第十五話 製造戦騎
そもそもの始まりへ遡ると、この出来事の始まりは、およそ四十年近く前の事である。
かつては誰もが畏怖した神や悪魔の存在が、迷信と呼ばれるようになった現代。迷信として扱われるのは聖獣も同じ事だが、さる国の政府は聖獣の事を極秘に研究していた。最も、一般人が聖獣を捕まえたのではなく、神司が自ら研究を始めたのだ。
この研究で行われているのは、聖獣の力を科学的に解析し、その力を兵器として運用する事である。悲しい事かな、力から知恵を得た聖獣と違い、知恵を力に変えた人間は、少しでも強力な力を見つけると、それらを人を傷つける為の道具にしてしまうきらいがある。
しかし、今ここでその事を追及しても意味ないので、話を続けることにする。研究を続けた結果、研究者たちは一体の聖獣を生み出す事に成功した。
その聖獣は、どのような経緯で手に入れたのかは不明だが、妖精族の中でも群を抜いて強い力を持つ聖獣の一体と言われる「ヴァルキリー」、その中でも最強と称される「ブリュンヒルデ」の遺伝子を元に、様々な聖獣の力を持てる聖獣として生み出された。その結果、見た目は人間の少女なのだが、背中にドラゴンを思わせる巨大な翼、腰からはドラゴンを思わせる長く太い尾が生えている。簡単に言ってしまえば、妖精の不思議な術を扱う力と、ドラゴンの戦闘力、巨人の怪力や運動能力を持っている彼女は、通常部族は一つと言う制限を受け付けない、特殊な聖獣として誕生したのだ。
(私は……?)
自身の肉体が浮かぶ特殊な溶液の中で、その聖獣、後に「ポラリス」と名乗る彼女は意識を覚醒させ、辛うじて見える目から見える光景を見ながら思った。自身の肉体がある場所には、白衣を身に着けた数多くの人間が居り、様々な行動を行っている。何かを記録する者や、何かを相談している者。彼女はまだ耳が聞こえないので、一体相手が何を言っているのかを知る事は出来なかった。
(私は誰、そしてここはどこなの?)
ポラリスは声を発する事が出来ないので、口に出すことなく問うた。だが、答える者は誰も居なかった。
ちなみに、この時研究員はどんな会話をしていたかと言うと、
「主任、サンプル0、ポラリスが意識を覚醒させました。」
研究員の一人がこう言った。
「そうか、覚醒している感覚はどれくらいある?」
主任と呼ばれた研究員は、こう言った。
「そうですね、視覚と嗅覚だけで、後は全部だめです。言葉すら発せない状態です。」
研究員の一人がこう言うと、主任はこう指示を出した。
「良し、ならば引き続き対象の観察。感覚を持ち始め次第、逐一報告せよ!!」
「はい!!」
研究員が返事を返すと、主任は一旦部屋の外に出て、研究をするように言って資金や場所を提供した相手に、現在の進捗状況を報告しに行った。
「ふむ、これまでのサンプル達の失敗例を参考に、肉体を構成する構造を大幅に変更する事で、意識を覚醒させることに成功したか?」
報告を聞いた男がこう言うと、
「はい、今のところは視覚と嗅覚しか機能しておらず、言葉も発せませんが、その問題もいずれ解消できるでしょう。」
主任はこう付け足した。
「そうか、では引き続き頼む、この研究を成功させれば、我が国家はあの国より優位に立つことが出来る。」
男が主任にこう言うと、主任は部屋を出て行った。研究室に戻ったのである。
一方男は「聖獣兵器計画」と書かれた冊子に眼を下すと、こう呟いた。
「通常の兵士は勿論、兵器すら凌駕する聖獣の力。これを兵器として用いれば……」
この時、この男は気が付いて居なかった。知恵を力に変えると言う事の恐ろしさ、そして、これから悲劇が起こると言う事に。
それからも、研究員達は日々研究を続けた。ポラリスの意識が覚醒した以上、後は触覚や味覚、聴覚と言った感覚、言語を発する能力を持たせて、自立できるようにするのが、彼らのやらなければならない作業なのである。
なので、彼らはポラリスに様々な刺激を与える事で、感覚を覚醒させようとした。あらゆる薬を投与し、時には電気などの直接的な刺激を与え、場合によっては彼女の体の構造自体を組み替えて、どうにか彼女の感覚を覚醒させようと必死になっていた。
一方ポラリスは、何をどうされようと一切動じる事は無かった。元々自身がどうにかされている感覚が無かったため、自身が人間は愚か聖獣を通り越し、正真正銘の化け物へと変わって行く事に、彼女は何も思わなかった。
だが時折、彼女は夢のような物を見た。全身を鎧で武装しながらも、どちらかと言えば軽装なので、女性らしく出る所は出ているスタイルと、背中から生えた純白の羽が目立つ天使が、戦場のような場所に身を置き、その場に広がる凄惨な光景を眺めている光景である。彼女は涙を流している事から、目の前で起こった戦闘で犠牲になった人を悼んでいるのだろう。やがて、彼女はポラリスの方を向くと、より一層の涙を流し、そして消えた。
(待って、貴方は一体誰なの!!)
