静かに広がる評判
村の朝は、以前より少しだけ賑やかになった。
木工師の工房からは、木を削る規則的な音が聞こえ、広場では子供たちが何やら盤を囲んで騒いでいる。
白と黒の石を裏返しながら、勝っただの負けただのと声を上げる様子は、どこか平和そのものだった。
「……すっかり馴染んだわね」
かおりは、少し離れた場所からその光景を眺めていた。
自分が持ち込んだ“遊び”が、ここまで自然に生活に溶け込むとは思っていなかった。
だが――
その変化は、村の中だけに留まらなかった。
「この村、妙に活気があるらしいぞ」
昼前、商人たちが立ち寄る簡易市場で、そんな声が聞こえてきた。
「娯楽があるとか、食い物がうまいとか」
「領主の娘が、変わり者らしい」
最後の言葉に、かおりは思わず苦笑した。
(……まあ、否定はできないけど)
調味料の話も、リバーシブルの話も、少しずつ外へ漏れていく。
それは当然のことだった。人が集まれば、噂は広がる。
問題は――どんな形で伝わるか、だ。
「余裕がある村だな」
「税が安いんじゃないか?」
「何か特別な後ろ盾があるんじゃ?」
憶測は、いつの間にか事実のように語られ始める。
◇
リーナの館では、報告が上がっていた。
「近隣の商会から、取引の打診が来ています」
「調味料の件と、木製盤の件です」
「……思ったより早いですね」
リーナは書類に目を通しながら、静かに息を吐いた。
予想はしていた。だが、想定よりも一歩早い。
「悪い話ではありません。ですが――」
補佐役の言葉に、リーナは頷く。
「ええ。“早すぎる”というだけです」
売れば利益になる。
領地の収入も増える。
判断としては、間違っていない。
それでも。
(この村は、まだ“整っている途中”)
リーナは、ふと視線を上げた。
「……かおり様は?」
「畑の方かと」
「そうですか」
それ以上、名前は出さなかった。
かおりは家庭菜園で、土をいじっていた。
見慣れない色の野菜。名前も、用途も、まだ完全には把握していない作物。
「でも、ちゃんと育ってる」
それでいい。
最近、館に呼ばれることが減った。
決定の場に、自然と席が用意されなくなった。
(……うん。悪いことじゃない)
むしろ、理想に近い。
リーナが判断し、周囲が動き、村が回る。
自分が前に出なくても。
「……ちょっと、寂しいけどね」
ぽつりと零す。
けれど、それ以上は踏み込まない。
これは、自分が選んだ距離だ。
夕方、村に旅人が一人、立ち寄った。
子供たちが盤を囲むのを見て、興味深そうに足を止める。
「それは、何だ?」
「遊びだよ!」
「簡単だけど、強いと勝てない!」
旅人は笑い、銀貨を一枚取り出した。
「土産に欲しいな」
その様子を、遠くからリーナが見ていた。
(……もう、“内輪のもの”ではない)
広がること自体は、悪ではない。
だが、広がりは制御できない。
リーナは、静かに決意を固めた。
「段階を、踏まないと」
夜。
かおりは、ノートを閉じた。今日も、特に何も起きなかった。村は平和で、機能している。それが、少しだけ胸に引っかかる。
「……上手くいってるのよね」
独り言のように呟き、灯りを落とす。
外では、誰かが勝負に負けて悔しがる声がした。笑い声が続く。
壊れていない。むしろ、うまくいっている。
だからこそ――この静かな広がりが、少しだけ、気になった。




