悪役令嬢の観察記録
僕が彼女と初めて出会ったのは忘れもしない。
王太子殿下、あの時はまだ第1王子殿下の6歳の誕生日に開かれたガーデンパーティの日だった。
あの日は確か殿下の婚約者に内々定されていたイブリア公爵家の令嬢と初対面するために設けられた席だった。
ようやく決まった殿下の婚約によりほかの貴族子女たちも各々の婚約者を見つけられるようにという意図で年頃の子どもたちが一同に集められて開催されたのだ。
そしてこのパーティでの出来事が、彼女の最初の悪事と言っても過言では無いだろう。
「わたくし、この方と結婚いたしますわ。」
そういって彼女が両親の前まで手を引いたのは王子殿下ではなかった。
しがない伯爵家、それも末端の末端と言える貴族会においても発言権がないに等しいカナディア伯爵家の三男、この僕、イーディス・カナディアだった。
公爵夫妻は勿論、なぜ選ばれたのか全く理解できなかった上に彼女が王子殿下の婚約者に内々定されていたことを知っていた僕は蒼白した。
断ろう、身分不相応だと分かってはいるが彼女は未来の王妃殿下になる将来が決まっているのだ。
国を相手に喧嘩を売るほどの勇気は僕にはないし、言っちゃ悪いが彼女に思い入れなんてない。
「あ、あの、イブリア公爵令嬢、僕には荷がおもっ……ひぃ!なんでもないです!!」
結論を言うと断ることに失敗した。
僕が言おうとしたその先を察したのであろう彼女に鋭い眼光で黙らさせられた。
今ここで彼女に異を唱えれば消し炭にされていたであろう。
弱気な僕だって命が惜しい。
しがない伯爵家が公爵家に逆らえるはずもない。
それでいうと筆頭公爵家であろうが王家に逆らえるわけがないのだが何故か彼女の要望は通ってしまい王子殿下の婚約者は別の方となり、僕は誠に残念なことに彼女、アリスティア・イブリア公爵令嬢の婚約者となった。
彼女とは以前会ったとこもないし、今日のガーデンパーティでだって会話もしてない。
強いて言うなら一瞬だけ目が合った気がしただけの僕がなぜ婚約者に選ばれたのか。
その理由を問うても彼女はいつも同じ言葉ではぐらかす。
「あなたは私だけの宝物だからよ。」
彼女の言うことはよく分からなかったが、きっと彼女の気まぐれで僕は人形として選ばれたのだと思うことにした。
そしてこれはいつか僕が彼女に捨てられるときに対抗するための彼女の弱みを残すための記録である。
…それがこんな使い方をされた上に羞恥に晒されるなんて思いもしなかった。
基本的に僕と彼女の交流は週に一度のお茶の席だけだ。
それも会話がある訳ではなく彼女がひたすらに僕を見つめ続けるだけの時間。
会話をしようにも僕が言おうとしたことを1文字目で拾い上げ、それを10にもして返してくる。
彼女は恐ろしいほど頭の回転が早く、そして僕よりも知識に長けていた。
つまり何が言いたいかと言うと会話にならない。
そして選ばれた沈黙の時間が苦痛にも感じられていたのは最初の数回でそれ以降は彼女は僕を観察し続けるだけだったので読書の時間にすることで有意義に過ごすことに成功した。
彼女と婚約して災難だったのは大好きな読書の時間を奪われ、公爵家に婿入りするための勉強や作法の時間を組み込まれたことだった。
なりたくて彼女に選ばれたわけではないのに何故こうも僕は苦労させられなければならないのか。
僕は読書はするが頭がいい訳ではない。
公爵家の家庭教師に習ったことを復習しては予習しての繰り返しで何とか追いついている現状だった。
しかもそれを彼女は修了しているにも関わらず立ち会い、頭を抱える僕を見つめてはお茶を飲むのだ。
なんて憎たらしい女だと思ったことは一度や二度ではない。
一体どんな気持ちで僕を見て楽しんでいるのかと顔を上げ目が合えば、彼女はうっとりと、それはもう天国にでも来たのかと思わせるほど恍惚とした笑みを浮かべてくるのだ。
そして一瞬で目を逸らして激しく高なった心臓を落ち着かせる。
正直に言えば、あの性格さえなければ彼女の見た目は僕の好みまんまなのだ。
その性格のせいで好感度はマイナスを突破しているのだが。
そう、あの見た目に騙されないように、彼女の悪逆さを忘れないように、と書き記していたはずの記録だった。
暴露されたあのときまでは。
王立学園の卒業式。
10歳から入学して8年間通い続けた学園を今日で卒業するという日。
その日に爆弾が落とされた。
「アリスティア・イブリア!今日という日を持って、君の罪を白日のもとに晒そう!」
壇上に立ち、堂々とした振る舞いでそう声を上げた王太子殿下。
その傍に付き添うのは彼の婚約者、ではなく男爵家の妾の子と話題になっていた女子生徒(名前は忘れた)だった。
名指しされた僕の婚約者殿は料理が並ぶテーブルの前でアルコールを手に取っていたところだった。
確かあなた、まだお酒が飲める年齢に達していませんでしたよね?