彼女はいつもこの夢を見るたび、彼女に語りかけたが、彼女が答える事は無かった。
「待って!!」
この日も同じ夢を見たポラリスは、いつもと同じように叫んだ。しかしその瞬間、口の中、そして喉の奥に何かが急激な勢いで流れ込むのを感じた。早い話、彼女は自身の入っている溶液の中で声を発した為に、口の中に溶液が流れ込んできたのだ。その際、全身が液体に浸っている事を感じ取り、口に入った液体がとても苦く感じたので、触覚と味覚も機能しているのだろう。
「主任!!サンプル0のバイタルが急激に下がっています!!」
様子を見ていた研究員は、主任に言った。
「何だと、まさか溶液の中で声を発し、溶液を飲み込んだのか?」
主任はこう言うと、
「今すぐ溶液を抜け!!」
と、指示を出した。
「はい!!」
すぐさま研究員の一人が、何かのボタンを押した。それにより、ポラリスの浸っていた液体がすべて抜かれて、ポラリスは溶液から解放された。
「…ゲホッ!ゲホッ!!」
溶液から解放されたポラリスが、自ら飲み込んだ溶液を吐き出すと、主任は彼女に訊いた。
「ポラリス、私が分かるか?」
その時、ポラリスはこの言葉をはっきりと訊き取っていた。聴覚も機能していると言う事である。
「……」
あえて何も言わずに頷くことで、それを肯定すると、
「そうか、とにかくまずはこの世界に生まれてた事を祝福しよう。おめでとう。」
主任はこう言って、拍手を送った。その際、他の研究員は呆れていたが、主任に促されるや否や、渋々拍手を送った。
そんな中、ポラリスは彼らの行動に何も思う事無く、考え込んでいた。
(一体私は何者なの?どうしてこの場所に居るの?そして、あれは一体誰?)
彼女自身、先ほどの主任研究員の言葉で、自分が彼らにポラリスと呼ばれている事は理解できた。しかし、何故自分がこの場所に居るのか、そして以前から気にしていた夢に出てくる、謎の天使の事である。
その疑問は、先方が彼女の思考を知ってか知らないでか、説明を始めた。
「ポラリス、君はここで我々に作り出されたんだ。妖精族の中でも、群を抜いて強力とされる聖獣「ヴァルキリー」中でも最強と謳われる「ブリュンヒルデ」の肉体を複製した肉体を素体にし、様々な聖獣の強力な部分だけを足し合わせて、この世に存在する何者よりも強い聖獣として、君を誕生させた。」
「何者よりも、強い。」
ポラリスがこう呟いた瞬間である。彼女は自身の中で何かが目覚めるのを感じ取った。目覚めた何かは、まるで彼女の中から出ようと暴れるように、ポラリスに対し訴えている、
「解放しろ!!」
と。
「貴方は誰?」
ポラリスはこう呟くと、右手を前に突き出した。結果、彼女の手から解き放たれた強力すぎる霊力は、研究室の規格外に頑丈な壁を一撃で粉々に粉砕した。
「な、何だ?」
研究員達が驚くと、ポラリスは次々と自身の力を解放させ始めた。自身から見て右へ、左へ、上へと、次々と力を解放し、研究室は愚か研究施設そのものを破壊させようとしている。
「まさか、力を制御できていないのか!!」
主任はこう言うと、ポラリスに言った。
「駄目だ、闇雲に力を解放してはいけない!!力を制御するんだ!!」
しかし、この言葉はポラリスに届くことは無く、主任は攻撃の直撃は無かったが、破壊された機材の爆発に巻き込まれて、大きく吹き飛ばされてしまった。
「まさか、私たちはとんでもない怪物を生み出してしまったのか?自らの知恵を過信しすぎて。」
主任は大けがを負いながらこう呟くと、特にひどいけがを負っている足の痛みに耐えきれず、そのまま意識を失った。
その頃、聖獣を兵器に転用する計画を提案し、研究員に研究施設と資金を与えていた男はと言うと、主任の指示で報告にやって来た研究員の報告を聞いていた。
「……と言う訳で、ポラリスは無事に覚醒しました。視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚も得ましたし、知識と言語も得た完璧な状態です。」
研究員が、これまでの報告をすると、男はこう言った。
「とうとうここまで来た。これで我が国は彼の国より優位に立てる。そればかりか、私が世界の頂点に君臨する事も……」
そして、こみ上げる笑いが我慢できなくなったのか、
「ククク、フフフ、フハハハハ!!」
アニメや漫画などで悪人のボスが良く行う、三段階に分けた高笑いをすると、
