柵を作ろう
ミリャが去ったあと、倉庫の中は驚くほど静かだった。
外に広がる森の音は聞こえている。風、鳥、葉擦れ。それでも、誰かがいる気配がないというだけで、空間はこんなにも広く感じるものなのかと、かおりは一人で納得していた。
「……よし」
立ち止まっていても、時間は進むだけだ。
ミリャに言われた通り、周囲の防御を固める。それが今の最優先事項だった。
まずは倉庫の外に出て、建物の周囲をぐるりと歩く。正確な四角形ではないが、最低限ここからここまで、という範囲は見えてくる。
「全部囲うのは……無理ね」
人手は一人。道具はあるが、時間と体力には限りがある。欲張るのはやめて、入口側を重点的に固める方針に決めた。
次に素材。
森には、いくらでも木がある。問題は、どの程度の太さと長さが必要か、そしてどうやって運ぶかだ。
「丸太……丸太ねぇ」
完全な丸太を切り出すのは大仕事だ。なので、倒木や比較的細い木を使うことにした。幸い、倉庫の裏手には、すでに倒れて時間の経った木が何本かある。
「これなら……いけそう」
倉庫からノコギリと斧を持ち出し、作業を始める。
思った以上に、きつい。
ノコギリを引くたびに、腕にじわじわと疲労が溜まる。斧を振るのも、コツが掴めるまで無駄に力を使ってしまった。
「……はぁ……」
一息ついて、汗を拭う。
電気も水も使える倉庫がすぐそばにあるというのは、精神的にかなり助かる。水を飲み、少し休んで、また作業に戻る。
切り分けた木を、一本ずつ入口側へ運ぶ。引きずるだけでも重いが、持ち上げるよりはマシだった。
「重い……けど……」
無言で、一本、また一本。
全部をきれいに揃える余裕はない。長さに多少の違いがあっても、隙間を埋める形で並べればいい。
地面に溝を掘り、丸太を立てる。完全に埋めるほどの深さは掘れないが、倒れない程度には固定する。
「……よし、次」
単純作業の繰り返し。
だが、途中で気づく。
「これ……一人でやる量じゃないわね」
腕は重く、腰も痛い。それでも、途中で投げ出すわけにはいかない。柵は、完成して初めて意味を持つ。
夕方近く、ようやく入口正面に、簡素な柵の形が見えてきた。
丸太を並べただけの、無骨なものだ。それでも、何もない状態よりは、ずっと心強い。
「……ふぅ」
最後の一本を立てたところで、かおりはその場に座り込んだ。
腕が震える。呼吸が荒い。
「……やりすぎた、かな」
立ち上がろうとして、ふらりと体が揺れた。
「あ……」
とっさに地面に手をつき、倒れるのは避けたが、視界が一瞬だけ暗くなる。
魔法は使っていない。それでも、慣れない肉体労働で、限界に近づいていたらしい。
「……休憩、休憩」
倉庫に戻り、水を飲み、しばらく床に座って呼吸を整える。
少し落ち着いたところで、外をもう一度確認した。
柵は完璧ではない。隙間もあるし、飛び越えようと思えばできるだろう。それでも、心理的な境界線としては十分だった。
「……これで、少しは安心」
夜に向けて、簡易警報も確認する。金属部品はそのまま、ちゃんと音が出る。
「よし」
倉庫の扉を閉め、灯りを落とす。
外の森は、少しずつ色を失い、闇に沈んでいく。だが、柵の向こう側と、こちら側は、はっきり分かれて見えた。
「完璧じゃなくていい」
小さく、そう呟く。
「今の自分で、できることをする。それでいい」
柵は、守りの第一歩だ。
誰かを遠ざけるためではなく、自分が落ち着いて眠るためのもの。
その夜、かおりは久しぶりに、深く眠ることができた。




