・14 友のために怒る
・14 友のために怒る
得意げな馬丁の顔を見て、王勃は心穏やかではなかった。
他者が得意満面となっているということは、王勃が優位に立っていないということだ。自らの才能に恃むところ頗る厚い王勃にとって、それは我慢するに難いことであった。
王勃自身の矜恃だけの問題ではなかった。それ以上に、曹達を貶められていることが許容しがたい侮辱として、王勃には苦く響いた。
今この瞬間の王勃にとってはある意味、自分が直截に侮辱される以上に、曹達が貶されたのが不愉快だった。
熱い。体調不良によって体が熱っぽかったが、それを上回る熱が王勃を焦がす。額から汗がにじみ出てくるのが、まるで手に取るように生々しく感じ取ることができた。
「証拠も無いのに、根拠の無いことで人を罪人扱いするようなことを言うな。おとなしく聞いていれば、際限なく曹達を貶めおって。お主の言いようは、非常に不愉快だぞ」
目に瞋恚の光を宿して強い口調で王勃は窘めた。突然の王勃の変貌ぶりに、馬丁は困惑し動揺した様子だった。
「えっ、どうして王参軍が、そこまでして曹達の奴を庇うのですか? 監督責任を問われるにしても、あくまでも形式重視であって、悪さをしでかした張本人じゃないんだから、王参軍がそこまで深刻になる必要は無いと思いますよ」
「だから、そういうことではないのだ! 曹達をバカにするな、と言っておるのだ!」
大声を挙げて、遂に怒鳴りつけてしまった。この場所が路上であり、誰かに聞かれる可能性もあることなど失念していた。とはいえ、まだ朝早いため、人通りはほとんど無い。
馬丁はというと、なぜ怒鳴られたのか理解できない、という困惑の表情を皺深い顔に浮かべていた。力無く両手を下げて、握っていた手綱も離してしまっている。
「お主は、曹達の何を知っているというのだ! 何も知りはしないくせに、まるで知っているかのように装って、いかなる罪を犯してもおかしくないかのような悪人に仕立て上げる。そのような傲慢なことは、いかんとも許し難い。人物月旦というのは、見た目であるとか、家柄とかだけで判断して良いものではないだろう。勝手な思いこみを先に持っていて、そこから脱却できぬまま真実を見る目を瞑るのも、その人物の評価を誤るという悲しい結果を待つだけだ」
「いや、しかし……」
「なんだ。反論があるとでも言うのか。曹達はバカにして良い人物ではない。だからバカにするのをやめろと言っているのだ。それが理解できんのか!」
「そ、そりゃ、王参軍にそこまで強く言われたら、奴をバカにしたりはしませんよ。でも王参軍は、何故そこまで奴を擁護なさるんですか?」
馬丁のその口調から、反論ではなく単純な疑問としての質問と思われたため、王勃も、怒鳴りつけて相手の発言を封じるような方法を採らなかった。
考える。迷う。答えを求めるも、霞を掴むようなもので、分からない。
「な、何故と言われても、な。……うーむ、そう、改めて言われると、なんでなんだろうなあ? 理由、理由……理由、なんか、無いな。友人を守るのに、理由など必要は無いだろう」
「友人、ですか?」
思いつきを深く考えずに口に出しただけだったが、馬丁に問い返されて、友人という語を改めて王勃は考え直した。そして納得した。王勃から見て、曹達は何なのか。友人という言葉が出てきた時、欠けていた磚を埋めて壁が完成したかのような充足感が押し寄せたのだ。
しっくりきた。深い森を歩いていて、突如木々が無い視界が開けた場所に出たかのような、陽光が頭上から燦々と降り注いでくるような感覚が去来する。
「そう。そうだ。それだ。友人だ。そう言いたかったのだ。曹達は、この王勃にとっての友人なのだ!」
馬丁は明らかにたじろいでいた。右から緩やかに吹いていた風が、急に向きを変えて左から強く吹き、馬丁の髪と鬢を大きく揺らす。