「それでは、これからも資金は提供するので、研究は続けて欲しい。次は、同じような聖獣で構成される軍隊を形成できるように……」
と、報告に来た研究員に、主任に対し伝えるように頼んだ。しかし、この瞬間、突然自身の部屋は勿論、施設全体に警報が鳴り始めた。
「な、何事だ?!」
男がこう言った瞬間である。突然、部屋の壁を一瞬で粉々にするほどの衝撃波が襲いかかって来た。あまりに突然の事であった為、研究員も男も、防御も回避も行えずに衝撃波に当てられ、そのショックで絶命した。
「あ、あれ?」
ポラリスは、自身の目の前に広がる光景を見ながら、思わず絶句した。今まで自分は研究室に居たのだが、今は森で覆われた土地に散乱する瓦礫の中に居る。最も、瓦礫の正体はポラリスの発した衝撃波で破壊された研究の残骸なのだが、ポラリスはその事に気が付かない。
「どうして、こんな事に?」
ポラリスがこう呟くと、何者かが彼女に近づいて来て、こう言った。
「お前の力の為だよ。凄いじゃねえか。」
そこに居たのは、立派なコートを着込み、腰に剣を差した男である。見た目はただの人間であるが、その存在感は圧倒的なので、考えるまでも無く巨人族の聖獣であると判断できる。
「人間に生み出された聖獣が居ると聞いて来てみれば、これは予想の遥か上を行くな。」
「聖獣?」
男の発した単語「聖獣」に、ポラリスが疑問を覚えて復唱すると、
「聖獣って言うのはな、この世界を生み出して、人間より昔からこの世界に暮らしている生き物さ。俺やお前みたいなのを総じてそう呼んでいる。」
男はこう言うと、
「確かにお前を生み出した人間は凄いさ。知恵を力に変える事で生態系の上位に君臨し、俺達聖獣から世界を奪い取ったくらいだ。だが、何をどのようにして抗った所で、人間より聖獣の方が強いのは一目瞭然だ。」
と、ポラリスに言った。
「何が言いたいの?」
ポラリスがこう訊き返すと、男はこう言った、
「そうだな、言葉の意味が理解できるかは分からないが言わせて貰うとだな、俺と手を組まないかと言う事だ。確かにお前の力は凄い。だが、凄すぎて世界を破壊しかねない。そうなっては俺が困るのは当然だが、お前の身には人間たちの抵抗と言う名目で行われる暴力を一身に受けなければならなくなる。何、お前が勝手な事をしなければ、俺から何かをするような真似はしない。」
「私に何をさせたいの?」
ポラリスが、若干の警戒心を持ちながら彼に訊くと、
「そうだな、まずは俺と一緒に来てくれるか?」
男はこう言って、ポラリスにある物を渡した。それは、白と青を基調とした和服である。
「そのままだと風邪をひくし、それ以前に俺が困る。」
男はこう言うと、そっぽを向いた。彼の言いたい事をストレートに表現すると、
「全裸のままで居られたら体に悪いし、そもそも目のやり場に困る。」
と言う事である。
その後、悪戦苦闘しながらも白と青の和服を身に着けたポラリスは、男と一緒にある場所にやって来た。
そこが何処かは分からないが、少なくとも自分にとって安全であると、ポラリスは感じた。彼女はそこで、日本の武者甲冑を思わせる装備を身に付けさせられた。通常の胴丸を始めとした装備は勿論、兜や仮面も揃っているので、防御は勿論正体を隠すのにも適した装備である。ただ唯一の欠点は、これを着ている間は自身の力が封じ込められる事である。
「私の力を防具で抑え込む、こんな状態にして何をさせるつもり?」
ポラリスが訊くと、男はこう言った。
「お前は何より、力を制御できるようになる事が最重要課題だ。そのまま制御できない力を放っておけば、いずれ大変な事になる。何、修業の相手はちゃんと用意してやる。」
男が出したポラリスの修業の内容、それは彼の宛がう聖獣と戦う事であった。力を制御されている状態であったが、ポラリスは強かった。ある時はヨルムガンドのように巨大な聖獣を、ある時は巨人族の屈強なる戦士を倒した。数多くこなした戦いの中で、彼女は自身の中に眠っていた巨人族、妖精族、ドラゴン族の聖獣の本能や潜在能力を開花させていき、様々な術や武器を使用できるようになった。
その後、男は彼女に「好きな時に異空間に仕舞った武器を出せる」右手用の籠手と、「破壊されない限り一発も攻撃を通さず、攻撃終了後に受けたダメージをそのまま反射するシールドを作り出す」左手用の籠手を彼女に与えた。
