第15話 竜との邂逅
落ちた、と思った直後。私の視界が暗転しました。
この異変が子竜を庇ってロフタンの光を受けたせいだろうというのは、頭のどこかで理解しているのですが……。その微かな理性さえ、まるで眠りにつくときのように暗転とともに無意識の奥底へと追いやられたのです。
周囲は闇に包まれ、無数の獰猛な魔物の目ばかりがギラリと光りながらこちらを見ています。
魔物たちの唸り声は次第に大きくなって耳をつんざくよう。そしてついに、魔物たちが私に飛び掛かって来ました。
「いや! やめて、来ないで!」
身をよじり手を振り回して魔物を遠ざけようとしますが、次から次へと襲い来る猛攻を凌ぎきることはできなくて。手足の自由を奪われ、もうどうしようもないと死を覚悟したとき。
「落ち着いて。俺の声だけ聴いてください」
魔物たちの唸り声や荒い息遣いに交じって、微かにジュスト様の声が聞こえたのです。それは私にとって安堵の象徴に他なりません。
だって私が不安や、あるいは恐怖を感じているときにはいつもこの声がして、そして助け出してくれたのだから。
相変わらず手足は魔物に拘束されて動かないけれど、問題ないと繰り返し囁く優しい声に耳を傾けるうち不安が消え、視界が明るくなっていきました。
「あ……れ?」
ひとつ、ふたつと魔物の瞳が消え、比例するように闇が薄れていって……最後に浮かび上がったのはジュスト様の整った顎でした。
魔物の姿なんてどこにもなくて、ただ腕ごとジュスト様に抱え込まれていました。
こちらを覗き込んだグレーの瞳が柔らかく細められます。
「気が付かれましたか」
「今のは……? ていうかここは」
ジュスト様のご尊顔はすごく近くて、ちょっと背伸びしたらその鼻先に頭突きができそうなくらいで。
だけど足の裏に大地の存在を感じられず背伸びはできません。そう、私は宙に浮いているのです。
「今のがロフタンの混乱による幻視です。さて、上をご覧になれますか。我々はあそこから落ちました。俺は浮かぶくらいしかできないので、これからどうしたものかと対策を検討中です」
言われた通りに上を見れば、私が落ちたと思われる崖から子竜が覗き込んでいます。さらにその遥か上空を複数の巨大な鳥……いえ、竜が飛び回っているみたいです。
視線を巡らせれば左手側にゴツゴツした岩肌があり、右手側には森が広がっていました。そっと下を覗き込めば勢いよく流れ落ちる滝や青の泉が。
滝が流れ込んで発生する飛沫はまるで湯気のよう。このまま落ちていたらただでは済まなかったでしょう。そう、ジュスト様が私を抱えて宙に留まってくださらなければ。
「もしかして、一緒に飛び降りたんですか」
「はい。混乱状態で落下する人物を生かすにはそれしかないかと。手を掴んでも振りほどかれますから」
「ああ……ごめんなさいぃ……」
さも当然のように言いますけど、普通は諦めるでしょうに!
助けられる技量があるだけじゃなくて、躊躇なく危険に飛び込めるからこその英雄ということでしょうか。やらかした私は、崖を飛ぶというジュスト様の選択を責められません。
「このまま下に降りてしまうのが早いのですが……子竜が咆哮をあげ、竜たちが興奮し始めました。そんな中にアンドレアをひとり残すわけには」
再び上空を見上げてももう子竜の姿は見えませんでした。
ただ狼の遠吠えにも似た細く高い鳴き声が、ギャーギャーと騒がしい竜の鳴き声に混じります。直後、それに呼応するかのごとく響いた地を這うような太い咆哮は、岩肌を揺らし私のみぞおちを強く叩きました。
「これはっ?」
「親、ですね。――来ます!」
来るって何が? と問おうと彼を見上げた視界の片隅で、巨大な竜が滑降するのが見えました。そのスピードはあまりに早く、あっという間に近づいて――大きすぎませんっ?
が、ジュスト様が私の頭まで抱えるように力いっぱい抱き締めてしまったので、それ以上竜の姿を見ることはかないませんでした。
ジュスト様の心臓の音が少し速い。それでも怖くないのはジュスト様がいらっしゃるからです。彼がいて駄目なら何をしても駄目、という達観もあるかもしれないけれど。
「きゃ――」
突然、身体全体に大きな圧力がかかりました。上方からの圧力ですが、圧し潰されるのではなく、その逆。上方へ引っ張られているのです。
上へ引っ張られるが故にジュスト様の身体が僅かに離れ、視界が広がりました。
地上があっという間に遠くなり、先ほどまでいた山上の平地さえ越えて空へ。お兄様が双頭ロフタンへとどめを刺すところが見えます。子竜にも怪我はなさそうでホッとひと安心です。
いや、安心じゃないです。必死になってジュスト様にしがみついてますけど、そろそろ限界なんですけど!
「高い高い高い!」
「ロフタンが死んだので、そろそろ降ろしてくれるそうです」
「誰情報ですか、それぇー!」
恐怖のあまり下ばかり見ていた私ですが、ジュスト様を見上げようとして気付きました。
竜が私たちを掴み上げているのです。すごくすごく大きな竜だけど、不思議と怖いとは感じません。
ほどなくして、私たちはジュスト様の言った通り元の場所へと降ろされたのです。お兄様がすぐに走り寄り、私を抱き締めて深いため息をつきました。
「なんで突然無鉄砲になるのかねぇ……」
「ごめんなさい」
「ですが、その機転のおかげで我々は竜に危害を加えずにすみました」
「それはそうだが……。で、通訳は頼めるのかい」
お兄様は私を己の背に隠し、ジュスト様と並んで竜を見上げます。
背の高いおふたりが前に立ちはだかっても、私から竜の姿はよく見えました。それくらい、大きかったのです。
「テ――ディボア――ジティ――ヴルメ――」
まるで直接、頭の中に響くような音。途中途中に全く聞き取れない音が挟まりますが、これが竜の言語であろうことは感覚で理解できました。
顔だけで振り返ったお兄様と目が合って、お兄様がこの言葉をまるで理解できていないことがわかります。はい、私もです。
では、ジュスト様は……? と、様子を窺うまでもありませんでした。
「委細承知しました。一度持ち帰って検討し、後日返答させていただければ」
なんか会話してるんですけど!




