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王勃伝  作者: kanegon
17/25

・17 四面楚歌

・17 四面楚歌



 捕まったといえども、そこから更に詰めの調査もするだろうし、すぐに処刑されるわけではない。時間猶予はある。曹達を救うためには、その間に曹達の無実を証明すればよい、ということだ。

 否。

 曹達の無実の証明は、恐らく無理だろう。歩きながら王勃は下を向いた。左道が行われていたのは事実。それを行ったのが曹達ではなく別の誰かであることを証明する方が早いだろう。

 もし曹達が本当に妖術を使っていたとしたら、その技術を曹達に教えた者が誰か居るはずだ。曹達が一人だけで蠱毒の術を編み出すとは考えられない。しかし、と王勃は思い直す。曹達の他に妖しい術の使い手がいたとしても、曹達の疑いが晴れるわけではない。なんとしても曹達を庇い切るのだという覚悟を決めているが、全く楽観できないほどに、曹達の無実を証明するのは難しいようだ。だからこそ、昔から憎い政敵を陥れるために蠱毒の術の嫌疑をかけるという手法が使われてきて有効だったのだ。

 いざ井戸に着いてみると、先に人が来ていて水を汲んでいた。汲んだ水を両手で掬って、唇を付けて貪るように飲んでいる。

「お、おい、何をしているんだ? 曹達」

 そこに居たのは、そこに居るはずのない曹達であった。

「あ、王参軍ですか。ここまで走ってきたので喉が渇いてしまって、水を飲んでいるんですよ」

「そんなことは言われなくても、見れば分かる」

 王勃は両目を細めて、灰汁抜きせずに蓬を食べたような渋い表情になった。まだ処刑は執行されずに曹達が無事であることは分かったが、それは今後も無事であることを秋毫たりとも保証しない。

「曹達。なぜ、お前がここに居るんだ、と聞いているんだ」

「ですから、水を飲むためでして」

「それはもう分かったから。本来ここに居るはずのないお前が、どうして、ここに来ることができたのだ、と聞いているんだ」

 少し鋭さを増した王勃の声に対して、曹達も真っ正面から王勃に向き直った。しかしすぐに小動物のような慎重さで、左右を向いて視線を走らせた。

「脱走してきたんですよ。あんな土牢になんか、長居したくありませんし」

 心底恐れるように曹達は小刻みに身を震わせた。土牢は西洋ではダンジョンと呼ばれ、囚人にとっては過酷な環境だ。

「なんとか無実を明かして救おうと思っていた矢先に。脱走か。これは、有罪と看なされても言い訳できなくなったな」

 これは、東洋西洋関係なく世界中で太古から行われていた神明裁判の罠にしっかりはまっている。神明裁判を恐れて逃げ出すことが有罪の証明なのだ。ここまで、ああでもないこうでもないと右往左往しながら考えていた事柄が、全部灰燼に帰してしまった。

「それどころか、曹達をここで庇っていたら、犯人逃走の幇助をしたということで、こちらまで類が及んでしまうな」

 濡れた手を振って水滴を払っていた曹達が、動きを止めた。

「……あ、そうですよね。自分がここに居たら、迷惑がかかってしまいますよね。脱獄者の手助けをしたということで、王参軍まで罪を被ってしまうのか」

 叱られた子犬のように悄然とした表情になる曹達。

「だけど、どこに逃げて隠れたらいいのか? ……隠れ家になる場所を三カ所くらい用意しておけば良かったなあ。思いっきり後悔だ」

 漢の劉邦と天下を争った楚の項羽は、周りを敵に囲まれて四面楚歌となった時、聞こえてくる歌を聴きながら「三方向に逃げ道を用意しておけば良かった」と後悔したのであろうか。

 しかし覇王である項羽には弱気は似合わない。抜山蓋世の英雄でも何でもない曹達であるが、落ち込んだ顔は似合わなかった。

「曹達よ。よく聞け。私は、罪人逃亡幇助の罪を被るつもりは無い」

「えっ? じゃあ、オイラを捕まえて役人に突き出すんですか?」

 怯えて震える兎のような弱々しい声で、曹達は問い返した。

「だから最後までよく聞け。もっと根本の部分で、お前を罪人にはしない、と言っているのだ。蠱毒だか鴆毒だか知らないが、それが見つかっただけで曹達を犯人扱いするなどという暴挙を許すことはできない。私が必ず、お前を無実として釈放してみせる」