これを得た後のポラリスの強さは留まる事を知らず、雷神と風神の力を持つ聖獣の雷と風を打ち破り、三体の連携を駆使して襲い掛かる狼型の聖獣を蹴散らし、鳳凰の光すら通用しない程の実力を発揮し始めた。戦闘後、相手の聖獣が武器を使用していた場合、その武器を勝手に持っていくようにもなり、「強奪者」としての異名を持つようにもなった。
そんな毎日を繰り返す中、ポラリスは再び夢を見るようになった。自分が研究所に居た時に何度も見た、天使が自身を見るや否や、涙を流して居なくなる夢を、
「貴方は誰なの?聖獣なの?私と貴方、どっちが強いの?」
その夢を見る度見る度、ポラリスは何度も目の前の天使に訊いた。しかし、何度訊こうと、彼女がそれに答える事は無かった。
数日後、ポラリスは男に訊いた。
「いつまでこれを続ければ良い?」
「いつまで、お前が力をしっかり制御できるようになったのなら、それは外れるように出来ているが。」
男はポラリスにこう言うと、彼女に訊いた。
「もしかして、今のままじゃ不満か?」
ポラリスはあえて答えなかった。男はこれを、彼女が不満を持っている為、と判断すると、
「だったら、さっさと力の制御が出来るように成長するんだな、出なければ、お前はいつまでも裏切り者を始末する係だぞ。」
と、ポラリスに言った。
ちなみに、彼がポラリスの為に用意した聖獣は皆、彼が構成する謎の組織の構成員であり、組織を裏切る、もしくは何か失態を犯した聖獣なのだ。男は彼らに、
「これから出てくる相手に勝利したら、足抜けしても良いし、犯した失態をすべて帳消しにしてやる。」
と言って、彼らを戦いの場に駆り立て、その結果聖獣たちはポラリスに倒されたと言う訳である。
その事を知ったポラリスは、自身の中から何か激しい物がこみ上げてくるのを感じた。後に知る事であるが、これは怒りの感情である。
「私は、アンタの便利屋になった覚えはない!!」
ポラリスは怒りの余りこう叫ぶと、自らの力を抑え込むはずの鎧を粉みじんに破壊した。
「な、何だと?!」
男が驚くと、ポラリスは自分の居る場所から、外に繋がる通路を無理矢理作り出し、外へと出て行った。
「うわぁ、予想以上の力だな、おい。」
男は様子を見ながら、こう呟いた。そして、騒ぎを聞きつけてやって来た部下に、空いた穴を塞ぐように命じると、自身は部屋から出て行った。何故だかは分からないが、ポラリスを追いかけようとは思わなかった。
脱出したポラリスは、久しぶりに解放した背中の翼で飛翔すると、日本と呼ばれている国に現れて、高い建物の屋上に降り立った。そこから見える、様々な人が行きかう街並みを眺めながら、彼女は思った。
(あれが人間、知恵から力を得た地球の民)
つい先ほどまで彼女と組んでいた男は、人間は知恵から力を得た故に、この世界の何者よりも危険な生き物だと、事あるごとに言っていた。しかし、彼女の眼下で生活している人々は、そこらの犬よりも危険度の感じられない、のほほんと言う擬音が似合う穏やかな活動をしている。
「ここに居ても、何も分からないか。」
ポラリスはこう思うと、生活する人々の中に紛れ込んだ。勿論、背中の翼と尾は隠している。
彼女が街の中を歩くと、人々の目線は一気に彼女に集まった。洋服を見に付けるのがスタンダードとなった時代に置いて、若い少女が和服を身に着けて歩く事ほど珍しい事は無いためである。
「私、何か変な事をしてます?」
ポラリスがこう思った瞬間である。
「そこの御嬢さん。」
誰かがポラリスに声を掛けた。
「? 呼びました?」
ポラリスが反応し、呼びかけの声の聞こえた方に顔と体を向けると、そこには和菓子屋があり、愛想の良さそうなお婆さんがニコニコと明るい笑顔を向けながら立っていた。
「いや、このご時世に和服なんて珍しくて。何かお祝い事?」
おばあさんがこう訊くと、
「いえ、これが普段着何です。」
ポラリスはこれ以外に服を持っていないので、こう答えた。するとおばあさんは、
「まあ、良く似合っていて良いじゃない。私も今ではこんなだけど、昔はこの辺りでは一番の美人と言われ……」
と、昔話を語り始めた。
「あ、あの…」
ポラリスは声を掛けようとしたが、お婆さんは過去の初恋の思い出や、今は亡き夫との出会い、初めての子供が生まれ、その子供が結婚しその子供、早い話「孫」を連れてきたときまでの事を、三時間かけて話した。
その間、ポラリスは嫌な顔せず彼女の話を聞いていた。今まで聞いた事の無い話だったので、新鮮味が感じられたのが理由だが、何より話をしているお婆さんが楽しそうにしており、それを見ているのがとても嬉しかったからである。
