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つばさひとつがい  作者: 緒明トキ
隠れネガティブ高坂くん編
5/11

運命を変えたその時に


 その日は、骨折した左手の指の治療に来ていた。

 会計までの十二分二十三秒間、心配そうな幼馴染の顔をぼんやりと思い返していた高坂は、母と知らない女性が話しているのを見て内心首を傾げていた。

 見知った顔ではない。人見知りの母が初対面の人間と和やかに会話している様なんて、生まれて初めて目の当たりにした。

 何度か頭を下げながら母が離れ、女性が軽く手を振る。

母に右手をとられながら、反対側の手にあるチラシをぼんやりと眺めた。

 色が違う二羽の鳥が描かれていて、文字でびっしりと埋め尽くされていたそれは、一番下に団体名と連絡先が載せてある。

 えんすうきょう、と小さな読み仮名を口の中だけで呟くと、心なしか母の手に力が入った。




◆◆◆




「こーさか、おはよ!」

「おはよう、つばさ」


 元気に手を振って現れた隣の家の女の子は、高坂の幼馴染だ。

 誕生日も血液型も名前もお揃いの彼女は、体が弱い高坂とはあらゆる意味で正反対な女の子だった。

 幼いころから家族ぐるみの付き合いがある二人は、少し遠い小学校までの道のりを、毎日一緒に登校していた。


「じゃあ行くか」

「う、うん」


 声をかけると、つばさはぎこちなく頷いて歩きだす。

その少し前にぴくりと動いた手に、高坂は気付いていた。

 丁度二か月前の三時十二分に、手をつないで歩いていたつばさが転んだ時に、誤って高坂の手を握りつぶしてしまったことを気にしているのだろう。

 高坂は小さく笑って、包帯の巻かれていない方の手を差し出した。


「ほら、行くぞ、つばさ」


 幼馴染はぱちぱちと瞬きをする。

 何度か自分の手と高坂の右手を見てから、おずおずと手を差し出して、高坂の手を掴む少し前で止まった。高坂は黙って目を細める。

 つばさは優しい、普通の女の子だ。

 人より力が強いだけで、他人を傷つける身勝手さも一人ぼっちで生きる勇気もない。

 つばさはきっと、高坂の手をとって、また握りつぶすのが怖いのだ。

 高坂は黙ってつばさの手を握る。あ、とつばさが小さく声を上げたが、無視して歩き出す。

 つばさは普通の女の子だが、高坂にとっては特別な女の子だ。

 四年生にもなって、他の生徒に会うまで手と手を繋いで通学するくらいには。

 力が入る気配のないつばさの左手をぎゅっと握って、高坂はそっけなく尋ねた。


「お前、宿題やった?」

「えっ、や、やったよ? 算数と作文……」

「へー、お前また字がきたないって先生におこられるんじゃねえの」

「な、ひっどい! 前の作文は、昼休みに書いたからきたなかっただけだよ!」

「どうだか。書写もへたくそだし」

「こーさかよりはまし! だし!!」


 徐々に元気になっていく声に、高坂はこっそりと笑みを浮かべた。会ってからつばさが元気になるまで、三分四十六秒だった。昨日より早い。

 自分と幼馴染はお互いの全部を分け合って生きているのではないかと思うくらいに、高坂にとってつばさは特別だった。


――特別だから、高坂はつばさと三度目に会った日からずっと、ずっと数を数えている。


 つばさといる時間と、つばさが笑う時間、悲しむ時間、つばさがいない時間。

 そういう全てを覚えていたくてごく自然に始めたそれは、今日で八年二か月と二十七日になる。




◆◆◆




 えんすうきょう、というものが高坂の家を侵食するのはあっという間だった。数にすると十三日だ。

 近所のピアノ教室で講師をしていた母がまず白い服の友人を作り、医者をしていた父もいつの間にか傾倒していた。

 高坂夫婦は地位も収入もそれなりにあったが、それゆえいつもどこか劣等感を拭えないでいた。

――もっと幸福になれるはずではなかったのか。なぜ、地位も収入も下であるはずの隣家の家族が羨ましくなるのか。

 名前も誕生日も同じ香坂家の娘が人一倍丈夫で、高坂家の息子の体が弱かったことも、一因かもしれなかった。

 しかし高坂夫妻は高坂とつばさが仲良くすることには何の異論もなく、寧ろ人懐っこいつばさは好かれてもいた。

 だが二人は、つばさが高坂の左手を握りつぶしてしまった時、大泣きしながら息子を連れてきたつばさや、病院で顔を青くして頭を下げるその両親に、なぜか優越感が首をもたげたことに気付いた。

