・10 遙かな蜀
・10 遙かな蜀
かつて自分が長安で見送った杜少府もまた、このような感慨を抱いたのだろうか。覇水の橋にて柳の枝を折り、それを環にして贈った。柳は留に通じる。命じられて任地に赴く以上は適わぬこととはいえ、本来は長安に留まり残って欲しいのだ。環は還に通じる。いつか長安に還って来てまた会おうではないか、という想いを託した。
その時には、王勃が最も好んでいる史書の『三国志』中で最も優れた詩人と思われる曹植の詩『贈白馬王彪』に準えて「天涯若比鄰」と詠った。友として想いが通じ合えていれば、どんなに遠い天涯の距離であっても、もうそれはほんの隣に等しいのだ。
そういえば、その時には「同是宦遊人」とも詠んだ。年若い自分もまた、官僚としてはまだまだ旅路の途中で他の地に住んでいる最中である、ということだ。人生というのは常々旅に譬えられる。山西に生まれた王勃は、故郷を離れて長安の地で任に就いていた。そういう意味では杜少府と同じであった。だが今、人生の旅という大きな枠ではなく、蜀に行くという部分で旧友と同じになってしまうとは。詩で述べたことが現実になったようなものだ。
「悪いことばかり考えていても、気持ちも体調も本当に悪くなっていくばかりだ。どうせ蜀に来てしまったのだし、そのことを前向きに受け止めるような考え方をしてみよう」
反省するつもりは無かった。反省する部分など、自分には無い。
誰かが王勃の豊かな才能を嫉んで、おそらく武皇后を通じて皇帝に讒言したため、王勃は蜀に流謫されることになった。悪いのは、讒言をした誰かだ。確かに若い王勃が己の才に奢り、他人に対して傲慢な態度で接したということもあった。
しかし、それのどこがいけないことなのか。
風が強い。ほとんど生えていない髭が風に吹かれて靡くことは無いが、髷を纏めるときにこぼれ落ちた後れ毛が風に吹かれて北の方へ尻尾を振る。
風が強い。衣服の両袖が、裾がはためく。
年齢が若いことなど関係ない。もちろん儒教の考え方では、年長者は敬わねばならない。ならば、年齢を重ねているだけで中身の無い人間にまで遜らなければならないのだろうか。お世辞を言って持ち上げて、得る物は何かあるのだろうか。逆に、自分よりも年下であっても、才能のある者に対しては尊敬していた。李賢皇子のように。
反省しても無駄であろう。仮に王勃が奢りを表に出さず誰に対しても慇懃な態度であったとしても、やはり才に劣る誰かが王勃の優れた才を疎ましく思ったに違いない。自らを磨いて高めるよりも、優れた他人の足を引っ張って相対的に自分の地位を上げることにしか頑張ることができない者は、いつの時代でもいるものなのだ。だったら、無理をして自分の正直な気持ちを抑制する必要など無い。
「才能の優れた人であれば、蔑ろになどしない。例えば……曹植のような」
曹植というのは、魏呉蜀三国が鼎立した時代の優れた詩人だ。魏の文帝である曹丕の弟である。しかし文帝は、弟の豊かな才能を嫉み、ことあるごとに弟を虐げた、とされている。王勃は詩人の先達として、曹植を尊敬している。だから、その曹植と仲の悪かった魏の文帝を好きではなかった。才能があるのに、いや、才能があるからこそ権力から圧迫されてしまう境遇が王勃と曹植とでは共通するので、どうしても自分を重ねてしまう。
「その魏と激しく闘った蜀漢の地に来た、というのも何かの縁か」
名高き軍師として後世に名声を残している諸葛亮も、岩肌だらけの情景を眺め、猿の鳴き声を耳にしながら同じ空を見上げたのだろうか。
そう思っていたら、山の頂付近から雲が増え始めた。陶淵明の『帰去来辞』で「雲無心以出岫」と詠んでいる光景そのものという風情である。
それこそ徐福のような方士が呪術でも使ったのか、としか思えないような、天候の急激な変化であった。それともこれが蜀の地では自然なことなのだろうか。青空と白い雲の比率が次第に逆転して行き、いつの間にか日輪を蔽い隠すほどに雲が面積を広げていた。鼠のような薄い灰色へと、雲に埋められた空は姿を変えていた。