「王参軍、そんなことができるんですか?」

「それは無理でしょうな」

 曹達は王勃に対してできるのかどうか問いかけたのだが、答えたのは本人ではない闖入者だった。

「まったく。脱獄してどこへ隠れるつもりかと思っていたら。まさか単純にここに来ていたとは。だったら最初からここに駆けつけていれば、無駄足で疲れる必要もありませんでしたね」

 そう言ったのは、黒髪と白髪が混ざりあって灰色の頭になっている男だった。背後には数人の男たちが控えている。

「凶悪犯罪の犯人が看守を武器で脅して縛りあげて脱走したという連絡をうけまして。まったく、無駄にこちらの仕事を増やさないでほしいものですわ」

 示しあわせたわけではないが、王勃と曹達は素早く周囲の状況を確認した。開いた窓の外には武器と防具で武装した男が幾人か見えた。この建物自体取り囲まれているのだろう。鼠の一匹すら逃走を許さぬという構えだ。

「逃げようなどとは考えないことですな。無駄な労力ですから、お互いに」

「な、何をかっこつけているんだ。現にオイラが土牢から抜け出すのに成功しているじゃないか」

「同じ失敗は二度としないし、その分はきちんと取り返しますから」

 現状で優位に立っている灰色の髪の男は、余裕を漂わせた態度をとり、上からの目線で曹達を見くだす。

「とにかく諦めて、おとなしく縛につきなさい」

「くっ……」

「ど、どうするのだ、曹達」

 曹達は進退谷まった。口では強がって、灰色の髪の男に対して反論しても、周囲を固められて逃げ道が無いのは事実だ。詩作においては優れた知恵を発揮する王勃といえども、この状況を打破する方策は咄嗟には思いつかず、周章狼狽するばかりだ。

「安心しなさい。地下牢に逆戻りになるだけであって、すぐには処刑はしないので。そいつ一人だけで極秘とされている蠱毒の作り方を開発したとは思えないのです。誰か、作り方を教えた奴がいるはずなので、拷問して聞き出さなければなりません。左道を使う妖しい輩は、この機会に芋蔓式に一網打尽とするのです」

「ひ、一つだけ質問したい」

「罪人の質問になど答える筋合いは無い。戯言はそのへんにして、おとなしく両手を背中に回せ」

 灰色の髪の男は言いながら背後に目配せする。後ろに控えている男の一人が、円い穴が二つ空いている木の板を用意するのが曹達と王勃にも見えた。罪人の両手を後ろで束縛するための木の枷だ。

「オイラが捕まるのとは別に、王参軍はどうなるのだ? まさかオイラが捕まるのと連坐で王参軍まで逮捕されるなんてことは無いんだろうな?」

 質問には答えないと言っておきながら、灰色の髪の男は無視しなかった。無駄に律儀な人物なのだろう。

「曹達の血縁の者であれば、唐律により縁坐が適用されるところだが、王参軍は曹達とは血縁ではない。だから、蠱毒の術を使った縁坐で王参軍が捕まることはありません。罪人である曹達を庇った、という部分については、この状況を鑑みるに、庇おうと意図して庇ったわけではなく、脱走した曹達がここに押しかけて来て、王参軍は戸惑っているという様子なので、こちらも犯人隠避で捕まるということはないですな」

「本当か?」

「蠱毒の術のような重罪ならば、捕まえれば功績も大きいが、犯人隠匿くらいの小さい犯罪などをいちいち捕まえていたら、手柄よりも諸々の手続きの方が煩雑で面倒なだけですから」

「それを聞いて安心したよ」

 曹達は不敵な笑みを浮かべた。その表情を横目に見た王勃は、曹達の瞳に宿る仄暗い光に、背筋を寒くした。

「おい曹達、何をする気だ?」

 王勃が逮捕されないことが説明されても、曹達が逮捕されて拷問を受けて、いずれ処刑されることには変わりは無い。曹達に安心する要素など皆無のはずではないか。

 大地の底から響きこだまするような低い声で笑いながら、曹達は懐から小さな短刀を取り出して、鞘をその場に捨てて構えた。脱獄の時に使ったという武器なのだろう。



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