第24話:ジャンピング土下座
効果は抜群、睡魔は即死した。
ひと昔前にアイスバケツチャレンジなるものが話題になった時、俺は試しに風呂場でコップ 一杯の氷水を頭からかぶってみたことがある。本来の目的に沿わない単純な眠気覚ましとしてだ。
肌を刺すような氷の冷たさは全身の筋肉をきゅぅっと縮め、直後痛みにも似た刺激が身体を震わせたあの感覚……。
いやはや、アイスコーヒーチャレンジというのは聞いたことがなかったな。
「冷てぇえええええええええ!!!!」
「うゎぁああごめんなさいごめんなさいぃい!!!!」
襟の隙間から入ってきた異物が背筋を凍らせながら滑り落ちている。
それが氷なのだと理解するよりも早く、俺はシャツの裾をバタバタと振っていた。
カチと音を立ててタイルへと落ちた氷は、ツーっと滑って行き、黒いショートブーツの横で止まった。
「お、お兄さん大丈夫ですか? ごめんなさいあーし……滑っちゃって」
少しダボついた白い靴下、程よい肉付きの太もも、丈の短い黒のスカートから……ドーンと盛り上がった双丘を経由し視線を上げると、そこには顔面蒼白状態の金髪ギャルがいた。あわあわと手が空を切っており気が気ではない様子だ。
「あ、えっ、と、いや。そ、そそんなことより、おケガは無かったですか?」
「へっ?」
「ほ、ほら、盛大にコケていましたし」
俺はというと頭はびしょ濡れ、白かったYシャツも肩から胸元にかけて茶色の世界地図をプリントしたみたいなデザインになっており、一言で言い表すならば〝惨劇〟状態なのだが……何事もなかったかのように振舞っていた。いや、振舞ってしまった。
決してこの子がフューたんに似ていたから余裕のある男を取り繕おうとしたわけではない。と信じたい。
実際、本心としても一切の怒りはなく……というかそれどころではなく……ポーカーフェイスのその裏では、焦りにも近い羞恥心がバクンバクンと心臓を動かしていた。
「い、いや……あーしも全然。そ、それよりお兄さんが、めっちゃ悲惨というか……」
(ふぉあああああああ)
彼女は見れば見る程、聞けば聞く程にフューたんだった。
心配そうにこちらへ向けられているスカイブルーの瞳……前かがみにこちらを覗き込んだことで、チラリとパーカーの襟元から見えてしまっているその美しい谷間までそっくりである。
お、抑えろ、彼女はリアル。
絶対にフューたんじゃない。
落ち着くんだ俺。
「い、いやいや、まままったく。これ、これくらい気にしないっで……ください」
くっ……。
まともに目を見れない。
これだから童貞は困る。
「あっ、そだ。良かったらこれ、使ってください」
視界の端にスッと映った淡い黄色につられ彼女へと向き直ると、目の前には一枚のハンドタオルが差し出されていた。
「い、いや、こここんな別に ────」
「いいからいいからっ。返さなくて大丈夫ですからね、いっぱい余ってるんで」
ぐいっと胸元に押し付けられてしまったタオルは、もはや受け取る以外の選択肢が無かった。
「ど、どうも」
「あとクリーニング代も払いますから。あーでもどうしよう、お兄さん連絡先とか聞いても大丈夫です? 今あーし現金の持ち合わせなくて」
スマホを挟むように両手を合わせ、片目を瞑るギャル。
「それかVpayとかでも ──── 」
「いやいやいやっ!! 本当そこまでは大丈夫なんで、全然こんなの安物だし、家で洗濯すればもう全然!! まじで、というか俺の服がアイスコーヒー飲んじゃってむしろすいません……なんて……ははっ」
「ぷっ、お兄さん何言ってるんですか、いい人すぎっしょ。アハハ ──── 「お客様、大丈夫ですか!?」」
美女を前にした童貞のパニック脳から生まれた小ボケに、クスリと笑ってくれたギャル。そんな彼女の後ろには、モップを持った店員さんが駆けつけてくれていた。
「今、拭きますね。いいですよそのままで。あとはお任せください」
「あ、どうも ──── えっと……お兄さん、本当に大丈夫です? クリーニング代」
「はい、もう全然。どうぞ、あの、俺のことなんて気にせず行ってださい」
「えっ……と、うぅ……本当すいませんでした。あーし、しばらく店内に居るんで、もしイヤホンとかスマホとか壊れてたりとかしたら言ってくださいね、ちゃんと弁償するんで」
しばらくギャルは気まずそうに立ち尽くしていたが、「大丈夫大丈夫」と両手で無事をアピールし続ける俺を見て徐々に表情を落ち着かせると、ペコリとお辞儀をして再度アイスコーヒーを注文しにレジへと戻っていった。
「ふぅ、緊張したぁ。あの子、フューたんに似すぎだろ。心臓に悪いって……まぁでも」
その瓜二つであるという見た目が、逆に彼女が本物であることを否定していた。身バレを禁忌とするVtuberの世界において、演者とそっくりなデザインのガワを作る会社がどこにあろうか。
天下のヴァヴァーだ、そのあたりのリスク管理は完璧に違いない。
「やっぱりフューたんのコスプレイヤーさんなんだろうなぁって……ん?」
彼女の差し出したハンドタオルで髪を拭いていると、そのデザインに俺はある既視感を覚えた。
「うぉっ、やっぱりこれ初3Dライブやつだ。まじかよ、そこまで気合い入ってるのかレイヤーさんって……大好きなんだなフューたんのこと」
それは、フューたんのライブグッズだった。
オタクグッズとは思えない、一見すると無地でシンプルなデザインはどこにでもありそうなタオルなのだが、部屋の壁に飾り毎日見ている俺が見間違えるはずもない。隅に小さくフューたんのトレードマークである☆が入っている……。確実に1stライブ記念グッズだ。
「いや……これは流石に?」
このタオル、今や買おうとしても生産しておらず、受注もしていない。そしてあの頃のフューたんは今ほど人気はなかったため、世に出回っている数も少ないはずだ。つまりな結構なレアもの。
自らに問う。
これを見ず知らずの人においそれとあげることができるか?
