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「自分を磨け」と言ったのはあなたです  作者: 伊賀海栗


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第9話 英雄の治める地


 不愉快な来客からもたらされたモヤモヤは、3日たった今、綺麗さっぱり消え失せました。

 頭上には雲一つない晴天、眼下には美しい緑の森が広がって……!


「うわぁ、これがオルトラ領なのですね!」

「あまり身を乗り出すと危険です、オリエッタ嬢」


 私とジュスト様と、そして兄のアンドレアが乗っているこの馬車は、牽引するのが馬ではなくヒッポグリフ。ヒッポグリフとは前半身が大鷲で後半身が馬の姿をした魔物のことで、翼の生えた魔物を飼い慣らした人間は、ついに空の旅を可能にしたのです。


 高所からの眺めは目新しさもあって本当に最高。窓を開けて下を覗き込む私を、ジュスト様が支えてくださいます。


「でも――」

「窓の外はヒッポグリフの糞が飛んで来る。気を付けたほうがいいぜ。しかも結構でかい」

「ひぇっ」


 兄の言葉が本当か嘘かはわかりませんが、とにかく私は急いで座席に座り直しました。さすがにウンチを被りたくはありませんから。


 ふ、と笑みを浮かべたジュスト様ですが「失礼」と呟いていつもの真顔に戻ります。


「座席からも景色は十分に見渡せるかと。右手側に広がる森と、左手側の草原の間には山から流れる川があり、大雑把に言うとその川が竜とそれ以外の生き物の生息域を分けています」


 オルトラ領はその東西および北側の三方向を高い山脈に囲まれています。岩山は竜の営巣地となっており、領地には竜と魔物が跋扈しているのだそう。


 右側の窓から外を見ていた私は、植物事典をめくって森に生える木を1本1本確認していきます。


 ジュスト様はそんな私を見て少し目を丸くしたようでしたが、「さすがアンドレアの妹」と呟くのはやめてほしいものです。お兄様は生粋の魔物オタクなので、同類と思われるのは遺憾というか。


「そこでアンドレアには、魔物をマネタイズする方法について相談に乗っていただきたくお呼びしました。オリエッタ嬢には自由にギフトの練習をしてもらえればと考えていますが――」


 言葉をきったジュスト様を見上げると、グレーの瞳がこちらを見つめていました。


「もちろん、豊穣のギフトによって利益がもたらされる可能性もあるのでは、という下心もあります」

「私までご招待いただき感謝しています。私も、何かお役に立てないか考えてみますわ」


 言わなくてもいいことだって正直に打ち明ける。こういう誠実なところが、彼の魅力なのでしょう。

 頷きつつ左側の景色をチラっと見ると、説明の通り森ではなく草原が広がっていました。ただその草原に緑がほとんどない。


「すっかり土が見えて草原って感じがしないですね」

「はい。要因として考えられるのは竜の減少です。餌となるはずの草食の生き物が増え、草を食い荒らしているのでしょう。魔物にせよ一般動物にせよその草食たちが川を渡り、森の生態系まで変えつつあるため頭を抱えています」

「なぜ竜が減ったのですか」

「これは憶測になりますが。北西の山向こうは、先ごろまで俺やアンドレアが戦っていた隣国。幾度となく発生する大規模魔法に、この山を営巣地に適さないと考えた竜がいる……ということかと」


 卵を産み子を育てる場所ですから、外敵のいない安心できる環境であることが第一条件ですものね。竜のような強者ならどこでも大丈夫、というわけにはいかないのでしょう。


 でも草原を復活させたいということなら、早速お役に立てそうです。もしそれで魔物が増えるなら、そこから先はお兄様に任せるとして。


「それでしたら私が――きゃぁっ!」


 耳をつんざくような咆哮が聞こえたかと思うと、突然馬車が大きく揺れて車体が斜めになりました。


 ジュスト様とお兄様のおふたりが私を支えてくださったおかげで、転がらずに済みましたが……車体はまだ斜めのまま。

 私を抱えるジュスト様のお顔がすごく近くて緊張してしまいます。それどころじゃないのはわかってるんですけど!


 外ではヒッポグリフが激しく鳴き声をあげ、御者が必死になだめているようです。


 私のお尻の下敷きになっているお兄様がちょっぴり苦しそうに呻きながら、それでもなお心配して声を掛けてくれました。


「オリー、大丈夫か」

「ええ。おかげさまで。でもこれは一体……」

「短慮軽率、俺の失敗です。竜の警戒範囲に入ってしまい、威嚇されたヒッポグリフが恐慌状態になっています。予測を誤りました。もう少し近づけるかと思ったのですが」


 ジュスト様の低い声が耳をかすめ、心臓が大きく跳ねます。私ったら、私ったら!


「アンドレア、オリエッタ嬢をお任せしても?」

「ああ、こっちで支えるさ。これでも可愛い妹だからな」


 ジュスト様が私の身体を完全に抱き上げたかと思うと、その間に体勢を立て直した兄が私を抱えなおしました。

 そしてジュスト様は扉を開けてふわっと外へ。


「え、ちょっ」

「あははは! 驚くよな? 大魔術師サマは空も飛べるんだと」

「ごく短時間、宙に浮くだけです。その説明は誤解を招きます」


 兄の言葉に、車体の外から間髪入れず訂正が入りました。それでも十分驚愕なのですけどね。

 外からはさらにジュスト様の声が聞こえてきます。


「このまま強制的に降ろします。舌を噛まないよう口は閉じておいてください」


 えっ、と言う間もなく車体が揺れ、窓から見える景色はぐんぐんと下降していきました。それからすぐに車体は完全に大地へ降りましたが、着地の衝撃はほとんどありません。


 お兄様はホッと息をついて私を解放すると、いそいそと馬車を出てしまいました。私もそれに続きます。


 外ではすでに降り立っていたジュスト様がほんの少し眉を下げ、胸に右手をあてて謝罪のポーズ。


「怖い思いをさせてすみません。この通りですので領地の奥へ行くには、魔物が跋扈する陸路を使うしかありません」

「しっかり準備したほうが良さそうだ」

「そうですね。明日は街で必要なものを購入しましょう」


 戦い慣れた人たちは、何事もなかったように話しています。

 私はまだ心臓がバクバクいってるのに!




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