「なんか肌寒くなってきたな」
猿の鳴き声はいつしか聞こえなくなっていた。代わりに耳に届いたのは、風にのって届けられる、鴉たちの群れの声だった。松の木の梢の上を飛んで、塒へ向かっているらしい。
「あんた、こんな所に突っ立って、何してんだ? もう日が暮れてるぞ?」
通りかかった農民に声をかけられて、王勃は我にかえった。
日輪が隠れてしまったので気づかずにいたが、もう夕方なのだ。あっという間に時間が過ぎ去っていた。この地域は、たまたま東西南北に千峰万嶂の高い山並みが聳え立っているため、日が沈むのが早いのだ。
「ああ、ご心配なく。すぐに家に帰りますから」
と、言ってしまってから自らの発言の矛盾に気づいた。「帰る」べき家など、この蜀の地には無いのだ。あくまでもそこは仮住まいなのだ。王勃が本当に帰るべき家は、山西の本貫か、都の長安でしかない。
「しかしこの辺は、山ばかりというか、四方を見渡しても山しかありませんね」
「ああ、それが剣南道というもんだ。剣南といっても、真ん中あたりに行ったら、逆に大平原だらけで山なんぞ一つも見えなくなっちまうようだけどね。あんた、この辺出身ではないね。長安あたりから来なさったのかい。どこかの山にでも登るつもりかい?」
山しか無い、というのは失礼な言い方だったが、地元民はさほど気を悪くした様子も無かった。それが事実だと素直に容認しているのだろう。
「いや、別に山登りなんかしたいわけでは……ああ、いや、やっぱり、折角蜀に来たからには、一つくらいは山に登ってみるのもいいかな」
回りを見渡してみた。四方、どこを見ても、大小何かしらの山が見えるし、山以外は見えない。灰色の空に覆われた峰は、どれも鋭く突き立っているように見える。かなり高いだろう。登るとするとかなり苦労しそうだ。若いとはいえ、室内に籠もって書物を読んだり文章を書いたりする方に重心を置いていたため、山登りのような運動は得意不得意を言う以前に好みではないのだ。山しか無い蜀に来たのだから、長安に呼び戻される前に一度くらいは山登りを経験しておいてもいいだろう、という出来心だけが王勃を突き動かしている。
「あの山なんかはどうだい? 大した高くないし、他の山と比べたら坂道も緩やかだから、慣れていない人でも登り易いと思うよ」
地元の農民が指差して示したのは、確かに小高い丘といった感じのもので、山とはいえないかな、と一瞬王勃は思った。だがそれは、周囲の峻険な高山と比較して小さいというだけであり、どこか広大な平野にあの山が単独で立っていたら、さぞかし勇壮な山として目に鮮やかに映ったことだろう。
「ああ、まあ、ああいう山にでも登ったら、何か詩でも浮かんでくるかな? だったら登ってみようかな、なんかちょっと面倒臭そうだけど」
李賢皇子の側近という身分から左遷されてしまったが、詩によって身を立てようと志したことは忘れてはいなかった。実際、昔よりは今の方が、詩が尊重されつつあるということを肌で感じる。
長安に居る時は、長安の視点から遠く蜀に想いを寄せる詩を詠うことしかできない。いざ実際に蜀に来てみたからには、その厳しい天然の要害たる情景を真に迫って詠んだ詩を賦してみたいものだ。どうせ蜀に来たのだから、蜀に来たなりの成果を残しておきたい。
「なあ、若い兄ちゃん。あの山は葛憤山っていうんだよ。その昔、かの名軍師である諸葛孔明様があの山に登って、山頂で広望し、なかなか上手く行かぬ魏との戦いについて憤りの砂を噛んだんだそうだよ」
右から左へと地元農夫の言葉を聞き流していた王勃だったが、聞き流すことができない名前を聞き、目が一回り大きく開いた。
「え? あの諸葛孔明が登った山なのですか! それって本当のことなのですか?」