二話
大聖堂の一階アルコーブで首司祭は黒い外衣を着た男と向かい合っていた。男は外衣を脱ぎ、首司祭に渡した。男はジノ教の平服を着ておらず、世俗の服装だった。
「どうですか、ご希望には添えたと思いますが?」
「ええ、事は予定通り運びました」
「それでは報酬の方を……」
コツコツと足音が聞こえ、男は黙った。階段を誰かが下りてくる。首司祭との密会を見られてはマズイ。男の焦りとは裏腹に、首司祭は落ち着いていた。
「なぜ外民が大聖堂にいる?」
男は震え上がった。白と金の際服を着たヴァシリウ大主教が現れたのだ。大主教は首司祭に問う。
「お前が許可したのか?」
「いいえ。おおよそ忍び込んだのでしょう」
「そっ、そんな!! 私は貴方の指示に従って――」
「神聖なる大聖堂に無断で入った罪、神に問うてみよう」
大主教はそう言うと、杖を天に掲げた。
「不埒な者への罰!!」
大主教がそう唱えると、男と大主教の間に、灰色の雲が渦巻いて現れた。
「ヒィィィ! どうか、命だけは!!」
男は平伏して命乞いをした。
「全ては神が決めることだ――」
大主教の言葉に応じるように、黒雲から黄色い光が放たれ、男の体に突き刺さった。男は言葉を発する事もなく、白目を剥き死んだ。
黒雲が消えると大主教は男に背を向け、首司祭に言った。
「この男を不備なく弔いなさい。彼の罪は神によって洗い流されました。罪なき者の死体を蔑ろにすると、神の機嫌を損ねます」
「分かりました」
大主教は首司祭の返事を聞くと、その場を去った。
ヴァシリウ大主教は階段を上がり、二階の一室に入った。部屋の中央のテーブルを囲んで、三人の大主教が座っていた。テーブルの中央には、ワインボトルが一本、それを囲むようにワイングラスが四つ置かれている。
「後始末は終わった」
ヴァシリウ大主教はそう言って、空いている椅子に座った。
「悪党が一人消えた――この善行を公にできないのは残念ですな」
【イオアニワィス】大主教はクククと笑った。
「しかし、あの司祭、杯が偽物であることに気づきおったぞ。面倒ではないか?」
【エコノモウ】大主教は困り顔で言った。
「問題無い。手は打ってある」
「流石はヴァシリウ大主教。抜け目がありませんな」
「後は教徒の反応だな。ジノの杯が壊された責任が我らにもあると、聴衆は思うかもしれん。なにせ、前代未聞の事だからな」
【アレクシオチ】大主教の指摘に二人の大主教はたじろいだ。
「大衆の目があの司祭に向くように仕掛けはしている。それに、杯で手に入る利益を考えれば、些細な事だ」
「ジノワィオチ様の、杯のピスティ、一年分が手に入ったのだ。ドラクマに換算すれば、数百万はくだらないな」
「そう考えれば、ニ万ドラクマのニセの杯は安すぎたな」
イオアニワィス大主教は、またクククと笑った。
「これもあの司祭のおかげだ。平民の司祭が数百万を産んだのだ――聖人と呼ばれるに相応しい偉業だな」
「……聖人か。では、死せる聖人のために祈ってやらねばならんな」
「そうですな。みんなで祈りましょう。名も知らぬあわれな平民の司祭に!」
「そう、我らに栄華を授けてくれた聖人に!」
ワイングラスを掲げた、四人の笑い声が部屋を埋め尽くした。
ワィミトリオスは本来、査問会にかけられる立場だ。そこで、神の信託を行い、ワィミトリオスの行動に落ち度があったかを、神が判断する。しかし、調査の結果、ワィミトリオスが反ジノ教勢力の一員である事が判明した。ワィミトリオスの部屋の中に、杯を壊すための計画が書かれていた紙と、反ジノ教過激派とやりとしている手紙が見つかった。このため、ワィミトリオスはジノ教徒ではないと判断され、査問会にはかけられず、裁判にかけられることになった。
しかし、彼がやった事が公になると、国民のほぼ全員がジノ教徒のエーゲ連邦国では、彼の弁護を引き受ける者が現れず、彼自身にも弁護能力が無いと判断され、彼の処罰は裁判官たちの協議で決めらることになった。
ワィミトリオスは独房で祈りを捧げていた。自分に負い目は無い。神への信仰に偽りは無く、邪な人間にどんな汚名を着せられようが、神は私の忠誠心を認めてくれるだろう。祈りを続けるワィミトリオスの元に、看守がやってきた。看守は銀鶏の杯を独房の前に置いた。
「ジノワィオチ様の杯に入れるピスティを集めている。お前に良心の呵責があるなら協力しなさい」
杯を見て、ワィミトリオスの目から涙がこぼれた。大主教たちの狙いはこれだったのだ。
聖人の器、黄金鳥の杯のピスティは杯の持ち主しか使う事ができない。聖人が亡くなっている場合は、神へと送られる事になる。しかし、杯にはもう一種、【捧呈の器】と呼ばれる銀鶏の杯がある。こちらは、祈った者が自分の持つピスティを杯に入れることが出来る。そして、銀鶏の杯からは、誰でも自由にピスティを取り出すことが出来る。大主教たちはジノワィオチ様の杯が壊れ、ピスティが無くなったと偽り、信徒に寄付を募り、銀鶏の杯でピスティを集め、自分たちのものにするのだ。
ワィミトリオスは杯の前で震えながら涙を流した。ジノワィオチ様に捧げるためなら、自分のピスティを差し出す事は、悩むことでは無い。しかし、この杯に自分のピスティを差し出しても、自分を嵌めた、大主教たちが笑うだけだ。ワィミトリオスは悔しさで涙が止まらなかった。
「ふん! やはりお前にはジノワィオチ様への信仰など無いようだな。誰もお前を擁護しないだろう。覚悟しておけ」
看守は杯を持ってその場を去った。
その後、ワィミトリオス祈り続けた。なぜ自分がこんな目に遭うのだろうか。神の信託が欲しかった。