いや、できない。
「…………いた」
店内を見渡すと、角の席に座り、スマホを弄っている彼女を見つけた。
「何かの間違いで渡しちゃったんだろうし、濡れちゃってるけど返した方がいいよな、それか洗濯して? いや、ここで別れたら一生会えないだろ。どうする……」
「ちょ、見て、あの人なんかびしょ濡れなんだけど」
「まじだウケる。コーラでもこぼしたんかな」
「あの状態で一人で食ってるのなんか可哀そうだな」
金髪ギャルに声をかけるべきか葛藤している俺の背中を押したのは、周囲からの好奇な視線だった。
「ええぃ、いくぞ」
──────
────
──
「あ、あのー」
「ん? あぁさっきのお兄さん。どしたんって……やっぱクリーニング代、だよねぇ?」
「いやっ、違います違います。このタオルを返しに」
「あー、いいっていいって。さっきも言ったけど、それウチにいっぱいあるからあげるよ」
「いっぱい?! フューたん初ライブ記念の限定グッズが?!」
「あ・・・・・・」
「あ・・・・・・」
やべっ、内なるオタクが滲み出てしまった。が……ん?
開いた口をそのままに硬直してしまった俺の目の前で、何故か彼女も同じポーズでフリーズしていた。
いや、ちょっとまて……。今彼女はなんて言った? いっぱいある? このお一人様2セットまでとされていた限定タオルがいっぱい?
まさかこの人、いや ────
「貴様!!!! 転売ヤーか!?!?」
「ふぁっ?! お兄さん何言っ」
「かーっ、困るんだよ、あなたみたいな人が居るから限定グッズが買えなくて泣き寝入りするしかないファンがねここに……こないだもサイン入りの記念ライブセットを買うために待機してたのに一瞬で無くなって、俺はマウスを一個ぶん投げてねぇ!!」
「ちょ、ちょちょちょちょ落ち着いてお兄さん!!」
くそぅ。めちゃくちゃカワいいし、フューたんに似ているからと気を許してしまったがまさかオタクの天敵である転売ヤーとは、油断した。
「ガルルルルルルル」
過去に買えなかったグッズ達の怨念が頭の中を沸騰させる。
「えーっ……どしたん急に怖……。違うって、ちゃんと正規ルートで手に入れてるからあーしは」
「正規ルートだぁ!?!? ヴァヴァーの専売サイト以外にそんなものはない!!!!」
「詳しっ?! もしやお兄さん、ヴァ―学好きなの?」
ギャルの頬をツーっと汗が垂れ落ちた。
この転売ヤー、目の前にいるのがその道の猛者と分かり怯んでいるな?
「ファン歴5年のヴァ―オタを舐めないでもらおうか? 嘘は全部お見通しだぞ転売ヤーめ」
「だから違うって!! あーもう!! どうしよ……まぁ、いっか一人ぐらい」
わしゃわしゃと金髪をかき上げるように身体を震わせた彼女は、なにやらキラリと光る一枚のカードをポーチから取り出した。
「ほら見て。あーしはヴァヴァ―側の人間なの、八重樫フューってキャラクター。ヴァーオタなら知ってるでしょ?」
目の前に翳されたカードに描かれていた立体的なVマークを見た瞬間。俺の背筋は凍りついた。
それは紛れもなくヴァヴァ―株式会社のロゴで、記憶の中にある幾多のグッズ達のどれにも該当しないものだった。
カードの下部には〝所属タレント 古戦場 冬華〟というこのギャルの本名らしき文字が……。
直感が言っていた……これは社員証とかそんな感じのやつだと。
そして瞬時に論理は展開されてゆく……フューたんにそっくりの外見で? ヴァヴァ―の身内で? 今の発言……まさか、まさかまさかまさか?! いや、間違いない。
彼女はフューたんの ────────
「公式のコスプレイヤーさんだったんですねぇえええ!!!!」
「えっ?! あ、そうきたか……。そ、そうだよっ!! あーしはヴァヴァ―専属のレイヤーなの。だからグッズも貰えてるわけ」
冷や汗が穴という穴から大量に吹き出る。
「大変、申し訳ございませんでしたぁああああ」
ジャンピング土下座というのは、真に非を認め、最大限に謝罪の意を示そうとした際に出るものだとこのとき感心した。無意識に俺は飛んでいたのだから。
いやはや彼女が専属のコスプレイヤーということであればこの外見は納得のクオリティである。完璧なフューたんなんだもの……なんてことが宙を舞いながら走馬灯のように脳裏を駆け巡っていた。
「えっ……と、これはどういう状況……冬華?」
「あ、綴音。おいっすー」
着地と同時に、床を舐めんばかりに額をこすり付けていた俺の背後から、またもや聞き馴染んだ声が響いた。
ま……さか。
声の主を確認すべく顔を上げる。
「つづりんのレイヤーさんまで!?!?」
「れ、れいやー?」
「ごめん綴音。今そういうことになってるから、あーしら」
まごうことなき詞ノ葉 つづりがそこにいた。