「あらあらまあまあ、物騒ですこと。わたくしの罪ですって?面白そうですから聞いて差し上げますわ。」
彼女は持ってたグラスを口につけることなくテーブルに置き、舞台中央へ移動した。
その堂々とした振る舞いも想定の範囲だったのか殿下は続けた。
「まず初めは彼女の悪質な噂が流れたことだ。発言元を辿れば君の派閥の子達から出てきたことがわかった。となれば君がありもしない噂を流すように先導したのだろう。」
「悪質な噂?そんなものありましたの?」
「とぼけるなんて酷いです!私の事、娼婦の娘と罵っていたではありませんか!そのせいで私までお父様に引き取られるまでは娼婦として働いていたと噂になっているんですよ!」
…男爵の妾は娼婦上がりのご婦人だったのか。
噂になっていると言っていたが、友達の少ない僕の耳にまで入っていないということは大きく広がる前に収集したのだろうか。
彼女の発言がツボに入ったのか、ふふふと肩を小さく震わせ始めたかと思えばすぐに手元の扇を広げ口元を隠した。
「あなたが娼婦として働いていたとして、それの何がいけないのかしら?その仕事で生計を立てているならばそれは立派なことでしょう?領民の税からしか収入を得ておらず、それに胡座をかいて豪遊する方たちとは大違いじゃない。事実と違うなら胸を張って堂々としてなさいな。」
「それって結局、彼女は娼婦だという発言の否定をしていないじゃないか。」
ボソリと呟いた僕の言葉は誰にも聞こえることなく舞台は続く。
「他に、噂だけでなく私は実害を受けています!」
涙目で助けを求めるように王太子殿下に視線を向けた。
アリスティアの言うことも一理あるなと思いを馳せていたのかぼーっとしていた王太子殿下は愛しの君の声でハッと我に返って手元の紙に視線を落とす。
「ああ、報告は受けていたが先日、放課後に西棟2階の階段にて後ろから突き落とされたそうだ。リリーは犯人の顔を見ていなかったそうだが髪色が白髪だったと。この学園で白髪なのはアリスティア・イブリアただ一人だ。」
あちゃーついにやっちゃったかあ。
見間違うことない髪色で特定されてしまうとは意外と杜撰な計画を立ててしまったのか我が婚約者様は。
しかしこれも証拠として提出できそうだな、とノートを取り出し王太子殿下の言葉を綴る。
「まあ、それは具体的にいつの出来事なのでしょうか?」
「先週の樹木の日だったと聞いている。時間は窓から夕日が見えたということから夕の刻だな。」
一言一句逃さないようにと殿下の発言を綴っていれば会話が途中で止まり、不思議に思って顔を上げれば見目麗しい婚約者殿と目が合う。
なぜこちらを見ているのだろうか。
「イーディス、こちらに。」
名前を呼ばれれば行かなければいけない。
スススと注目を浴びながら近くへ歩み寄り、彼女の3歩手前で止まるとムッとしか彼女に腕を取られ強制的に隣へ立たされた。
「な、何ですか…?」
「その時間のアリバイは彼が証明してくれます。彼は常日頃から私の行動記録を取っていますので。」
ね?と視線を向けられ困惑する。
なぜあなたが知っているんだ!?
