第22話:聞いてないですよ!?
◇◆
「ふぅ……」
賑やかに鳴っていたPOPミュージックが止み、静寂が訪れてもまだ耳がじんじんとするこの感覚は、達成感にも似た心地よさがある。
都内某スタジオ。ライブに向けたダンスレッスンが終わり、スタッフやメンバーがゾロゾロと掃けていく後ろ姿を見送ると、壁一面に張られたガラスは残す二つの影だけを映していた。
もちろん一つは私。むぅ……汗のベタつきが気になっていたが、身体のラインが強調されるほどにトレーニングウェアが張り付いている。早く着替えたい……。
「お疲れ様です、つづりさん」
そしてもう一つ。ピシッとしたシワのないスーツ姿に、角ばった眼鏡をキラリと反射させている女性。マネージャーの葛城さんだ。
「レッスンいい感じですね」
「ありがとうございます。オリ曲の方はほぼ完ぺき……かな? あとはグループ曲の仕上げを頑張らないと」
「本当、つづりさん最近頑張ってますよね。配信も同接凄いじゃないですか」
「綴り手さん含めファンの皆さんのおかげですよ。そんな皆さんのためにもライブは大成功させないと」
「頼もしい限りです」
軽く微笑み、クイッと眼鏡を上げると、マネージャーさんは脇に挟んでいたタブレット端末を取り出した。いつもの流れ、スケジュールチェックの合図だ。
私は自分でもスケジュール管理をしており、今週の予定は全て頭の中に入っている。その辺、完全にマネージャーに任せている子もいて「打ち合わせが大変だ」なんて話は聞いたりもするが、私と葛城さんの場合はいつもこのような場での立ち話程度で十分だった。
「今週の案件は一つ、新作ソシャゲのPRでしたよね?」
「ん、あぁ。今日はちょっとスケジュール確認以外で用がありまして」
「ほぇ? なんでしょうか?」
なんだろう……。
あ、もしかしてとり蔵さんのことかな?
思い当たる節としてはそれしかなかった。そう、今週の日曜日はとり蔵さんのヴァ―学メンバー専属コーチの採用面接が行われるのだ。
もちろんバッチリ予定は調整済み。初めてとり蔵さんと会えるなんて……他の何を差し置いてもこの日だけは絶対に案件は受けないと決めていた。既に入っていたものは無理を言ってリスケまでしてもらっている。
ど、どんな人なんだろう? 優しいお兄さんって感じなんだろうなぁ……いや、案外おじさんだったり? ど、どうしよう、もの凄いイケメンだったら、あわわわわ。お、落ち着け私。
加速していくイマジナリーとり蔵さんの妄想……ダンス中よりも高鳴る鼓動を抑えようと、私は壁際に置いていた自分のペットボトルを開けスポーツドリンクを一口含んだ。
「例の彼氏さんの件でちょっと」
「ごふっ!!」
そしてそれはマーライオンの口から放たれる水の如く、綺麗な放物線を描き噴き出した。
「けほっ、かはっ。だ、だからとり蔵さんはまだ彼氏じゃないと」
「まだ……ね。それに私は名前も言っていませんが」
「ち、違くて!! もうっ!! マネージャーさん!?」
せっかくクールダウンしそうだった身体は一気にオーバーヒート。ガラス張りのせいで真っ赤になっている自分の顔が見え、それがさらに熱を籠らせていく。パタパタと手で煽いでみたが、まさに焼石に風である。
キュッ────
そんな蒸気吹き出る完熟トマトのごとき私の横で、葛城さんは置いてあったモップを取り、私がマーライオンしたスポーツドリンクを拭き取ってくれていた。気のせいか、少しだけその口元が緩んでいるような……。
「す、すいません。じ、自分でやります」
「いえ、大丈夫です。ちょっと狙って言いましたので」
覗く白い歯。
全然気のせいじゃなかった。
あれ……葛城さん、こんなキャラだったっけ!?
