【最終回】彼女の魔法の言葉
私が駆け出したのとほぼ同時に後から追いかけてくる気配を感じた。
私が目的だったとの予測があっていた事にぎゃあって悲鳴を上げたくなる。
訳も分からずに逃げ出して人の波の間をすり抜けるように動きながら、何で逃げる必要があるのかふと考えた。
もしかしたら委員会関係の話かもしれないし、不機嫌そうな原因も私が理由じゃないかもしれない。
そうは思っても、実際に背後から猛烈に迫ってくる気配は恐ろしくて、体が勝手に逃げ出そうとして足を止められない。
通りがかる人達が何事かと向けてくる視線が恥ずかしくて、走ってるからだけじゃなく顔が熱くなるのを感じた。
彼と私ではそもそもリーチの差があるから、そのハンデを埋めるためには人混みを走る方がきっと良いんだと言うことは分かるんだけど、私は見世物みたいになっている状況に堪えられなくて人混みから急いで方向転換をする。
そのまま本能的に目に入った階段を駆け上がると息が苦しい。
人の目を逃れてがむしゃらに走って、3階の渡り廊下を駆け抜けて準備棟に入った。
随分と後から追いかけてくる足音が近く聞こえる気がする。
最初にあったインターバルと人ごみで離した分をあっさりと詰められていることに恐怖と悔しさが募った。
足の速さにはそれなりに自信があったのに、そんなささやかな自負さえこんな風にあっさりと打ち砕かれる。
結局はこんな身体的な勝負になったら私は彼らにまったく敵わないってことを改めて突きつけられているような気がした。
どうして。
うまくいかないことがあるたびにその言葉が頭を埋め尽くす。
どうして私はこんなに小さいのだろう。
どうして私はこんなに非力なんだろう。
どうして私はこんなに巧く出来ないんだろう。
どうして、どうして、どうして……?
頭はその疑問視ばかりが埋め尽くし、本当に息が苦しくてもうなんで走りだしちゃったのかも分からない。
ちょっとだけ残ってる冷静な部分が足を止めて話を聞いてみろと訴えてくるんだけど、身体は勝手に動いているかのように止まってくれなかった。
それでももう限界で、目に付いた空き教室の扉が半開きになっているのをいいことにそこに逃げ込もうとする。
この学校の教室の鍵はノブで直接操作するほうの鍵はだいたいが内鍵だから、逃げ込めれば閉じ籠れるはずだ。
急カーブに身体に遠心力が加わってちょっと気持ち悪いのを振り切り、教室の中へと逃げ込んで扉を勢いよく閉めようとする。
でも彼の姿はすぐ後に迫っていて、走った勢いのまま強く扉を押されて、扉のノブを握っていた私は思わずその勢いに転びそうになった。
とっさに離れた扉のノブがガンッ!と派手な音を立てて壁にぶつかり、反動で戻ってくる。
その間に教室に入り込んだ彼に慌てて背を向けるけれど、大きな彼の手が私の腕を掴んで逃げられず、そのまま強く引っ張られた。
どん、とぶつかるように彼の腕の中に抱きこまれて、そのまま引きずられるように一緒に床に膝をつく。
「いや!」
逞しい腕に拘束されている状況に、混乱していた頭がさらに混乱して、反射的に拒絶の声を上げてその腕から抜け出そうともがいた。
ぐっとさらに彼の腕に力がこもって、もっと恐くなってさらにもがく。
なんで追いかけてくるのか、なんでこんな風に拘束するのか、分からないのに抵抗を許さない力に不意に強い苛立ちが湧き上がる。
「いやだ、嫌い……!」
変な物質が頭に飽和するほど噴出したかと思うくらい、怒りがお腹の底でぐるぐるととぐろを巻いていた。
「ごめん……」
謝罪とともに私の肩に彼の額が押し当てられる。
より密着する形になってびくりと身体が震えた。
嫌な記憶が蘇って震えそうになる。
「嫌い……貴方なんか大嫌い!」
振り切るように拒絶の言葉を投げつけながら、ひどい言葉を投げつけている自分が嫌になった。
やっぱり今の自分はどこかおかしい。
彼はたぶん悪くないのになんで謝るのか分からなくて、そもそも謝るならなんでこんなことをするのかって思う。
そうしたらなんだか余計にとってもイライラして腹立たしくてまともに考えられないのが嫌で、とにかく離してほしいと思って八つ当たり気味に唯一動かせた手で彼の足を叩いた。
「私……ッ!からかってなんか、ない……!!」
迷惑なんでしょう、と叫びたかった。
堰を切った感情が暴れてそのまま出たような声は我ながら悲鳴みたいだと思った。
自分の言葉にギリギリと胸が痛んで、気が付いたら泣いている。
嫌だ、泣きたくない。
