第27話 いつもとは違う夜会④
再びざわつく会場の中で、ナタリアは痛い痛いと泣き言を繰り返します。
気を利かせた給仕が椅子を持ってきて、ナタリアがそこに掛けました。
「見てくださいませ、オルトラ伯爵。お姉さまが思い切りあたしの足を踏んだのです。ティーノ様との婚約が白紙に至ったのが、あたしのせいだって怒っていらっしゃるんだわ」
彼女の目から落ちる涙はどう見ても本物で、しゃくりあげるたび柔らかなピンク色の髪がふわっと揺れます。その儚い姿は庇護欲をそそられるもので。
事態を見守る人々の中、ひとりの若い男性と目が合いました。ナタリアに向けていた憐憫の表情が、視線がぶつかった瞬間に怒りに変わる……凝り固まった正義の刃がこちらに向けられるのを感じました。
私たちの事情を知らない人、あるいは信じたい側面しか信じない人にとって、可憐な美少女の涙に嘘があるとは思わないのでしょう。
「違――」
「お姉さまはそのお立場を利用して、あたしに何も言わせないのです。でも、オルトラ伯爵がもし騙されていたらおかわいそうだから……っ」
ジュスト様はひとつ頷いてナタリアの足元に跪きました。
ナタリアは涙を拭うその手元に隠して、ほんの一瞬だけ私に笑みを浮かべたのです。まるでナイフで貫かれたみたいに胸が苦しいし痛い。
騙されないで。嘘だから、あの子の言葉を信じないで。そう叫べたらどれだけよかったか。
「失礼。少し怪我の具合を拝見」
そう告げたジュスト様が、汚れるのも厭わずご自身の膝にナタリアの足を載せます。
ナタリアの泣き顔に恍惚、いえ、愉悦の色が混じりました。
婚約者だったティーノ様を独り占めされることに対しては、外聞の悪さ以外気になることはほとんどありませんでしたが……。
ジュスト様は嫌。彼がいつか誰かのものになると考えるのも心が痛かったけれど、それがもしナタリアだったら――!
呼吸が浅くなって息苦しさを感じる中、ジュスト様が彼女の足を見つめたのはほんの一瞬のこと。すぐに足を下ろし、立ち上がって私の隣へ戻っていらっしゃったのです。
「状況把握を完了しました。ナタリア・ベルテ子爵令嬢、虚偽の申告で他者の名誉を傷つけた場合には相応の刑罰が科されますが、承知の上ですね?」
「え……?」
予想と違う言葉に驚いてジュスト様を見上げると、彼はいつもの真顔のまま私の目を見つめて大きく首肯しました。その真っ直ぐな瞳の安心感たるや!
「あた、あたしは嘘なんてつかないわ!」
「ではあくまでオリエッタ嬢から危害を加えられたと主張するわけですね? ヒールの形状が怪我と一致しないにもかかわらず」
「は? それこそ嘘よ。だ、だって、でもお姉さまがどんな靴をお持ちかあたし知ってるもの」
「今夜は新調した靴をお召しです」
私に許可を得て、ジュスト様はわずかに私のドレスの裾を上げました。ヒールの先端が見える程度に少しだけ。
私の靴は現在の流行とはまるで違う、枝のように細いものでした。確かに、彼女の足の甲にあるような広い範囲の打ち身を作るのは難しいかもしれません。
「ち、違うわ、だってぐりぐりされたもの!」
「俺はおふたりが会話をするところを見ていました。俺だけじゃない……あちらの令嬢方も見ていたはずです。踏みにじるような動きがあれば気付くはずですので、聞いてみましょうか」
確かに、友人たちは見ていただろうと思います。
ぐ、と呻いたきり、ナタリアは何も言わなくなりました。ただ私を睨みつけるだけ。
そこに、どこかから年配の女性の声が。
「ああ、嫌ねぇ。これだから出自の卑しい娘は」
ナタリアは妾腹の子。
浮気や不倫が嫌悪されるこの社交界において、妾腹の子であり……しかも今までティーノ様にべったりだったナタリアは、人々の反感を買っていたのかもしれません。
その一言を皮切りに、特に婦人方が中心となってナタリアを孤立させていきます。俯いた彼女に声を掛けたのは、誰かが呼んだ警備兵でした。
「地味女のくせに……!」
憎々しげにそう吐き捨てて、ナタリアは会場をあとに。
私は彼女にかける言葉を持ちません。たまたま本家に生まれたから、たまたま母が妾だったから。それが逆だったら私がナタリアだったかもしれないから。
「解決できてよかった」
ナタリアの後ろ姿を見つめる私の背を、ジュスト様が優しく撫でてくれます。
「おかげさまで……。まさか、ナタリアがあんなことを言い出すなんて。本当にありがとうございました」
「俺は見たままを言っただけですから。しかしちょっと騒がしくなりました。外に出ませんか」
友人たちを振り返ると、やっぱり扇をパタパタ動かして何か言っています。
たぶん、「また今度聞かせて」ですね。扇の向きや開き方でメッセージを伝えるのは女性特有の文化ですが、この便利さを実感したのは今夜が初めてかも。
私はジュスト様に向き直って、差し出された手を取りました。
「是非」
……って、庭に出たかと思えば、ジュスト様は私を連れてずんずんと奥へと歩いていきます。
庭を抜け、見慣れない建物の裏手へまわって。
未婚の男女がふたりきりでこんなところへ来ていいはずがなくて、でも私はそれを指摘したくはなくて、ただ緊張と不安と高揚を感じながらついて行きました。
ついにジュスト様が足を止めたとき、そこは魔術師団の練兵場でした。
つまりは何もない広場なわけですが、なんとその広場の真ん中に大きな生き物がいたのです。その影は練兵場の端にいる私の足元にまで伸びていました。
「え……?」
「驚かせたかったのですが、成功しましたか」
「成功に決まってます。だって、これ、竜ですよ……?」
そう。そこにいたのは、大きな翼を持った竜でした。




