届く範囲の手助け
夜は、静かだった。
作業を終えた人々の気配が消え、風と虫の音だけが残る。
かおりは小屋の前に腰を下ろし、ぼんやりと空を見上げていた。
リーナとは、ちゃんと話をした。
判断も、方向も、間違っていない。
(……でも)
胸の奥に、小さく引っかかるものが残っている。
「せめて……」
口に出してから、苦笑した。
「ここにいる人たちくらいは、少し楽をしてもいいんじゃない?」
今日も畑では、人が汗を流していた。
鍬を振るい、土を起こし、腰を伸ばしては、また屈む。効率は悪くない。この世界では、普通だ。
でも――
(知ってるんだよなあ)
かおりは、思ってしまう。もう少し、負担を減らす方法を。魔法でも、革命でもなく。
ただ、道具の形を変えるだけで。
「……ダメ、かなあ」
頭の中に浮かぶのは、シンプルな道具ばかりだ。
土を起こす向きを変えるだけの鍬。
てこの原理を使った、簡単な脱穀器。
重さを分散させるだけの背負い籠。
(どれも、“新技術”ってほどじゃない)
金属も、複雑な構造もいらない。
今ある材料で、今の延長で作れるもの。
「農業器具くらいなら……」
ぽつりと、独り言がこぼれた。それでも、ためらいは消えない。一つ作れば、次を求められる。便利さは、必ず欲を生む。
(私が線を越えたら)
前に話した自分が言った言葉が、胸に刺さる。それは、この場所の“選択”じゃなくなる。
「……難しいなあ」
かおりは、膝を抱えた。しばらくして、立ち上がる。答えは、まだ出ていない。けれど、考え続けること自体は、間違いじゃない。
「全部じゃない。一気にじゃない」
条件を、頭の中で並べる。
「生活を支えるだけ」
「支配力にならない」
「誰でも作れて、誰でも直せる」
――それなら。
「……考えるだけ、ならいいよね」
かおりは、倉庫へ向かった。古紙回収品の山。その中から、道具のページがありそうな本を一冊、手に取る。
「農業器具……っと」
まだ、作らない。誰にも見せない。ただ、知るだけ。形を思い出すだけ。
「それなら……踏み出してない」
ランプの灯りの下で、ページをめくる音が小さく響いた。この場所を壊さないために、何もしない。それは、確かに一つの正解だ。
でも。
誰かの腰が少しでも楽になるなら。誰かの手が少しでも軽くなるなら。
(その距離、見誤らないようにしないとね)
かおりは、静かに息を吐いた。踏み出さない。けれど、背を向けるわけでもない。
その曖昧な場所に、今の自分は立っている。
それを自覚したまま。夜は、ゆっくりと更けていった。