「な、何を仰っているんですか王参軍。だって王参軍は、お若いながらも参軍なのですよ。それに対してあの曹達は……」
「身分が違うから、友人たりえないとでも言うのか。そうではあるまい。友人となるかどうかは、お互いの心が通じ合うかどうかだ。身分は関係あるまい。もっと極端なことを言えば、よく優れた忠犬というのは、飼い主と飼い犬という関係を超えて、お互いの間に友情とも呼べる関係を築くものだろう」
「そ、そうでしょうかね?」
「お主は馬丁だろう。馬に対して慈しみを持って接する場合と、消耗品として粗雑に扱った場合とでは違う、ということくらいは分かるだろう。愛情を注げば、相手が犬や馬であっても応えてくれるはずだ」
「あー。まあ、確かに馬は、カワイイ奴ですよ。たまに気難しいジャジャ馬もいますけど、きちんと誠意をもって育てれば、ちゃんと人間の言うことを聞いてくれるようになりますから。そういう意味では、必ずしも恩に対して恩を返してくれるという保証の無い人間なんかよりは素直な生き物ですわ」
「それは、馬と人間という関係を超えて、お互いに友人となることができるからだろう。違うか?」
激昂した強い口調を緩めて、祖父が孫を諭すような穏やかな口調で王勃は言う。
「自分では、馬たちのことを友人だと思ったことはありません。でも、よく懐いてくれている馬は、こっちのことを友人だと思ってくれているかもしれませんな」
「それと同じことだ。私も今までは曹達のことを朋友と認識してはいなかった。だけど、それに近い名も無き感情を持っていたことは間違いない。友のためだから、熱く怒ることもできる。恐らく曹達の方でも、私に対してそういう思いを抱いていてくれていたはずだ。そう、思っている」
近所の人が、何かの用事に急いでいるのであろう小走りで、王勃と馬丁が立ち話している横を通り過ぎて行く。すれ違いざまに小さく会釈して行ったものの、王勃が厳しい口調で言葉を発しているやりとりの内容については興味を持たなかったようだ。早朝なので、この時間に出歩く人は、自分の用事で忙しいのだろう。
「し、しかし王参軍。曹達のことをバカにするかどうかで詰り合いをしている場合ではないですよ。あいつが捕まってしまったことは事実ですよ。どう、対応されるので?」
議論において王勃に一方的にやりこめられているだけだった馬丁が反論を開始した、というよりは、話を本筋に戻した。
「どう対応するのかと言われても、曹達はなぜ逮捕されたのだか分からなければ、対応のしようも無いだろう。知っているのか?」
今まで少し肩を縮こまらせていた馬丁は、自信を取り戻したように重々しく首肯した。
「はい。小耳に挟んだだけではありますが、知っております。まあ、そのうち、王参軍に対しても、正式な連絡が行くとは思いますけど」
「知っているのか。何なんだ?」
王勃は息せき切って尋ねた。
「あくまでも自分が知っているのは、聞いた話であって、必ずしも正しいという保証は無いのですが」
「くどい前置きは、もういい。だから何故曹達は逮捕されたのか。早く知っていることを言え!」
両目を三角形にいからせて王勃が怒鳴る。二〇代半ばの若さの王勃ではあるが、まるで一〇〇歳過ぎの老仙人であるかの如くに嗄れた声が喉を震わせた。
「そんなに怒鳴られましても……何を言っても怒ったりせずに冷静に聞いていただきたいのですが」
「ちょっと待て。なんだ。よほど言語道断な濡れ衣でも着せられてしまったのか?」
馬丁の長い前置きに苛立ちを高めていた王勃であったが、真相を耳に入れる前に自分がしっかりと覚悟を決めておく必要があるのではないかと思い直し始めた。
しかし王勃が腹をくくるのを待つことなく、馬丁は核心を口にした。