「えぇ……??」
「ふふっ。ごめんなさい、あまりにつづりさんがピュアなものでつい」
私の中で崩れていく葛城像……。『シゴデキのバリキャリだと思っていたマネージャーさんが、からかい上手のお茶目さんだった件について』いや、別に上手ではないか。
「ピュアって、馬鹿にしてます? 確かに未だ恋愛経験ゼロの喪女ですけど……」
「いやいやそんなことは、ごめんなさいちょっと悪ふざけが過ぎましたね。むしろ会社としては大変ありがたい限りといいますか……個人的にもつづり、いえ、綴音さんは素敵な方だと思ってますよ?」
「ふーん」
お辞儀と共にスッと真顔に戻った葛城さん。表情からもそれが一切の曇りなき本音であることは伝わってきたものの、一度からかわれている手前ジト目で返しておくとしよう。
「本当ですよ? 逆に、ポッと出の悪い男とかに引っかからないか皆、心配しているぐらいですから……」
「皆、ですか?」
「はい、ヴァヴァー社員一同、皆」
「はい!?」
鏡に映った私が目を見開き、そして私と目が合った。互いに意味が分からないという顔だ。
「あれ、知らないです? 詞ノ葉つづりと八重樫フューに彼氏が居ないのはヴァヴァー七不思議のひとつなんですよ。全社員がその動向を気にしてます。あ、男性職員には気を付けてくださいね? めちゃくちゃ狙ってる人いますから。もちろん手を出したら懲戒ですけど」
「ぷっ。なんですかそれ、初めて聞きましたよ七不思議なんて」
「いやいやだって、お二人とも普通に顔出ししても天下とれるぐらい可愛いじゃないですか。意味不明ですもんVtuberやってるのが…………もう出せばいいのに、全部……」
そう切り出したマネージャーさんはぎょっと身をこちらへ乗り出した。
「てか前代未聞ですよ!? 本人たちの顔からそのままのモデル作るって何それ!? 意味わからんでしょ!? 天使か?天使なのか!? てか身バレするわ普通!! なんで!? バカなの運営は!? 何が「可愛いからそのままで行きましょう」だよ!! あのゲボCEOが!! 仕事振りすぎなんじゃいボケッ!! はぁ……はぁ……こちとらアラフォーなのに彼氏すら居ない……激務で肌艶はオワオワリ……これからの望みが……女としての人生が……うぅ……」
え……私これ地雷踏んだの……?
いや、勝手にこの人が自分の前に地雷おいて踏んだよね!?
語気が強まったかと思うと、一変して泣きそうな表情になっているマネージャーさん。この人の自我と共に、私の中でヒビの入っていた葛城像も完全に崩壊した瞬間だった。
「お、落ち着いてくださいマネージャーさん」
「はぁ……はぁ……私もガワ作ってVマネージャーやろうかしら」
「え、あぁ。いいんじゃないですか? そういうのやってる事務所もあるし。お隣のブイライブさんのVちゃんとかそうですよね?」
「ふっ、冗談ですよ。流石に私には ────」
「すごいモテてましたよ、Vちゃん」
「えーっと、明日の十時に企画部と打ち合わせを……っじゃなくてですね!」
第二巻……『シゴデキのバリキャリだと思っていたマネージャーさんが、めちゃくちゃ面白い人で煩悩まみれだった件について』
まさかの葛城さん、ここまでノリがよかったとは……徹夜でホラー配信のアーカイブ漁りに付き合ってもらってた時からうっすらと気づいていたが、最高のマネージャーさんかもしれない。
本当……タレントに手を出したとか噂を聞く男のマネージャーさんもいるからなぁ。私はそんなことがなくて良かった。
「ふふっ、Vtuberとしての葛城さん。私は意外と人気でると思いますけど?」
「いやいや……まぁ冗談はここまでとして……そろそろ本題を話しても?」
「はいもちろん。それで、とり蔵さんの件というのは?」
「ゴホンッ。まぁ今までの流れが関係ないということもないのですが……」
「?」
「端的に。リスケとかされてましたけど……日曜日、つづりさんは来ちゃダメですからね?」
その瞬間、頭の中で回っていたあれやこれやの妄想が全て消し飛び、
体温がサーッと下ってゆくのを感じた。
ひゅっと細くなった喉の奥を声にならない声が通り抜ける。
「……え?」




