第19話 お酒の力で
領地の件でアンドレアを訪ねたところ、キャロモンテの屋敷はやけにがらんとしていた。オリエッタ嬢が夜会へ出掛けているせいだと聞いて、不思議と心にさざなみがたつ。
「ジュスト、オレはこれ計算するから終わるまで適当にやっててくれや」
「感謝します。ああ、そういえば『竜の涙』ですが――アンドレア? ふふ、もう聞いていない」
アンドレアはあらゆる才を持った超人だと感じる。洗練された剣技とそれを可能にする身体、魔物に関する知識と好奇心、それに領地運営の才覚と家族愛も。
難点があるとすれば、ひとたび集中すると周囲の声が聞こえなくなること。特に魔物に関する研究を始めると丸一日だって部屋から出て来なくなる、ということもしばしばだ。
今もオルトラ領における魔物由来の素材の、収入予測をたてようとしている。本来は俺のやるべきことだが、素材の活用について詳しいのはアンドレアであるため任せるほかない。
オリエッタ嬢の帰宅に気付いたのは、降って湧いた空き時間の有効活用のため図書室へ向かおうとしたその途上のことだった。
浮かない顔。目が合うなりパっと俯いた姿に、思わず声をあげてしまった。
「お帰りなさい。……あの、失礼。少々、お願いしたいことが」
◇ ◇ ◇
アンドレアの部屋はいつも殺風景とも言えるほどに片付いている。俺やアンドレアのように戦場に立つ人間は、いつ死ぬかもわからないからそうせざるを得ないのだ。
その荷物の少ない部屋の片隅でアンドレアが書類の山を築き、対角では俺とオリエッタ嬢がオリーブをつまみに酒を飲んでいた。
と言っても俺はアンドレアに仕事を頼んでいる身。酒は舐める程度にとどめてオリエッタ嬢に勧めるばかりではあるが。
「お願いとおっしゃるから何かと思えば、晩酌に付き合ってほしいだなんて」
「すみません。アンドレアがああですから」
「いえ、こちらこそ兄がお構いもしないで――って、オルトラ領のことですものね、構いすぎてると言ったほうが正しいでしょうか」
ふふっと笑ったオリエッタ嬢に、内心でホッと胸をなでおろした。
帰宅した直後の彼女は、触れれば壊れてしまいそうなほど脆く見えたからだ。それでも酒が進むうちに頬に赤みが差し、笑顔が増えてきた。
「そういえば、ずいぶんと早いお帰りでしたが」
「あー。お酒のせいにして言ってしまってもいいでしょうか。実は……」
伏目がちに彼女が語ったのは、婚約者であるティーノ・ミラベラの失態についてだ。
ティーノのしでかしたことは到底許されるものではないが、隣国との和平のため俺やアンドレアが払った労力について、オリエッタ嬢が心を砕いてくれたことは素直に嬉しい。
「――ですので、私もそろそろ覚悟を決めるべきかと思いまして」
「覚悟、ですか」
「はい。政治的な意味でも、人間性という意味でも、ティーノ様との結婚は私の人生を豊かにはしてくれないと思うので」
「そ……っそれは――痛ッ」
思わず立ち上がってしまい、テーブルが腰骨に当たる。幸いグラスが倒れることも酒がこぼれることもなかったが、紳士的な行動でないことだけは確かと言えよう。
「だ、大丈夫ですか」
「失礼。問題ありません。話を戻しますが、それは婚約の解消という意味でしょうか」
オリエッタ嬢は寂しそうに微笑むだけで明確な回答は得られなかった。彼女ひとりに決められることでもないし、はっきり答えないことは誠実さの証、ではあるのだが。
ただ我が胸の内に沸き上がる喜びに、俺はどうしても戸惑ってしまう。戸惑うと同時に、逸る気持ちが抑えられない。
「オリエッタ嬢。俺は、いいえ俺なら、あなたに――」
「できた!」
アンドレアの声が俺の言葉を掻き消してしまった。
いや、掻き消してくれてよかった。なぜなら俺は今……。
「お。帰ってたのか、オリー。今ちょうど計算が終わったとこなんだが」
「帰ってたのかじゃないですわ。ずっとここにいましたのに! 大体お兄様は――」
頬を膨らませながらアンドレアとじゃれ合うオリエッタ嬢の横顔は可愛い。
宝飾品店で見せた照れ笑いも、自己研鑽を誓った日の真面目な顔も、植物に向ける輝く瞳も……思い返せば俺はいつも彼女を見つめていたらしい。
領地の偵察の際には女性であることを笠に着るような素振りもなく、それどころか竜との関係を悪化させないための機転さえ利かせて見せた。
そんなオリエッタ嬢に俺はどうしようもなく惹かれているのだと、認めるほかないだろう。
「ジュスト、この口うるさい妹を黙らせてくれ」
「口うるさいとは思いませんが……少々飲ませ過ぎたことは認めます」
「確かに飲んじゃあいるが、口うるさいのは素面でも変わらんよ」
「お兄様ったら、言わせておけば」
「あっはっは! おお、怖い。さて、オレは少し何か食って来るとするかねぇ。難しい話はその後だ」
言い終えるより前にアンドレアは部屋を出て行ってしまった。
己の恋心を自覚した直後に二人きりになるのは色々と困るのだが。そうでなくとも、酒の入った男女を置いていくべきではないだろうに。
「兄がすみません。それで先ほど、何か言いかけてませんでしたか」
酒のせいか上気した顔が俺を見つめる。
先ほど俺は危うく「俺ならあなたにそんな顔はさせない」と言うところだったのだ。酒のせいにするには、軽率すぎる言葉。
思い出すだけで顔が火照ってしまう。
「ああ、いいえ、それはまたいずれ」
「えっと、なんだかお顔が赤いようですわ。お酒のせいでしょうか、もしかして熱が?」
オリエッタ嬢が手袋を外し、俺の額へと手を伸ばした。
その手首にはくっきりと痣が残っていて……俺は迷わずその手を取る。口の中で簡単な治癒魔法を唱えれば、淡い光の下で不愉快な痕が消えていった。
「あ……ありがとうございます」
「どうか賢明な判断を」
祈るように彼女の手を握る。あなたは幸せになるべき人だから。できることなら、この手であなたを幸せに。