やがて、お婆さんが話を終えると、彼女は店の饅頭を四つほど持ってきて、ポラリスに渡した。
「あの、私、お金は……」
ポラリス自身、世間に付いて知らない事は色々あるが、物を買う時はお金を払う、と言う常識は心得ている。自分には持ち合わせが無いので、その事を正直に訴えたが、
「サービスだよ、持って行っておくれ。」
おばあさんはこう言っているので、ポラリスは貰って行く事にした。
その後、ポラリスが一人で街を練り歩きながら、貰った饅頭を齧っていた時である。突然、彼女の周りから人々が消えた。最も、人が予兆なしに消える怪現象等、一つを除いて存在はしていない。彼女は、神司によって決闘空間に引き込まれたのだ。
背後から聖獣と人間の霊力の波動を感じたポラリスはこう言った。
「あの、私がこれを食べ終えるまで待ってくれませんか?」
彼女の手には、最後の一個の饅頭が握られており、四つの饅頭の内三つ目は、現在口の中で噛み砕かれている。
しかし、神司は彼女の申し出を訊くことなく、一体の聖獣を召喚した。見た目は妖精族を思わせる美しい女性なのだが、その全身は人工皮膚や鉄製の骨格で構成される、機械族の聖獣であり、名前をドロシーと言う、
「行け!ドロシー!」
神司がこう言うと、ドロシーは腕を大剣に変形させると、ポラリスへと切りかかった。
一方のポラリスは、全く動じる事無く口の饅頭を飲み込み、最後の一個の饅頭を口に咥えると、武器を自由に出し入れできる右手の手甲を後ろに向けて突き出した。その結果、籠手の周囲に空間の歪みが生じ、そこから数多くの剣やら槍やら斧が射出され、ドロシーを大きく吹っ飛ばした。誰が見ても、ポラリスが勝利し、ドロシーが敗北したのは明らかだ。
ドロシーの負ける様子を見た神司は、
「くそっ、こんな弱い聖獣いるか!!」
と叫ぶと、ドロシーを捨てて出て行った。
一方のドロシーは、ポラリスの前で正座をすると、
「覚悟は出来ています。一思いに壊して下さい。」
と言った。
だがポラリスは、
「人間から解放された、そういう考えは出来ないんですか?」
と、ドロシーに訊いた。ドロシーはこの問いに、
「聖獣は人間と組んで初めて真価を発揮する者、それが機械族なら尚更です。」
と、答えた。
この答えを聞いたポラリスは、彼女に言った。
「それなら、もう一回探してみたら、自身が最も真価を発揮できる人間を。私も手伝います。」
この出会いを始まりに、ポラリスはドロシーを始めとする様々な聖獣を次々と傘下に加え、一つの組織を作り出した。
だが、今まで目立った動きをしなかった故、その目的は誰にも知られる事は無かった。
そしてしばらく後になり、いよいよ彼女たちが動き出す。
「……、ポラリス、起きて下さい。」
過去を回想していたポラリスは、ドロシーの問いかけで我に返った。組織を構成し、そのトップに立つポラリスは、基本皆には様付で呼ばれている。しかし、ドロシーを始めとする古参の聖獣は、彼女を普通に呼ぶこともあるのだ。
「ドロシー、どうしたの?」
ポラリスがこう言うと、ドロシーは彼女に言った。
「奴らが来ました。入り口が見つからずに立ち往生しています。」
そして、外の映像が映るディスプレイを彼女に差し出した。そこには、様々な場所を確認し、何かを探す小学生ぐらいの子供八人、正確には綾小路源とその仲間達が居た。
「それじゃあ、案内してあげましょう。」
ポラリスはこう言うと、ドロシーにディスプレイを返し、精神感応を用いて一部のメンバーに指示を飛ばした。
「それでは、手筈通りに。」
「えっと、資料によると、ここだよな。」
綾小路源は、手に持ったメモ書きを見ながら、あたりを見回してこう言った。
「あの人の言う事、本当に信じるの?」
そんな源に、直葉はこう訊いた。
「だって、今の所一番有力な情報がこれなんだから。東京まで来ちゃったけど。」
そんな彼女に、源はこう答えた。
何故彼らが東京まで出てきているのか、それには理由がある。それは、今からおよそ十分前の事である、
何者かに襲撃された龍皇、その黒幕を探そうと、神司部のメンバーと祐介達が一致団結した直後である。皆はある事に気が付いた。正確には、気が付いてしまった。
「手がかり、何も無いじゃん。」
彼らには、龍皇が何者かに襲撃された、何者かが綾小路源を襲撃したと、ドラゴン族の聖獣に虚言を与えた、と言う事実しか無く、肝心の敵がどこにいるか分からない。
「どうしよう、レイラは帰っちゃったし。」
