは」
そこまで詩人としての王勃を高く評価されているというのは、光栄であると同時に、尻の辺りがむず痒くなってくる感じもある。
「そこまで優遇してもらえるなら、お世話になります」
申し出てくれたのが船頭だからこそ、王勃にとっては『法華経』でいうところの、渡りに船を得たるが如く、といったところだった。




