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「自分を磨け」と言ったのはあなたです  作者: 伊賀海栗


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第25話 いつもとは違う夜会②


「……は?」


 静まり返った会場の中で、ティーノ様からこぼれ落ちた声が大きく響きました。


「婚約破棄を受け入れると申し上げました。我が父とミラベラ伯爵との間でも先ほど話がついたところですわ」

「話がついた? いやいやいやいや、待て待て待て待て。おかしいだろう、僕は何も聞いてない」

「言い出したのはティーノ様ですわ。以前から度々おっしゃっていましたし、そうなさりたかったのでしょう?」


 周囲で交わされる囁き声はどうやら私に対して同情的なようです。ティーノ様は好感度を下げ過ぎましたから、これは当然の成り行きと言えるかもしれません。


 ティーノ様は心底意味が分からないとでも言いたげに、大きな身振り手振りを交えて訴えます。いえ、私を脅します。


「さっきからなんなんだ、その態度は。僕はミラベラ伯爵家の跡取りだぞ! ゆくゆくはこの国の宰相にだって手が届く。優秀な夫と何不自由ない生活を捨てようとは、いよいよおかしくなったか。大体、キャロモンテ家こそミラベラ家との縁談を強く願ったはずだ。君は貴族の結婚の意味するところをまるで理解していないようだが、これではキャロモンテがどうなることか――」

「縁談を積極的に推し進めたのはミラベラ伯爵家です。歴史ある武門の筆頭と縁を結ぶことで政界での影響力を拡大するはずでした」

「は? いや、もちろんミラベラにだって利はあるとも。だが」


 口角泡を飛ばして反論する姿に、私の張り詰めた緊張の糸がふわっとほどけました。握り締めていたジュスト様の手を離すと、ジュスト様は鼓舞するかのごとく背を撫でてくれます。


 今まで、私は彼の言葉のどこに正しさを感じていたのでしょうか。「良き妻とは」、「男たるもの」、「女ならば」、「宰相の妻となるのだから」。


 私は今まで、彼に押し付けられた理想の型枠の中で窮屈な思いをしてきたけれど、それは本当に理想を述べただけであって……そこに論理など微塵もなかった。


 前回の失態も含め、これだけのことをしでかしてまだ宰相の椅子が手に入ると考えられる人間に、宰相は務まりません。


 もう話を終わらせようと彼の言葉を遮ります。


「ティーノ様。貴族の婚約とは家同士の決め事であり」

「そうだ」

「先ほど、両家の主がその婚約を解消したと申し上げました」


 動きを止めたティーノ様の後ろで、ナタリアが音もなくそっと離れました。

 ティーノ様は一瞬だけ唇を引き結びましたが……。


「わがままもいい加減にしないか。この僕を困らせたかったのなら大成功だ。だからとにかく、今はふたりで話をしよう。ちょっとこっちに――」

「ひっ」


 全く会話が成立しないどころか、ティーノ様は大きく一歩を踏み出し、私の腕へと手を伸ばしたのです。


 恐怖で息ができません。つい先ほどまで婚約者だった相手が、話の通じない獣に見えてしまう。


 思わず身をすくめた私と、ぎらぎらと異様に目を輝かせるティーノ様の間に入ったのはジュスト様でした。

 ティーノ様の手が私に触れるより前に、彼の手首をがっちりと掴み上げてくださって。


「ミラベラ伯爵令息。いい加減にするべきなのは貴殿のほうです」


 掴まれた腕をどうにか振りほどこうとするティーノ様でしたが、ジュスト様はまるでびくともしません。そのうちにティーノ様は諦めて、腕を掴まれたまま抗議します。


「おま、お前は関係ないだろう! オリエッタに気に入られたいのか知らないが部外者は黙っていろ!」

「彼女の話を聞いていませんでしたか? 貴殿もまた、オリエッタ嬢とは無関係の間柄となったのだと」

「違う! 僕たちは当然互いに想い合っ―― 」


 言いかけたティーノ様の言葉は、高らかに鳴らされたラッパによって掻き消されます。

 国王陛下がお見えになる合図です。


 出席者が一様に深い礼を取って陛下を迎えます。それにはさすがのティーノ様も従うようでした。


 王族の入場は宮廷楽団によって荘厳な楽曲が奏でられます。どれだけの時間がたったでしょうか。お出でになった国王陛下、王妃殿下が席にお掛けになるとそこでいったん音がやみ、やっと私たちは顔をあげることができます。


 陛下はこういった場での挨拶があまりお好きではないらしく、目に留まった誰かといくつか話をすることで挨拶に替えることが常。そのため陛下の関心を引くべく、誰もが前のめりになって熱心に前方を見つめるわけですが。


「ジュスト。新たな領地はどうか」


 最初に声をお掛けになられた相手はジュスト様でした。重鎮と呼ばれるような公侯爵方がどよめきます。


「緑豊かでございます。素晴らしき土地を賜り感謝の念に堪えません」

「整備にはキャロモンテ兄妹も協力しているとか。この目で見るのを楽しみにしておるよ」


 オルトラ領の警備の任務は王国騎士からまだ完全に引継いだわけではありません。きっと、そういったところから情報が漏れているのでしょうね。


 隠しているわけではないので構いませんけれども。


「しかしジュスト、お前もそろそろ結――」

「陛下! こ、この男は婚約者のある女性を口説くような不埒者でございます!」


 ティーノ様は注目を浴びることだけはお上手なようです。ただ、浴び方が良くないのですけど。まさか陛下の言葉を遮って勝手に喋りかけるなんて。いっぱしの貴族ならあり得ないことです、本当にあり得ません。どうしちゃったのでしょう。


 会場のどこかでバタンと大きな音と、次いで小さな悲鳴が聞こえました。首を回して騒ぎのほうを見れば、ミラベラ伯爵夫人が卒倒してしまったようです。


「彼はなんなのだ、混乱しているのか? 誰ぞ、あの男を休憩室にでも連れて行ってやれ。あと、帰りの手配もな」


 陛下の言葉に従い、ティーノ様はあっという間に排除されてしまったのでした。


 ああ、本当に婚約解消してよかった……。




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