源がこう呟いた時である、
「ほうお前達、ポラリスと会いたいのか?」
と、どこからか声が響いた。
「江美、何か言った?」
「……小雪?」
声を聴いた彩妃と、直葉が両者にこう訊き、
「違うよ。」
江美と小雪が揃って否定した時である。彼らの頭上より、一人の女性が舞い降りた。背中には巨大な純白の翼が生えており、細めながらも出る所は出ている綺麗なスタイル、整った顔立ちが特徴の文字通りの美女である。全身に鎧を身に着けているので、巨人族か妖精族の聖獣だろう。皆がこう考えると、舞い降りた女性は口を開いた、
「私はヴァルキリーエリートの一人だ。訳あってお前たちに協力させてもらう。」
ヴァルキリーエリートと言うのは、ヴァルキリーの中でも特に強力な力を持ち、数多くの修羅場を潜り抜けた文字通り「強者」が名乗る事の出来る称号である。この称号を持てるのはとても名誉な事なのだが、何故か彼女は名前を名乗らなかった。
彼女は源にあるメモを渡すと、
「そこに書かれている住所、そこに今回の事件の黒幕である聖獣が居る場所への入り口がある。だがくれぐれも気を付けろ、普通の相手では無いぞ。」
と、皆に言った。
「ちょっと待て、何でアンタがそんな事を知っているんだ?」
相手の話が終わるや否や、直樹は目の前のヴァルキリーに訊いた。
「さっきも言っただろう、少し訳ありなんだ。」
ヴァルキリーがこう答えると、
「答えになってません。」
と、薫が言った。そんな彼らに、源はこう言った。
「とにかく行ってみよう。何かあるかもしれないし。」
彼自身、薫や直樹と同じ懸念を抱いて居ないと言うと嘘になる。だが、このまま何もしないで事態が動かないのを待つより、破滅覚悟で行動を起こして次の結果を見るのが得策と判断し、彼らにこう言ったのだ。
「そりゃそうだけどさ。」
直樹と薫はこう言っているが、他の面子はやる気満々なので、了解して死地に赴く事にした。その様子を見たヴァルキリーは、
「それでは、全員で一塊になってくれるか?」
と言うと、皆を一か所に纏め始めた。なので、源達は背中合わせになって一塊になると、ヴァルキリーは指で印を切ると、何かを唱え始めた。
結果、源達の足元に見た事も無い言語で呪文の描かれた魔法陣が現れた。
「な、何だこれ?」
足元を見た皆がこう言うと、ヴァルキリーはこう言った。
「大人しく、そして黙っていろ。舌を噛むぞ!!」
その瞬間、その場から皆の姿が一瞬で消え去った。
その数秒後、源とその仲間たちは現在居る場所へと現れた。
「な、何だったの?」
小雪が周りを見回しながら言うと、
「とにかく、点呼。」
江美はこう言って、皆の名前を呼んだ。
「彩妃!」
「はい。」
「直葉さん!」
「はい。」
「小雪さん!」
「居るよ。」
女子陣の名前を呼び、皆が問題なく返事をすると、
「良し、OK。」
と、江美は言った。そんな江美に、
「ちょ、男性陣も点呼してよ!」
「恥ずかしながら、男性陣四人も無事現着であります。」
祐介、薫がこう言った。
「さてと、冗談はさておき。」
そんな彼らに、江美はこう言うと、
「ところで源、貴方さっきヴァルキリーに何かを貰っていたよね。」
と、周りを見回していた源に訊いた。
「ああ、これの事。」
源はこう言うと、江美に一枚の紙を渡した。そこには、通常の日本語で解説の振られた手書きの地図が書かれており、自分たちが居る場所と思われる場所に赤丸で印がされて、入り口と書かれている。
「地図に書いてある建物の配置と、ここから見える景色から判断するに、ここが目的地だよな。ここ東京だけど。」
改めて周りを眺めまわした祐介がこう言うと、
「とにかく探してみよう。何か手がかりがあるはずだし。」
源は皆にこう言って、彼らは周囲を調べ始めた。
そして、今に至ると言う訳である。
「もう、と言うかまだ十分?ここまで探して何も無いんだよ、それなのに全然見つからないとなると、私たち騙されたんじゃない。」
直葉は源にこう言ったが、源はあたりを見回しているだけで何も言わない。
「あの?」
直葉が彼の顔を覗き込むと、彼はこう言った。
「まさか、探し物が減るどころか、むしろ増えている。」
「は?」
源の一言を疑問に思った直葉は、あたりを見回してみた。その結果、彼の言っている言葉の意味を理解することが出来た。
「まさか?」
今この場所に居るのは源と直葉だけで、他の面子、江美や彩妃、直樹や薫、祐介や小雪はこの場に居ないのだ。
(私、今源と二人っきり?)
