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「自分を磨け」と言ったのはあなたです  作者: 伊賀海栗


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第24話 いつもとは違う夜会①


 王都へ戻ってから10日ほどが経過しました。


 オルトラ領の整備についてはまだ登山道の修復が残っているけれど、当面は山に人を入れる予定がないとのことで、オルトラ領へ向かう必要がなくなってしまったのです。


 登山道についてはいずれお手伝いさせてもらえるかもしれないし、あるいはジュスト様ご自身で解決してしまうかもしれない。今はそれさえわかりません。


 こうしてジュスト様との関わりは希薄になっていくのでしょう。


「はぁ……」


 窓からオレンジに染まる空を見つつ、もう何度目になるかわからない溜め息をついたとき、困り切った表情の執事がやって来ました。


「お嬢様、ミラベラ伯爵令息ですが」

「ナタリアのところへ行ったのね?」

「……はい」


 今夜は社交期最後の王城での夜会。これを機にほとんどの貴族が自領、あるいは狩猟場などを目指して王都を発ちます。


 年内で最後のご挨拶の場となるわけですから、当然出席者も多いですし、最重要イベントと言っていいでしょう。


 にもかかわらず、まさか婚約者ではない女性をエスコートしようとは。


 ティーノ様から何通もお手紙をいただいたのは事実。手紙の中で、高価でイマドキな宝飾品を買ってやる、と珍しい言葉をいただいたのも事実。


 けれどそれは、先日のミラベラ邸での件について「僕に恥をかかせたことを謝罪すれば」という条件付きでした。


 謝罪は私がされるほうなのでは? と思ったので、すべてお断りのお返事をしていたのですが……。

 なるほど、意趣返しのつもりなのでしょうね。……意趣返しとは?


「お兄様は今夜、どなたと?」

「おひとりでと伺っております」

「きっとこうなるってわかっていらしたのね。ではエスコートはお兄様にお願いするとして……、この件でお父様にお話があるので時間を作っていただいて」


 執事は深々と頭を下げ、部屋を出て行きました。

 お父様からのお返事を待つ間、お兄様のところへ行きましょうか。エスコートをお願いしないと。


 部屋の外は私の胸の内みたいに静かでした。

 以前の私ならきっと焦っていたと思います。この大事な夜会で婚約者を伴わないだなんて、何かあったと噂されるのは必定ですから。


 男をうまく転がしてこそ良き妻だ……とはティーノ様の言ですが、本音はどうあれ殿方の多くがよく口にする言葉でもあります。私はそれを鵜吞みにして、ティーノ様がナタリアをエスコートするたびに、良妻失格の烙印を押されるような気がしていたのです。


 でも。

 良き夫になろうとしない人に尽くす必要はありませんものね。


 この婚約が、結婚が、私の人生をどう動かそうとも、私は私を大切に思ってくれる人たちのために生きたい。そう考えたら、すっと胸のモヤモヤが晴れたのです。


 家族や友人、従者はもちろん……オルトラ領で出会った兵士や作業者もそう。私のしたことを素直に称え喜んでくれた彼らのおかげで私は胸を張れる。

 それにもちろん、ジュスト様という存在があってこそで――。


 お兄様の部屋の扉をノックすると、すぐにお返事がありました。


「おぅ、入ってくれ。もう準備はできてる」


 そんな言葉に従い扉を開けると、そこにいたのは頭からつま先までしっかり整え、秋らしい焦茶色の夜会服を着こなした……ジュスト様だったのです。


 ◇ ◇ ◇


 会場へ入ると、冗談でも誇張でもなく全ての視線が私たちに注がれました。


 それも当然のこと。だって今宵の私のパートナーはティーノ様でもお兄様でもなく、ジュスト様なのですから。


 雰囲気に気圧されて一瞬だけ俯いてしまったけれど、今夜のドレスはオルトラの森のような濃緑色。裾には青の泉を飛び回る光虫のように金糸の刺繍が施され、そのキラキラが私に勇気をくれる。


 隣に視線をやればジュスト様の姿が目に映ります。


 先ほど、自宅でジュスト様が茶色の夜会服を着ていらっしゃるのを見た時、それはもうお似合いだったのですが、少々不思議に思ったのです。彼が夜会の場で茶色を纏うのを目にしたことはなかったので。


 ですが今、私の隣に立ってくださるのを見てその意図は一目瞭然です。

 この茶色は、私の纏う緑を引き立たせるための色だと。


「っ……!」


 思わず頬が赤くなります。だってもしそうなら、私のためにわざわざ誂えてくださったということで……!


「大丈夫ですか」


 ジュスト様が気遣わしげにお声がけくださいます。

 確かに最初は緊張してしまったけれど、今のこれは貴方のせいですわ。


 しかもジュスト様を見上げれば目に入るのが、胸元を飾るクラバットピン。黄金にも似た輝きを放つトパーズは、まるでドレスの裾の金糸と対をなしているかのようで……。


 ふふ。それは考えすぎかしら、なんて自然と笑みがこぼれました。


「視線に驚いてしまっただけです。問題ありませんわ」

「今夜のオリエッタ嬢は誰より美しい。ですので、そうして笑っていてください」

「ジュスト様はいつからそんなにお世辞がお上手になったのですか」

「お世辞ではなく本心です」


 相変わらず真顔で冗談を言う彼に、まったくもーと笑いながらふと顔を上げた先では、友人たちが目を丸くしてこちらを見ています。


 扇を器用に動かして届けられたメッセージは「後で詳しく聞かせなさい」です。


 オルトラ領でのこと、ジュスト様のこと、ティーノ様のこと。たくさん話したいことはあるけれど、今夜のうちにお喋りするタイミングはあるかしら……?


 だって私が家族以外の男性と一緒に出席すれば、恥をかかされたと怒りだす人がいるはずですもの。


 私が友人たちに曖昧に首を傾げて見せると、ジュスト様は私を隠すように一歩前へとお出になりました。そう、「その時」がきたのです。


「どういうつもりだ、オリエッタ」

「どう、とは」

「君の婚約者は僕だろ」

「ティーノ様はナタリアをお連れですわ」

「であっても!」


 憤怒を隠さないティーノ様の背後にはナタリアの姿が。いつもならティーノ様に寄り添って細い顎をわずかに上げ、歪んだ笑みを浮かべているはずなのに。


 今夜の彼女は顎を引き上目遣いでジュスト様を見つめていました。


「今夜のエスコートを兄に頼もうとしたところ、兄は折悪しく体調を崩しておりまして」

「図らずも俺がアンドレアの見舞いに出向いていた時だったので、パートナーを申し出ました」


 婚約者のある身でありながら――とは思うのですが、そもそもティーノ様がルールを破ったのですから、少なくともティーノ様に文句を言う資格はありません。

 けれど。


「そっ、そんな尻軽では妻にできないぞ! こ、婚約破棄されたくなければ今すぐ――」

「いたしましょう」

「え?」

「婚約破棄と、おっしゃいましたでしょう?」

「は?」


 会場がしんと静かになりました。




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