何かに詰まるとすぐに泣いて済ませるような卑怯で弱い女の子でいたくないのに、私の涙腺はこんな時に限って私を簡単に裏切ることにまた腹立たしさが募る。
「ごめん……」
再び紡がれる謝罪の言葉にまた苛立ってさっきより強く彼の足を叩く。
自分が癇癪を起しているとどこか頭の隅では分かるのに、それを止められない。
「なんで、今更!」
「ごめん」
「私、ちゃんと……ッ!」
諦めようと思ったのに、と続ける筈だった言葉が情けない嗚咽に途切れた。
みっともなくて恥ずかしい。
どうにかして彼の腕の中から逃げ出そうとまた身体を捩りかけた所で、響いた彼の言葉に動きが止まった。
「ごめん……でも、好きだ」
押し殺すように耳元で囁かれた言葉に身体が勝手に怯えるように震えた。
なんて言ったのか一瞬分からなくて、息さえ止めてしまう。
「おまえが好きだ。すごく好きだ。好きだ。好きだ」
苦しそうに、切なそうに、何度も耳元で繰り返される声に風船から空気が抜けるように、身体の中であれほど荒れ狂ってた怒りとか苛立ちが力をなくす。
ぎゅぅっとより強く彼の額が私の肩に押しつけられた。
それは何だかとても不思議な気分だった。
彼はこんなに大きくて私より力があるのに、拘束するというよりも彼よりよっぽど小さな私に縋りつくように抱きしめられていることにようやく気付く。
私の言葉に怯えて、行かないでと言われている気がした。
そうしたら苛立ちと恐怖がすぅっと抜けていくのと反対に、一気に鼓動が速くなって顔が熱くなるのを感じる。
小さく丸められた彼の背中が何だかとっても可愛く思えて、ふわりと香る汗のにおいまでもが好ましい。
恐る恐る私の肩から頭を起こすのをドキドキしながら見つめていた。
そっと伸びてくる彼の手はもう恐くはないけれど、心臓が破裂しそうに緊張して首を引っ込めそうになる。
優しく私の頬に触れた指先が緊張しているのかひどく冷たい。
「―― 俺と、付き合ってください」
真剣な眼差しで見つめられながら紡がれた言葉に、あの放課後の日のように心臓を貫かれる気がした。
確かめるように自分の頬に触れる彼の手に触れてみると、退けられるのかと思ったのか彼の肩がびくりと震える。
―― 彼が私の拒絶を恐れている。
その事実に先ほどの告白が嘘や間違いじゃないと確信するのと同時に、背筋が愉悦でゾクゾクした。
巧く言葉に出来ないけれど、胸の一番深いところが揺れて、震えて、満ちて、溢れる。
何度好きじゃないって言い聞かせても、嫌いだって言ってみても、どうしてもなくならなかったその感情にまた涙が零れ落ちた。
両腕を伸ばして、彼の背中をぎゅぅっと抱きしめる。
「―― 私も、好き」
言葉にしてからもどかしさに悶えたくなった。
好きなんて言葉じゃ足りないのに、他の言葉が思い浮かばない。
「好き。大好き。私の、私だけの、貴方になって。疑わないで。離れないで、傍にいて。私の言葉に囚われて。大好き……」
思いつくままに言葉を並べてみて、何だか自分がひどくわがままな気がして恐くなる。
でも彼がぎゅって強く抱きしめ返してくれて、もう一度好きだと囁いてくれたから、ほっとしてそのまま彼の胸にもたれかかるように身体を預けた。
そうすると少しだけ彼の腕が弱まって、不安そうに見上げると彼の目が抗いがたい熱を宿しているのを感じる。
そのまま見つめ合って……
「よ、おめでとうさん!」
「うわっ!」
「きゃあ!?」
唐突にかけられた声に彼と一緒にびくりと震えて飛び上がって離れた。
見るとすぐそばの廊下側の窓が開いていて、そこに彼の友達が顔を覗かせている。
「いや、邪魔だと思ったんだけど、そろそろ止めた方がいいかと思って」
彼の友達は自分を睨みつける彼の視線に飄々とそう返しながら、彼の上着のポケットを指差した。
見てみろと促す声に彼がポケットを探ると何かあったのかそれを取り出し、小さな銀色のそれが彼の掌の上に転がる。
「なんだこれ」
「盗聴機。ついでに読み取り側は放送室の中」
その言葉に彼と私が一緒に固まった。
にやりと心底楽しそうに笑った彼の友達は、あっさりと留めの言葉を紡いだ。
「本棟全部に生中継で告白タイムだったから」
―― 一呼吸置いたのち、私の人生最大の悲鳴と彼の怒号が教室内に響き渡った。
本編はこれにて終わりです。
ここまでお付き合いありがとうございました。
この後はちまちまと番外編なんかを付け足していく予定です。
できればそちらもよろしくお願いします。
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