「それはほんとか、カナディア。」
王太子殿下に是非を問われる。
殿下の愛しの君にまで怪訝な顔をされ、正直に答えることにする。
「はい…。日頃から彼女の行動は記録してはいますが。」
どうして知ってたんだ、と小声で彼女へ問えば
「あら、私はあなたが庭で育てている花の名前たちだって記憶しているわ。」
と返され、傍から見ても顔面蒼白になっていたことだろう。
そんなこともお構い無しに王太子殿下は続けた。
「しかし、君の婚約者がつけた記録など証拠になるか分からない。とにかく、その時間の君のアリバイ証言として聞いておこう。彼女はその時間、何をしていた。」
王太子殿下に問われて先程聞いていた時間までページを捲る。
樹木の日、放課後の夕の刻、該当ページを見つけ捲る手をとめる。
そして自身でつけていた文字を目で追ったあと、いいのかと彼女に視線を向ければもちろんとにこやかに頷き返してきた。
「あ、えと、彼女はその時間、学園の中庭で野良猫たちに餌をあげていました。当時は彼女の他に中庭沿いの通路を通っていた複数の学生もそれを目撃していたはずです。」
ざっと見回して当時見た気がした生徒と目を合わす。
すると発言するなら今だと言わんばかりに各々手を挙げて発言し始めた。
「確かにわたくしは当時イブリス嬢が猫に餌を上げている場面を目撃いたしました。その後はカナディア様と仲睦まじく帰られるところまで見ておりました。」
私も同じく、僕も、と複数の声が上がっていく。
その声にご満悦なのか扇の下ににんまりと口角を上げて正面に向き直る。
「これほどの証言があればわたくしではなかったということになりますわね。さて、では貴方が見た方は一体誰だったのかしら?」
「リリー、もう一度よく思い出してみてくれ。ここまで証言があればアリスティアではなかったのだろう。」
「中庭からでしたら西棟の2階も見えていたのですが、当時はリリー嬢以外誰もいなかったと記憶しております。突然彼女の姿が見えなくなったので不思議に思ったのを覚えております。ご参考になれば。」
追い打ちをかけてしまっただろうか。
アリスティアの断罪劇となるはずだった舞台がいつの間にか逆転していたため、もうこれ以上は彼女を悪者にはできないなと思い、思い出したことを発言してみたのだが。
「リリー、一体どういうことだ?」
「殿下、違うんです。確かに、誰かが私を突き落として…。」
雲行きが怪しくなった王太子殿下に連れられて会場から消えた主役たちに周囲はどよめく。
そんな中、手を叩く大きな音に一瞬で呑まれる。
「殿下たちは何やらお忙しいご様子ですし、私達だけで続きを楽しみましょう。せっかくの卒業パーティーを暗い思い出のままで終わりたくはないでしょう?」
その声を皮切りに楽器隊に音楽を奏でさせ、またみんな各々のパートナーとダンスを再開し始めた。
僕にまとわりついていた視線が消えたことに安堵して一息つき、もうそばにいる必要もないなと離れようとするとがっしりと腕を捉えられており話すことができなかった。
「イーディス、わたくしをエスコートしないでどこに行くつもりなの?入場したときもすぐどこかに行ってしまったじゃない。」
「えぇ?僕必要でしたか?アリスティア様は皆様方から代わる代わる挨拶されていてお忙しそうだったではないですか。」
「あなた、わたくしの婚約者という自覚は持っていて?」
「いつか婚約解消する予定なのでは?ほら、僕はアリスティア様と釣り合いませんし、殿下との婚約が嫌でそこら辺にいた僕が宛てがわれただけですよね?」
ずっと思っていたことをこれもいい機会だと口に出せば彼女はなぜか傷ついたような顔をする。
「あなた、ずっとそんな風に思っていたの?」
思っていた反応と違い、戸惑う。
彼女は少し考え込んだあと、僕の腕を取りバルコニーまで連れていかれる。
暖かくなり始めたとはいえ、まだまだ冷える明るい夜だった。
バルコニーには僕たち以外他におらず会場から離れれば中の騒がしさは全く気にならないほど静かだった。
「私がずっと言ってた言葉の意味は考えたことあるのかしら。」
「私だけの宝石、ですよね。磨けば光るかもしれないそこら辺の石以外にあるのですか?」
ブスっと頬を膨らまていじけた表情をしたあと、はぁと大きなため息をついた。
「何一つ伝わってないことが分かったわ。そうよね、あなた頭は悪くないけれど理解が遅いのよね。女心にはもっと疎いのだと失念していたわ。」
はあ、と何を言われているのか分からなかったが僕は何かを勘違いしているのだろうということは分かった。
「あのね、イーディス。私はずっとあなたの事が好きよって伝えていたのよ?私が言う宝物っていうのも私が見つけて私が磨いた私の自慢の子という意味なのよ。あなたさっき殿下から逃げるための代役だと思っていたみたいだけれど私はあの日あなたに一目惚れして絶対他の子にあげたくないから急いで婚約を取りつけたのよ?まだ幼すぎて囲い込むってことを知らなかったの。」
それだけが少し恥ずかしいわ、と照れ顔を披露する婚約者に僕は目が点になっていたことだろう。
一目惚れ?
