父としての感謝
伯爵の一行が到着してから、しばらくの間、誰も大きな声を出さなかった。
それは緊張というより、空気そのものが静かだったからだ。
この場に立つ男が、ただの「偉い人」ではないと、誰もが無意識に理解していた。
「まずは……」
伯爵は、深く一礼した。
その所作に、周囲がざわめく。
「父として、礼を言わせてほしい」
かおりは、思わず目を見開いた。
「娘の未来を、救ってくれた」
その声は、低く、だが揺れていた。
「医師も、魔術師も、誰も『現状維持』しか口にせなんだ。希望を語る者はおらんかった」
伯爵は、ゆっくりとかおりを見る。
「だが、君は違った」
「治すなどと大言壮語はせず、ただ“生きやすくする”道を示した」
「それが、どれほど残酷で、同時に誠実な選択か……父として、痛いほど分かる」
かおりは、言葉を失っていた。
「……いえ。私は、出来ることを、出来る形にしただけで……」
「それが出来ぬ者が、この世には山ほどおる」
伯爵は、きっぱりと言った。
◇
「次に、街の件だ」
場の空気が、少し引き締まる。
「既に通達は済んでいる。あの街の領主は、正式に更迭された」
ざわり、と息を呑む音。
「現在は、王都より派遣された臨時責任者が管理を行っている。落ち着くまで、数か月……長ければ一年」
伯爵は、かおりに向き直る。
「その間、この地への立ち入りは制限する」
「……私が、ですか?」
「そうだ」
伯爵は頷く。
「君は、この場所の“核”だ。君に何かあれば、すべてが崩れる」
「だからこそ、街には出るな。連絡はすべて、我々を通す」
「……守るため、ですか」
「その通りだ」
それは命令ではなく、配慮だった。
◇
「そして――」
伯爵が一歩、横に退く。
馬車の扉が、再び開いた。
中から現れたのは、小柄な少女だった。
使用人が手を貸そうとするが、少女はそれを制し、自ら車椅子の縁に手をかける。
「……大丈夫よ」
ゆっくりと。
ほんの一歩ずつ。
足が、地面に触れる。
「……!」
息を呑む音が、はっきりと聞こえた。
少女は、ふらつきながらも、前へ出た。
「はじめまして」
少し震える声。
「あなたが……かおり、さんですね」
「……はい」
「ありがとう、ございます」
深く、深く、頭を下げる。
「私、ずっと……自分の未来を、考えないようにしていました」
「歩けない自分が、当たり前だと思うようにしていました」
顔を上げた少女の目は、真っ直ぐだった。
「でも、今は」
「……ちゃんと、先を見てみたいと思えるんです」
かおりの胸が、締め付けられた。
「……それは」
声が、少しだけ震える。
「あなた自身が、頑張った結果ですよ」
少女は、微笑んだ。
「そう言ってもらえるのが、一番嬉しいです」
伯爵は、その様子を静かに見守ってから、口を開いた。
「――さて」
一拍。
「ここからは、発表だ」
場の全員が、自然と姿勢を正す。
「この森一帯を、伯爵家直轄地とする」
ざわり。
「そして、名目上の領主は――」
伯爵は、娘の肩に手を置いた。
「この娘が務める」
「えっ!?」
かおりの声が、思わず上ずる。
「もちろん、実務は補佐が行う。だが、象徴としてな」
伯爵は、次にかおりを見る。
「そして、かおり」
「君を、伯爵家の養子として迎えたい」
――静寂。
完全な、沈黙。
「……は?」
かおりの思考が、止まった。
「よ、養子……?」
「拒否権は、もちろんある」
伯爵は穏やかに言う。
「だが、これは報酬ではない」
「責任を、君一人に背負わせぬための措置だ」
「君を守るための、立場だ」
ミリャたちが、息を呑んでかおりを見る。
弟子たちも、言葉を失っている。
爺さんだけが、ふぉふぉと笑った。
「やれやれ……大きく出たのう」
かおりは、頭を抱えた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「私、そんな……名誉とか、権力とか……!」
「分かっている」
伯爵は、即答した。
「だからこそ、だ」
「君は、そういうものを“使わない”」
「だからこそ、持たせる意味がある」
かおりは、しばらく黙り込んだ。
そして。
「……少し、考えさせてください」
伯爵は、頷いた。
「当然だ」
「答えは、急がん」
その日。
この森は、静かに“立場”を得た。
だが、かおり自身は。
まだ、何一つ、受け取ってはいなかった。
のんびり暮らすつもりだった異世界生活は、
いつの間にか、彼女を“守る側”へと押し上げていた。
それでも。
この場所に立つ人々の顔を見て、かおりは思う。
――逃げたくは、ないな。
そう、静かに。




