第18話 風向き
正直、会場に戻ったらお父様に顛末をお知らせして、私だけ先に帰ろうと思っていました。
ティーノ様の幼稚さに、またナタリアの思考のくだらなさに、疲れてしまったのです。このままここにいても、あまり楽しいことはなさそうですから。
ところがお父様は賓客とすっかり話し込んでいて、声を掛けるのは難しそう。
どうしたものかと思案していると、友人の公爵令嬢がいそいそとやって来ました。さらに背後からはティーノ様とナタリアが追いかけて来ます。
「おい、オリエッタ」
「お待ちください、ミラベラ伯爵令息。わたくしが先にオリエッタ様と話をしていましてよ?」
友人は閉じた扇の先端をティーノ様へ突きつけ、じろりと睨んだのです。
宰相のご子息とはいえ、公爵家を敵に回すことはできない……というくらいの理解はあったらしく、ティーノ様はあっさりと引き下がり、ナタリアとともに私のそばから離れました。
先ほどまでの怖いお顔はどこへやら、友人は私の腕に手を回しながら顔を寄せ、にっこり笑います。
「オリエッタ様、さすがですわ」
「何がですか。そういえば先ほどからすごく視線を感じるのですけど」
「まず第一に、エントランスでのやり取りを見ていた人が複数いたのです。きっと、いち早く客人と挨拶をしようとでも思ったのでしょうね。それで速報をわたくしたちに触れ回っていましたの」
友人は一度言葉を切り、私が頷くのを待ちました。
「それから少ししてお客様が会場へいらっしゃると、いの一番にキャロモンテ侯爵をお呼びになって、オリエッタ様を大層お褒めになりました。それが速報の答え合わせですわね」
要するに、この僅かな時間に先ほどの一件が皆さまの知るところとなったということです。
ここにいるのは、国政の中枢を担う方々ばかり。それはつまり、他国の要人との接し方ひとつで外交リスクがどう変化するのかを、誰もが理解しているということで。
「どうあれ、私がお役にたてたのなら幸いですわ。ただ……」
「ただ?」
「父に用がありますのに、あれでは話ができません。ミラベラ伯爵はどちらに……」
改めて会場を見回してみると、ホストであるミラベラ伯爵の姿がありません。それに、名だたる公侯爵家の面々も、両親のほかには姿が見えないようです。
「それでしたら、我が父を筆頭に何名かが他の部屋へお連れになりました。きっとお説教ですわ。エントランスでのことも、ナタリアさんがここにいらっしゃることも、あの問題児に対するミラベラ伯爵の監督不行き届きですもの」
友人は再び閉じた扇をコテンと倒しました。その先端と彼女の視線の先には問題児……ティーノ様とナタリアの姿があります。
誰かに話しかけようとしては、それとなく距離を取られて失敗する、というのを繰り返しているようです。先ほど捕まっていた気の優しい伯爵も、今はしっかり逃げ回っていました。
「その問題児さんも、さすがにちょっと肩身が狭そうですね」
「彼の評判はもう地に落ちてますものね。オリエッタ様、早くわたくしたちのほうへ来てくださいな」
「んん? どちらに?」
「一緒に婚活しましょう? 歓迎しますわ!」
そっちですか、「わたくしたちのほう」って!
友人は晴れやかな笑顔で両腕を広げ、私を抱き締めてしまいました。冗談めかしてはいるけれど、彼女の言わんとしていることはわかります。
自分磨きとは人生を豊かにするための不断の努力、と言うのなら……婚約者との関係について考え直すこともまた、それに含まれるのかもしれません。
ふふふと笑い合いながら友人と身体を離し顔を上げたとき、私たちの前にはいつの間にかティーノ様がいたのです。
「ヒッ」
「オリエッタ。もういいか」
「え……って、ティーノ様、待っ」
ティーノ様は私が返事をするよりも先に私の腕を掴んで引っ張りました。
その力はとても強く、まるで抵抗できません。痛いだけじゃなくて、私自身の尊厳さえ傷つけられたようで怒りとも悔しさともつかない気持ちが沸き上がります。
「痛いわ、放してください!」
「さっきの態度はなんなんだ、まるで僕が悪いみたいじゃ――」
「ティーノくん。娘からその手を放したまえ」
静かだけれど確かに怒りを孕んだ声はお父様のもの。
手首からティーノ様の手が離れると、お父様は私と友人とをまとめて背に隠してしまいました。キャロモンテ侯爵家は代々武人の家系。お父様はお兄様に勝るとも劣らない体躯です。
その広い背中の向こう側、ティーノ様の表情は見えません。
ただ、彼に注がれる周囲の視線が冷めたものであることだけはわかりました。
「オリエッタ、今夜はよくやった。先に屋敷へ戻っていなさい」
「……はい」
「オリエッタ!」
ティーノ様の声は聞こえない振りをして、友人と視線だけで別れを告げてから私は会場を後に。
屋敷に到着すると、なぜか私を出迎えたのはジュスト様でした。
なんでいらっしゃるのでしょうか。腹立たしくて、悔しくて、自分の無力さを思い知らされたこんなときに。
きっと酷い顔をしているからと俯いた私に、ジュスト様が「お帰り」と声を掛けてくださいます。
「お帰りなさい。……あの、失礼」
「はい?」
「少々、お願いしたいことが」
ジュスト様がお願いだなんて珍しいことです。
顔を上げた私に、ジュスト様は困ったように笑ったのでした。