直葉は心の中でこう思ったが、一方の源はあたりを見回してこう言った。
「まさか、あいつ等だけ勝手におやつを調達に?」
源は彼らが居なくなった事を、余り危機的な事とは考えていないようで、勝手にこう予想している。
一方の直葉は、自身の心臓の不自然な高鳴りを抑えながら、こう思っていた。
(落ち着いて直葉、今は千載一遇のチャンスなんだから)
直葉は何とか気分を落ち着けると、源に話しかけた。
「源、ちょっと良いかな。」
「? 何?」
源がこう返すと、直葉は意を決して、
「私、実は……」
と、何かを言おうとした。しかし、源はそれを制した、
「どうしたの?」
直葉が訊き返すと、源は足元を指差しながら言った。
「こう言う場合は下を見ちゃいけないんだろうけどさ。下見て、下。」
「下って?」
直葉はこう言って、言われた通り下を見た。するとそこには、何も無い空洞が広がっていた。
「まさか…」
直葉がこう言うや否や、
「うわぁぁぁぁぁぁ!!」
「いやぁぁぁぁぁぁ!!」
二人は揃って落ちて行った。
この様子を、少し離れた場所で見ていたヴァルキリーは、
「彼らが見つけるのではなく、自ら招き入れたか。」
二人が落ちて行った空洞を見ながらこう呟くと、今まで立っていたビルの屋上から飛び降り、その空洞へ突撃しようと飛翔して近寄った。
しかし、空洞の入り口には何等かの結界が張られているようで、彼女は弾き飛ばされてしまった。
「聖獣払いか、あくまで邪魔者は入れない、と言う事か。」
閉じて行く空洞を見ながら、ヴァルキリーはこう呟いた。
一方、先に空洞の中に落とされた面々はどうしていたかと言うと。
「あれ、ここは?」
彩妃は真っ暗な空間で目覚めた。当たりを見回すも、文字通り一寸先は闇であり、ここがどこなのかと言う情報を得る事も敵わない。
「江美、直樹、薫、源!!」
彼女は試しに闇の中に対し、仲間への呼びかけを行った。しかし、声が響くだけで、返事が返ってくる様子も無い。
「まさか、皆とはぐれちゃった?」
彩妃がこう呟いた時である。彼女は自身の中で、今まで感じた事の無い恐怖がこみ上げるのを感じた、
「え、何?」
彩妃はこみ上げる不自然なレベルの恐怖を感じながら、こう呟いた。原因は不明だが、彼女は自身が六歳になるより前の事を一切思い出せないのだ。また、両親に自分の過去の事を聞いても、不自然な食い違いが発生する事がある。
彼女の不安定な記憶は、このような暗い場所で色濃く蘇る事が多い。そう、あれは……
「う、うわぁぁぁぁ!!」
思わず彩妃が、あたり一帯に響くほどの大声で叫ぶと、
「彩妃さん!!」
誰かが彼女の名前を呼びながら、彼女に近寄って来た。
「ひっ!!」
彩妃はこの声を、味方では無く敵と勘違いしてしまい、思わず、
「来ないで!!」
と、叫んでしまった。そのため、相手はこう言った、
「私です、名倉小雪!!」
彩妃に話しかけたのは名倉小雪で、彼女は彩妃の元に現れるや否や、彼女を抱きしめて行った。
「落ち着いて、私が居ますから。」
小雪に抱きしめられた影響で、少々であるが落ち着いた彩妃は、小雪の手に自分の手を添えると、
「ありがとう。」
と言った。その後、
「ところで、皆を知らない?」
と、小雪に訊いた。
「分からない、少なくとも、ここに居るのは私たちだけ。」
小雪がこう答えた瞬間である。聖装の中の聖獣が、何かの気配を感じて同時に叫んだ。
「彩妃、飛んで!!」
「小雪、危ないだ!!」
両者の叫びを聞いた小雪と彩妃は、言われた通り飛んでその場を離れた。結果、どこからか大きな矢が飛んできて、二人が今まで居た場所に当たった。
「やはり当たらないか。不謹慎とはいえ、獲物がそう簡単に捕まるのはつまらないがな。」
するとどこからか声が響くと同時に、突然辺りが明るくなり、彼女が居る場所はアリーナを思わせる広い場所で、彼女たちの目線の先に、大きな弓を構えた屈強な体つきが特徴の男が居た。
「初めましてだな御嬢さん方、俺はオリオンって言うんだ。よろしくな。」
