第32話 切磋琢磨することを①
ふざけるな、と一層暴れ出したティーノ様の胸ポケットから、小さく畳まれた紙片がこぼれ落ちました。
落とした本人は気付いていない模様。ジュスト様がサッと拾い上げ、それを開きます。
さらにジュスト様は魔物の首に巻かれていた布を再び広げ、そこに記された術式に目を通しました。
「この僕ほどオリエッタを愛する奴はいない。僕から離れたって後悔するだけだぞ、今すぐ謝れば僕だって――」
「これはいわゆる『呪符』ですね。燃やすだけで発動します。対価はやはりオリエッタ嬢の髪。内容は……魔物にかけられた呪術を解き、さらに首に巻いた布を締め上げるというもの」
兵士を呼び寄せ、ジュスト様は紙片と布を持たせました。兵士はそれを陛下のもとへと運びます。
「え? それって」
「はい。オリエッタ嬢のご想像の通りでしょう」
魔物にかけられた呪術の中身を知っていて、私の髪を持っている。
それが意味するところは――マッチポンプに違いありません。ティーノ様がこの件になんらかの関わりがあることは気付いていたけれど、まさか仕掛け人だなんて。
そこへちょうど、ジュスト様の部下であるオルトラの兵たちが、見知らぬ男たちを数人引き連れて戻って来ました。彼らが恐らく真の術者なのでしょう。
燃やすだけで発動する呪符を用意して、ティーノ様に持たせたのも彼らの仕業に違いありません。
「呪術の対価は、内容と関連が深いものほど効果が高くなります。この土地の魔物はオリエッタ嬢のギフトで育った植物を食べていますし、さらに対象をオリエッタ嬢に指定するのなら、オリエッタ嬢の毛髪を用いるのは至極当然ですね」
「なんでそんなことを……」
「なんでじゃない。言うことを聞かない妻を躾けるのは夫の責任だろう!」
「思い上がるな。考え違いも甚だしい」
底冷えのするような冷たく固い声でした。ジュスト様には珍しくとても怖い表情です。
これ以上話すことはないというように、お兄様がティーノ様を乱暴に立たせてどこかへと連れて行きました。
実行犯である術者たちも同様です。
シンと静まり返った広場の中で、地響きのような太い笑い声があがりました。
「ふっはっはっはっは! まことおもしろいものを見た。ジュストも怒ることがあるか」
「陛下、揶揄わないでください」
「しかし素晴らしい余興であった。竜もこの目で見ることが叶ったし、何も言うことはない。よくやった」
余興。そう、これは余興であって警備の不備ではないし、ゲストを危険にさらしたわけでもない……ということになったのです。
私とジュスト様は陛下へ深く礼をとり、余興を締めくくったのでした。
その夜。
晩餐会を終えて、狩猟参加者たちは庭の一角に建設したゲストハウスへ。夜も更けて城塞全体が静けさを取り戻した頃、私は城塞の屋上へと出てきました。
北に見える霊峰オルタンシアは月明かりを受けて淡く光っているよう。
森は薄暗い中でも、荒れてしまったのがわかります。明日になったらまた整備し直さなくてはいけません。倒されてしまった木々を早く元気にしてあげたいし。
でも、まだこの地に残る理由ができたことを、心のどこかで喜んでいる自分も確かに存在して。
「寒くありませんか」
振り返るとジュスト様が出入り口のところに立っていました。
「ここにいるってよくわかりましたね」
「白状しますと、追いかけて来ました。あなたのところへ行こうとしたら、ちょうどお見掛けしたので」
「私のところに?」
ジュスト様は答えず、真っ直ぐこちらへとやって来ます。しなやかな足運びで、ぶれることなく真っ直ぐに。
私はいつもと違う雰囲気を感じ取ってしまい、自然と呼吸が浅くなります。
目の前までやって来ると、彼は右手をご自身の胸にあて感謝の言葉を口にしました。
「改めて感謝します。あなたの機転のおかげで怪我人を出さずにすみました」
「いえ、そんなこと。こちらこそありがとうございます。ジュスト様のおかげで私はこうして生きていられるので――」
「それです」
「それ?」
普段から表情を大きく変えないジュスト様ですが、今夜の彼はいつにも増して真面目なお顔。……ではあるけれど、頬がほんのり赤いような。いえ、暗いし気のせいかも。
「俺にとって、今日がひとつの区切りとなるはずでした。今日を成功させることが一人前の証になるだろうと」
「ご自身の領地を立派に整え、陛下にご満足いただいたのですからおっしゃる通りですわ」
「ですが、大事なことを後回しにし過ぎました。一人前になってからと考えたのが仇となった。もっと早くハッキリさせておけば、こんな事態は回避できたかもしれません」
大事なことってなんでしょう。
首を傾げていると、ジュスト様は私の目の前で音もなく跪きました。
「え」
「オリエッタ嬢をお慕いしています。素直さ、意志の強さ、それに勇気も。あなたを構成する全てを尊敬しています。あなたと一緒なら、俺は自分を磨き続けられます。だから俺はそんなあなたと連理の枝となって人生を共に歩んでいきたい」
「ジュスト様……」
彼が懐から取り出しこちらへ差し出したのは、虹色に輝く花びらでした。いえ、花びらというには真ん丸ですし、貝殻のほうが近いでしょうか。
しかしこの色、この形状、最近よく目にするような気が……あっ。
頭に手をやって、私の髪を飾る雪の結晶の形をしたヘアアクセサリーに触れました。だってこれによく似ているから。
「竜の涙?」
「はい。本物の竜の涙です」
「本物? でもあれは春に降る特別な雪だと聞きましたが」
「いえ、雪ではなく、正しくは竜の鱗です。春、成熟した竜が番を見つけると、額を擦りあわせて互いの鱗を剥がします。それが遠目には雪に見えるのです。俺はそれを竜の結婚式なのではないかと」
「竜の結婚式……」
思いがけず聞こえたロマンチックな言葉。虹色の鱗は本当に美しくて、これが竜たちの結婚の証なのかと感心すると同時に、これを差し出されたことの意味が少しずつわかってきた、というか。
「俺と結婚してください」
風は冷たいのに頬はとっても熱くて、視界がみるみる滲んでいきました。
「……はい!」
「よしっ」
キラキラに輝く竜の鱗を受け取ると、立ち上がったジュスト様が私の身体を強く抱きしめました。
彼がこんなに笑ったのをはじめて見たかもしれません。