あの天下のアリスティア・イブリスが???
「それにね、お父様も最初は難色を示していたのだけど授業も真面目に取り組むあなたの姿勢に感心して婚約者候補から正式な婚約者として扱ってくれるようになったのだから胸を張りなさい。」
「婚約者候補だった?え、まさか授業サボれば話はなかったとこになったんですか?」
「有り体に言えばそういうことね。あなたの根が真面目なところに救われたわ。そういうことだから、両思いのわたしたちが婚約解消する必要は全くないわよね。あ、そうそう結婚式は早めてもらえることになって1ヶ月後を予定しているから明日からうちに住むことになるわ。荷物はこちらで揃えるから必要最低限のものだけ持っていらっしゃい。」
早めの新婚生活楽しみだわ、と微笑む彼女の顔を見惚れてしまっていたが今とんでもない爆弾を落とされたんだよな。
もう振り回されすぎて慣れてしまったと言いたくないが、これも惚れた弱みなのだろうか。
「私の観察記録は続けなさいね。そして私のことで四六時中頭の中をいっぱいにしなさい。」
こうして僕は彼女の観察記録をつけ続けるのだ。
※アリスティア視点
王子の婚約者に内定されてから初対面するために設けられたガーデンパーティはとてつもなくつまらなかった。
既に取り巻きを作っていた王子はいかにも頭が悪そうだし、王宮勤めのお父様の様子を見るに授業はサボり護衛を困らせているそうで。
先程挨拶を交わした時もそう、こちらを威圧し、実力差も把握できずに相手を下に見る。
両陛下には悪いが、本格的に彼と結婚をするとなると再教育を施すことになる。
そう考えると私の自由な時間は全くないだろう。
公爵家の一人娘に生まれただけでなく、王子と同年代だったことの呪うべきだろうか。
私だって年頃の娘だ。
私のことを対等に身分ではなく私自身を見てくれる相手を欲してもおかしくないだろう。
王子の婚約者に内々定されたことはほかの家にも伝わっていることで今日は縁を繋げようと挨拶してくる子どもたちばかりで疲れてしまった。
皆がみな、筆頭公爵家であり王家の婚約者になったイブリス家の娘としてしか見ていなかった。
身分だけを見る友達などすぐに私について来れなくなる。
己を高めようという努力も見せず、他人のおこぼれを貰おうとする人の上に立つ貴族のあり方とは到底思えない。
私の人生はこの瞬間につまらないものに決まってしまうのだろう。
挨拶回りに疲れ、テーブルで一息ついた時に1人の男の子とふと目が合った。
ケーキを口に頬張り、ぺこりと会釈すると再び目の前の本へと視線を落とした。
驚いた。
そう、とても驚いた。
彼は確かイーディス・カナディア伯爵令息だ。
上に兄が2人いて、いつも本の虫と聞く。
そして今初めて私に興味を示さなかった。
そこから素早く思考を巡らせる。
あの王子ではなく、彼が私の結婚相手になった際の将来設計。
王子との婚約を蹴った際に生じるデメリットとメリットの比較。
もう迷うことはなかった。
私には彼しかいない。
私が自由であれるのは彼しかいない。
両親の説得など、私に口喧嘩で勝てないのだからもう説得できたようなものだ。
王家へのお詫びは今後私が今起こしている事業の利益で足りるだろう。
ニヤリと口角をあげる。
あとはどうやって彼に私を好きになってもらおうか。
この世には私にも計算できないものがまだあるのだなと久しぶりにワクワクした。
そして席を立ち、彼のいるテーブルにたどり着く。
驚いてこちらを見上げる彼を無言で手を引いて両親の前まで連れていく。
私の運命は今日この瞬間から変わるのだ。
あなたを見つけた私はやはり強運ね。