 自尊心とか嫉妬心だとかいうものがいささか強い二人は、同時に潔癖でもあって、そういった自分の気持ちを恥じてもいた。

 だからこそ短い生を一心に謳歌することを掲げた延雛教に惹かれたらしく、いつしか高坂をつばさの家に預け、仕事と称して集会に通うようになったのだった。




◆◆◆




 その日、高坂は初めて集会に参加した。

 白い服にフードを被った人が幾人も、穏やかに微笑んで頭を下げていた。

 先日仲間に入ったばかりらしい両親が、ベテランらしい壮年の男に話を聞いているうちに、高坂はトイレに立った。

 退屈な話を十四分三十七秒聞かされているのだ。いい加減うんざりしていた。

 ぼんやりと今日のつばさのことを考えていたが、段々こちらにも話を振られるようになって、返事が億劫になった高坂は、早々と離脱を決めた。

 


 また捕まっては敵わないと、トイレからなるべくゆっくり帰っている途中で、年配の白服が二人で話し込んでいるのが目に入った。意識しなくとも会話が聞こえてくる。


「発表は今日だったはずだが」

「そうだな、ついに予言があったらしい」

「いつもより少し遅いようだが、何かあったわけではないだろうな」

「いや、延雛様が決めかねていたというだけだそうだ」

「そのようなこともあるのだな。探すのに手間取らなければよいが」

「どのようなこともあるさ、なにせ延雛様は神なのだから……おお、どうしたのですか、坊や」


 いつの間にか立ち止まっていたらしい。急に声をかけられて、高坂は驚いてわずかに目を見開いた。

 高坂に気付いたらしい白い口ひげをたくわえた方が、穏やかな笑みを浮かべて近づいてくる。

 膝に手をついて顔を覗き込むと、迷子にするように優しく尋ねた。


「ご両親とはぐれてしまったのですか?」

「……あの、トイレに行って」

「そうですか。集会所はあちらですよ」


 しわだらけの指で示された廊下は、高坂がのろのろと向かっていた方向だった。

 この二人がいるうちは、わざとゆっくり歩くこともできそうにない。


 両親と話していた男の胡散臭い猫なで声を思い出してぞっとした高坂は、少しでも時間を稼ごうと口を開いた。

「今日はなにか、発表があるんですか?」

「発表?」


 老人二人はふと顔を見合わせる。

 高坂は先ほど聞いた言葉を話題に選んだだけだったから、意外な反応に少し緊張する。

 と、大きな眼鏡をかけた方がよく似た穏やかな声で答えた。


「なに、別に子どもに秘密にするほどのことじゃない。……坊や、今日は神子のお名前の発表があるのですよ」

「みこの、お名前?」

「ええ。いずれ神のつがいになる人間のことです」

「神? 神さまってことですか?」

「そうです。神さまと、いわば夫婦になるのですよ」

「神さまと?」


 高坂は首を傾げた。

 神さまというのは、この世にはいないはずのものだ。そんなものと夫婦になどなれるわけがない。


「人間と神さまが? どうやって?」

「詳しくは、いずれわかるでしょう。神さまに選ばれた人間が神子となり、神さまと子どもを作るのですよ」

「おそらくきみも、その場に立ち会うことができるのではないかな」

「おれも?」

「ええ」


 老人二人は、きょとんとする高坂を微笑ましそうに見つめる。

 わけがわからない高坂は、生ぬるい視線に寒気を覚えて、包帯が巻いてある左手をそっと腕に添えた。

 口髭の老人が、言い聞かせるようにゆっくりと言う。


「要するに、神さまとつがいになり、子どもを作ることを運命づけられた神子の名前が、今日発表されるのですよ」


――へえ、大変だな。

 素直な感想をのみこんで、「そうなんですか」と無難な返事をした高坂は、足早に集会所へと向かった。

 子どもを作るということは結婚するということだろうから、生まれた時から見ず知らずの神さまと結婚することが決まっているなんて、そのミコとやらは気の毒だと思った。

 自分だったら、幼馴染のあの女の子と結婚したい。見ず知らずでもなければ神さまでもないあの子と結婚して、いつか子どもができたらいいのに――。


 珍しくロマンチックなことを考えて、部屋を出てから十二分五十二秒後に部屋に帰ってきた高坂は、待ちかねていた様子の両親から白いマントのようなものを被せられた。見ると両親も同じものを羽織っている。

