気配と音と
倉庫の中は静かだった。
蛍光灯の低い唸りと、遠くで金属が冷えるときの微かな音。耳に馴染んだはずのそれらが、今日はやけに大きく感じられる。
かおりは棚の前で工具を拭きながら、意識の半分を外に向けていた。
「……静かすぎる」
森には音がある。鳥の声、葉擦れ、風の流れ。
けれど、その“背景音”が、不自然に途切れる瞬間があった。
誰か――あるいは、何かが近づいている。
かおりは動きを止め、作業台に立てかけていた即席の槍を手に取った。手のひらに、テープ越しの金属の冷たさが伝わる。
倉庫の入口方向に、そっと視線を向ける。
――かすっ。
微かな音。
金属同士が、軽く触れ合ったような音。
「……来た」
入口付近に並べていた金属部品の一つが、わずかに揺れている。
重たい足音ではない。獣の気配とも違う。
二足で歩く“何か”。
かおりは槍を構え、ドアの横に身を寄せた。盾は手の届く位置にある。息を浅く、静かに整える。
――がしゃん。
今度は、はっきりとした音。
金属が倒れ、森の静寂が一瞬だけ破れた。
迷いはなかった。
かおりはドアを開けた。
そこに立っていたのは、一人の女性だった。
引き締まった体つき。革製の軽装鎧。腰には短めの刃物。
そして――頭の上に、はっきりと見える猫の耳。
黄褐色の瞳が、大きく見開かれる。
相手も、予想していなかったのだろう。
二人は数秒間、互いに動かなかった。
「……人?」
先に声を出したのは、向こうだった。
低く、澄んだ女性の声。
かおりは槍を突き出さない代わりに、下げもしなかった。
「……そうだけど。あなたは?」
言葉が、通じた。
その事実だけで、胸の奥の緊張が少しだけ緩む。
猫耳の女性は、ゆっくりと両手を上げた。敵意がないことを示す仕草だ。
「私は戦士だ。名はミリャ」
「戦士……」
その言葉に、かおりは一瞬だけ構えを強める。
だが、ミリャの視線にあるのは敵意ではなく、警戒と困惑だった。
「ここは、人の住む場所じゃない。だが、この建物は……突然、現れた」
「……やっぱり、そうよね」
倉庫は、最初からここにあったわけではない。
かおりは、槍をほんの少しだけ下げた。
「私は、かおり。事情は説明できるけど……たぶん、長くなる」
「構わない」
ミリャの耳が、ぴくりと動く。
「あなたは……危険な匂いがしない」
その一言で、かおりはようやく大きく息を吐いた。
初めての遭遇。
初めての、異世界の住人。
倉庫の前で、二人は向かい合う。
作ったばかりの槍は、まだ誰も傷つけていない。
それでも――確かに役に立った。
この世界で生きるための、最初の“備え”として。




