芽吹きの季節
温水の配管工事は、ひとまず完了。
「……ふぅ」
かおりは、最後のバルブを締めてから、大きく伸びをした。
「家の数が少ないうちで、本当に助かったわ」
これが倍、三倍になっていたら、配管の取り回しだけで頭を抱えていただろう。今はまだ、全体を把握できる規模だ。だからこそ、後から拡張できる余地も残してある。
「よし、今日はこれ以上やらない」
自分にそう言い聞かせる。
最近は気づくと、朝から晩まで何かを作っている。楽しいのは確かだが、放っておくと止まらない。
「今日は、ゆっくりしよ」
そう決めて、かおりは自分の家の裏手へ向かった。
「……さて」
家庭菜園予定地。
小型耕運機で整えた畑は、まだ素朴な土の色をしているが、表面はふかふかだ。踏みしめると、少し沈む。
「そろそろ……出てる頃かな?」
かおりは、しゃがみこんで畝を覗き込んだ。
「……あ」
思わず、声が漏れる。
土の割れ目から、小さな緑が顔を出している。
「出てる!」
思わず、笑みがこぼれた。
「謎種、ちゃんと芽が出てるじゃない」
ミリャから渡された、正体不明の種。
「食える」「増える」「丈夫」以外、ほとんど説明はなかった。
「……何の芽だろう」
双葉は丸くもなく、細長すぎもしない。見覚えがあるような、ないような。
「うーん……」
指で触れないよう、距離を保ちながら観察する。
「ミリャさんは、食べられるって言ってたけど」
その言葉を信じるしかない。
「まあ、今はまだ赤ちゃんだしね」
芽は、まだ頼りなく、風に揺れている。
これが野菜なのか、穀物なのか、それともこの世界特有の何かなのか。
「育つまでのお楽しみ、か」
畑を一通り見回したあと、かおりは腰を下ろした。
「……春、なんだよね」
この世界の季節を、ようやく意識する。
ミリャに聞いたところ、今は冬が明けて、春の真ん中あたりらしい。
「確かに……」
空気は冷たすぎず、暑すぎない。
日差しは柔らかく、風も穏やかだ。
「過ごしやすいわ」
向こうの世界なら、花粉がどうのとか、新生活がどうのとか、そんな話題で落ち着かない時期だ。
「こっちは……静かね」
聞こえるのは、遠くの作業音と、鳥の声。
それだけ。
「こういう時間、久しぶりかも」
何かを“進める”ためじゃなく、ただ眺める時間。
芽吹いたばかりの緑を見ていると、不思議と気持ちが落ち着く。
「……ちゃんと、生きてるのよね」
自分に言い聞かせるように、呟いた。
ここに来てから、怒涛の日々だった。
建築、魔道具、井戸、温泉。
「暇、なかったもの」
でも今、こうして芽が出ているのを見ると。
「ここで、ちゃんと暮らしてるんだなって」
実感が、じわっと湧いてくる。
「失敗しても……また、植えればいいし」
芽は、すぐには実をつけない。
時間が必要だ。
「焦らなくて、いいのよね」
かおりは、立ち上がり、畑をもう一度見渡した。
「さて」
今日は、これ以上はやらない。
「お茶でも入れて、日向ぼっこでもしようかな」
芽吹き始めた畑の向こうで、春の風が静かに吹いていた。
この場所にも、確かに――
季節が、巡ってきている。




