第28話 夜空のデート
ヒッポグリフのおかげで空を飛ぶのには慣れているつもりでしたが、安定した箱の中にいるのとは全然違いますね、竜の背は。
そうです、竜の背に乗って空を飛んでいるのです。
もちろん鞍も鐙も手綱もあって、さらにジュスト様が魔術によって風を打ち消してくださいます。なんなら背後からしっかり私を抱えてくださるので、箱より心細いというだけで安定感は抜群のはず。
……いややっぱり怖いものは怖いでしょうが!
「怖くはないですか」
「怖いです」
「ふ……俺も怖い」
「怖いんだ」
「ですが、だいぶ慣れました。今は楽しささえ感じます。オリエッタ嬢にも、いつか気持ちがいいと思ってもらえたら嬉しい」
いつか。
その言葉は私とジュスト様との未来を感じさせるものです。少なくとも、竜の背に乗せてくれるような関係が今後も続くということで。
でも、これからもお友達でいてくれるんですか、なんて聞いたら魔法が解けてしまう気がして、頷くだけにとどめました。喜びと不安では、不安のほうが大きいから。
きっと私は小心者で、ちょっぴり特別な扱いをしてもらえるこの立場を失いたくないのです。
「まさか、背に乗せてもらえるほど竜と親交を深めていたなんて」
「俺自身も驚愕しています。細かい条件はあるにせよ、山で人間が素材の採取をすることにも許可がおりました」
「あはは、許可制なんですね」
「新たな命を育む場として、長きにわたり霊峰オルタンシアを守ってきたのは竜ですから」
人間の尺度では竜は魔物にカテゴライズされます。
その魔物に対しても驕らず、むしろ尊重しながら接するジュスト様が、私はどうしようもなく好きで。
王都には街の明かりが見えますが、その周囲は闇に包まれています。空には無数の星が輝き、夜の空気は冷たくて。ジュスト様がかけてくれたジャケットは暖かくて、そしてインクにも似た彼の香り。
月に照らされた雲がゆっくり形を変えながら流れるのを眺める、今この瞬間が幸せというものなのかもしれません。
そして、いずれまたこの幸せな時間を享受できるという「いつか」の約束。
「では山の整備も進めないといけませんね」
「はい。ですので、オリエッタ嬢にもお手伝いいただきたく」
「もちろんそのつもりです。私だって、スキルの研鑽を続けたいですから」
ふんすと鼻息荒く頷いたとき、私の手に何かが触れました。
手元を見れば、手綱を握る私の右手の横に彼の右手が添えられていたのです。ちょっとドキッとしたけれど、たまたま触れただけでしょう。
私は私で、浅ましくも触れたままでいたいと思ってしまったので、このままで。手袋越しにもわかる彼の手の温かさが愛おしい。
「オリエッタ嬢が活性化した平原は、変わらず豊かな緑に溢れています。食料を求めて森へ移動した動物や魔物も、少しずつ平原へと戻っているようです」
「そうですか、よかったぁ……」
ホッと息をつく私の耳にジュスト様が口元を寄せました。
すぐ真横に彼のお顔があって、私は緊張のあまり前しか見られません。
「すべてオリエッタ嬢のおかげです」
「い、いえ、私なんて」
「謙遜も過ぎれば傲慢と言います。……が、俺もその口なので自戒せねば。どうか俺の言葉は素直に受け取ってください。俺の前だけで構わないので」
「……はい、ありがとうございます」
またひとつ、私とジュスト様だけの約束事が増えて。そのひとつひとつが私にとって宝石のごとき輝きを放っていると、彼は気付いているでしょうか。
今後、彼が誰かとご結婚なさっても、今この瞬間が私をきっと支えてくれ――。
喜びでにやけた顔を見られたくなくて顔をそむけたそのとき、彼の右手が私の右手に重なりました。冷えていた手には熱っぽささえ感じられる体温。これは決して偶然では起こり得ない接触です。
息がつまる。心臓が壊れそうなくらい早鐘を打っていて、どうしていいのかわからない。けど、さすがにこれは恥ずかし……!
「あっ……、あの、そういえば! さっきご両親とどんな話を?」
振りほどいた手が一気に冷たくなっていきます。
「もちろん、結婚についてです」
「し、心配なさってましたものね。これで公爵夫妻も安心でしょう」
「そうですね。たまたまお相手の家格が公爵家にも相応しく、ファルカード家の利益にも寄与するものでした。そうでなかったら養父母をがっかりさせたかもしれませんが……」
「それって、政略結婚における条件に関係なくジュスト様が結婚したいと願った、ということですか」
自分から聞いておきながら、答えを聞きたくなくて空を見上げました。
この話には興味がありませんって、そういう態度で真実を遠ざけようと思ったのです。もちろん、質問した以上は返事もあるわけですけど。
「当然ながら。そうでなければ今もなお、婚姻については後回しにしていたはずです」
「で、ですよね……」
「あなたは未だ、ミラベラ伯爵令息に植え付けられた固定観念から抜け出せていないようです」
「それはどういう」
「さて、そろそろ戻りましょうか。風邪をひいてしまう前に」
城に竜を下ろすにあたって、許可をとるのが大変だった……なんて、苦労話を聞きながら城へ戻ります。
ジュスト様の手をお借りしながら竜から降りると、彼は再び私の耳元へお口を寄せました。
「以前、言おうとしてやめた言葉があるのを覚えていますか」
「え……と。あ、お酒を飲んでいたときでしたっけ」
「そうですね。あのとき俺は『俺ならあなたにそんな顔をさせない』と言うつもりでした。俺は外に愛を求めない。たったひとり、愛する妻がいてくれればいい。俺の手をとることはあなたにとっても為になるかと」
「……え? は、え?」
アンドレアに叱られる前に帰りましょう、とジュスト様は混乱する私の手を引いて歩き出してしまいました。
待って、今、何を言われたんですか?