 少しぶかぶかのそれはしっかり目元を隠すから、別の考え事をするのにうってつけのものに思われた。

 段々と周りが静かになって集会が本格的に始まる頃、高坂はすっかり自分の世界で、今日のつばさとの会話を思い出してはかみしめていた。




◆◆◆




「――神子の名前は、コウサカツバサ。今回は漢字や性別まではわかりませんでした」




 名前が呼ばれた気がしてふと顔を上げると、呆然と前を見つめる両脇の両親が目に入った。

 周囲がざわついている。始まってから六十二分四十秒経っていた。

 少し身を起こして壇上を見やると、スクリーンにはカタカナで書かれた自分の名前と誕生日が煌々と輝いていた。

 どういうことだろう、と首を傾げると、凝った装飾の白い服を纏った青年が穏やかに微笑んで言った。


「これに当てはまる人間が、今代の神子となります。名前からは性別は確定できませんが、この名前と誕生日で、なにか人間の域を脱したような、卓越した能力を持つのが神子の特徴です。この近辺――遠くとも隣の市町村には住んでいるようなので、心当たりのある方はご一報願います」


 背中に冷たいものが走って、高坂は目を見開いた。

 これはおそらく、高坂の名前ではない。高坂の誕生日ではない。

 神がかった力を持った、高坂翼の幼馴染――香坂つばさのものだ。

 同じことを思ったのか、高坂の両親は青い顔をしている。

 二人が何を考えているのか高坂には正確にはわかりかねたが、自分の胸でじりじりと燻る熱には気づいていた。


――つばさが神さまと夫婦になるなんて、考えたくもない。

――つばさが神さまの子を産むなんて、考えたくもない。


 高坂は、包帯の巻かれた左手を強く握りしめた。治りかけの骨がきしむ。

 幼馴染の小さな手を思い出して、あれは自分のものだったはずだと唇を噛んだ。

 つばさは高坂の特別な女の子だ。今までずっとそうだし、これからもきっとそうだ。

 後出しで言い出した神さまになんて、絶対にやるものか。

 生まれて初めての強烈な感情に身を任せたまま、高坂は冷えた頭で考えた。

 そして、三秒後にふと思いついた――から、実行した。




「――はい」




 高坂は、先生に質問をする時よりずっと真面目に、ぴんと手を上げた。

 両親が驚いたような顔でこちらを見たのがわかる。ざわめきが一気に静まり、注目を浴びているのを感じた。


「なにかな? きみ」


 特徴のないよく通る声が耳に飛び込んでくる。高坂は、静かに立ち上がった。

 注目を浴びたまま、前が見えないフードをゆっくりと外して、確かめるように言う。


「――それ、おれです」

「つ、つうくん……?」

「おれがその、コウサカツバサだと思います」


 困惑まじりの母の声を押しつぶすようにはっきりと言って、壇上を真っ直ぐに見つめた。

 感情の見えない青年の目が、値踏みするかのようにわずかに細められる。

 傍に控えた男が何事かをささやくと、青年は笑顔のまま頷いて、朗々と言った。


「先日正式に我らの友となった高坂夫妻の息子さんだね。きみは翼くんというの?」

「はい。高坂翼です」

「なるほど。しかしきみは体が弱いと伺っているよ。きみの〝力〟はなんだい?」

「おれの力は――」


 きっちり五秒考えて、高坂は堂々と言った。

 香坂つばさと神さまが結ばれる運命を、その結末を断ち切るために。


「数えることです。ずっと時間を数えています。その間のことは、全部覚えてます」


 父が驚いて高坂を見上げ、母が脅えたように肩を震わせたのを知りながら、高坂は真っ直ぐ前だけを見つめていた。

 それから両親と別室に連れて行かれた高坂翼は、七十二分四十八秒後に神子になった。

 



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