統治と技術の距離
朝の空気は、少しだけ騒がしかった。
村の外れ――いや、もう「村」と呼ぶのも曖昧になりつつあるその場所に、荷馬車が何台も並んでいる。
馬……いや、角の生えたあの生き物が引く車両だ。見慣れない者が見れば、まずそこで立ち止まるだろう。
「思ったより、早いわね……」
かおりは、少し離れた場所からその様子を眺めていた。
第65話で話に出ていた開拓団。
その第一陣が、予定より早く到着したのだ。
人が増える。
それは、活気と可能性をもたらす。
同時に――管理という現実も、確実に連れてくる。
◇
「かおり殿」
声をかけてきたのは、ハインリヒ・フォン・ルーディアだった。
相変わらず背筋は伸び、服装は簡素だが隙がない。
「今朝の状況は見たか?」
「はい。人数も、想定通りですね」
「うむ」
伯爵は頷き、荷馬車の列に視線を向けた。
「職人、農家、元商人。構成としては悪くない。だが……」
一拍、間を置く。
「技術の距離が近すぎる」
かおりは、その言葉に小さく息を吸った。
「……やっぱり、そう思われますか」
「当然だ」
伯爵は、はっきりと言った。
「ここでは、水が自動で上がり、土は機械で耕され、温水が流れる。これ自体は素晴らしい」
「ですが?」
「外から来た者にとっては、“異常”だ」
かおりは、何も言わずに頷いた。
自分でも、わかっていた。
便利すぎる。
早すぎる。
そして――説明が追いついていない。
「技術が先に行き過ぎると、人は考えることをやめる」
伯爵の言葉は、重かった。
「統治とはな、“整えること”ではない。“距離を保つこと”だ」
「距離……」
「民が理解できる速度で、理解できる形で、進ませる。それを超えた技術は、不信と依存を生む」
かおりは、ふと思い出した。
爺さんが言っていた“線引き”。
「生活補助具として扱え」
「便利なものほど、制限が必要」
あの言葉が、今になってはっきりと意味を持つ。
「私は……」
かおりは、言葉を選びながら続けた。
「“出来るからやる”を、繰り返してきました。でも……」
「今は?」
「今は、“使わせない勇気”も必要なんだって、思ってます」
その答えに、伯爵は目を細めた。
「良い答えだ」
◇
その後、リーナも合流した。
補助器具と杖を使いながら、ゆっくりと歩く姿は、もう誰の目にも自然に映る。
「かおりさん」
「はい?」
「新しく来た人たち、少し……戸惑っています」
「……ですよね」
「便利すぎるのも、不安なんですね」
リーナは、そう言ってから小さく微笑んだ。
「だから、お願いがあります」
「何でしょう」
「技術を“見せる”役と、“管理する”役を、分けませんか?」
かおりは、思わず目を見開いた。
「私が前に出るのは、統治と説明だけ。かおりさんは、裏で支える」
「……それって」
「かおりさんが、全部を背負わないためです」
その言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなった。
「ありがとうございます」
◇
その日の夕方。
かおりは、弟子たちと集まって話をした。
「耕運機は、必要な家にだけ貸し出し制にします」
「えっ、増やさないんですか?」
「増やします。でも、説明を受けた人だけ」
「水の配管も、勝手に弄れないように」
「温水も、当面は共同浴場だけに」
不満の声は、出なかった。
むしろ、皆が理解している様子だった。
「便利すぎると、壊れた時が怖いですもんね」
誰かが、ぽつりと言った。
「そう」
かおりは、頷いた。
「技術は、使う人の理解があってこそ意味がある」
◇
夜。
一人で空を見上げながら、かおりは思う。
ここは、もう「発明の実験場」じゃない。
人が暮らし、増え、続いていく場所だ。
「近づきすぎない」
それは、冷たいことじゃない。
守るための距離だ。
「……よし」
かおりは、静かに決めた。
これからは、全部を作らない。
全部を渡さない。
でも、必要な時には、支える。
統治と技術の間に、一本の線を引く。
それは、前に進むための――大事な“間隔”だった。