二人の前に立つ巨人族の聖獣「オリオン」は、二人にこう言うと、どこからか大きな矢を出して、それを弓に番えた。
一方、源と同時に落下した直葉は、自分の居る広い場所のあちこちに仲間の名前を呼びかけていた。
「源、江美さん、彩妃さん、直樹さん、薫さん、祐介、小雪!!」
しかし、誰も居ないのか、返事は帰ってこない。
「まずい、皆とはぐれちゃった?この状態で敵なんかに出くわしたら…」
直葉がこう呟いた時である、背後から何か重量のある物が近づいてくる気配を感じ取った。
「何?」
直葉がこう呟いて、恐る恐る後ろを振り向くと、背後から黄金色の艶やかな体が特徴の、角の無く頭の大きいカブトムシを思わせる大きな昆虫族聖獣が現れた。
「ご、ご、ご、ゴキブリの聖獣?!!」
直葉は、聖獣の姿を見た瞬間にこう叫んだ。それに対し、聖獣はこう返した。
「ゴキブリじゃねえ!!スカラベだ!!」
直葉の前に現れた昆虫族の聖獣「スカラベ」は、今まで昆虫のように六足で歩行していたが、通常の昆虫と違い、二足で立つために発達した後ろ足で改めて立ち上がると、直葉に言った。
「理由は無くとも、俺の相手をしてもらうぜ!!」
その頃、落下の過程で合流した祐介と直樹は、クジャクを思わせる聖獣と対峙していた。二人は落ちた場所を探索する内に、扉のような物を見つけて、それを開けようとフレアノドンとハイドラの火炎を浴びせようとした。
しかし、それより前に彼らの前の聖獣がどこからか飛翔し、巨大な尾羽やカラフルな羽の生えた全身から強烈な光を放ち、両者の火炎をかき消してしまった。
「子供の火遊びは止めときな。おねしょするぞ。」
クジャク型の聖獣がこう言うと、直樹と祐介はそれぞれこう言った。
「それは迷信だろ。」
「と言うか、お前は何者だ?」
これに対し、クジャク型の聖獣はこう言った。
「秘密結社BABEL、援護隊隊長のクジャラクだ。」
そして、先ほど強烈な光を発した全身の羽を展開し、再び攻撃の態勢を取った。どうやら、何があってもここから放すつもりは無いらしい。ただ一つ、自分を倒すまでは、
また、祐介や薫と同じく落ちる過程で合流した江美と薫は、他の面々が落ちた先とは違う場所で、機械族の聖獣であるドロシーと出くわしていた。
「何だ、綾小路源はこっちには来ないのか。」
ドロシーは若干不満そうに言ったが、それでも彼らをここに止めると言う義務感を持ってこの場に来たためか、どこからか拳銃を取り出し、それを二人に向けると言った。
「とはいえ、あの方は目の前に居る者をこの場に止めよと仰せなんだ。早く帰りたいだろうが、少しだけ付き合ってもらうぞ。」
一方の二人は、顔を見合わせると、二人で言った。
「だったら、押し通るまで!!」
そして源は、事件の黒幕とも言える謎の聖獣「ポラリス」と遭遇していた。
「あれは?」
源はいつもの通り、聖装の鑑定モードでポラリスの情報を取ろうとした。しかし、どのように調べても、
「データ無し。」
と、開示された。
「データが無い?」
源がこう言って、聖装に何か異常があるのかと確かめたが、他の聖獣は彼女の姿を見て言った。
「と言うか、あんな聖獣そもそも存在していたか?」
ポラリスの見た目は、和服を身に着けた美しい少女の姿を取る妖精族の聖獣である。だが、背中には竜を思わせる大きな翼、腰からは太い尾が生えている。聖獣たちは、ヴァルキリーとドラゴンの混種なのか、と考えたが、彼女は違うと言うと、
「私は誰も知らない世界にただ一人の聖獣、名前はポラリス。人に作られた聖獣。」
と、源達に言った。
「人が作った聖獣だと、バカな!!」
源はともかく、聖獣たちは一様にこう言った。
「でも、私はこうして存在する。」
ポラリスはこう言うと、どこから大量の武器を出し、その内の一つである、双刃の三又槍「トライデント」を手にして、彼らに言った。
「貴方たちを倒せば、私の存在を世界に認めさせられる。だから、倒れて。」
そして、トライデントを構えて源に飛びかかった。
こうして、ポラリスが組織した秘密結社「BABEL」の始まりの戦いが始まった。




