噂は静かに広がる
噂というものは、不思議な速さで広がる。
誰かが大声で触れ回る必要はない。
むしろ、ひそひそと、半信半疑で語られる方が、よほど遠くまで届く。
「……なあ、聞いたか?」
街の端にある酒場。
昼下がり、仕事を終えた職人たちが、薄い酒を飲みながら顔を寄せ合っていた。
「森の奥に、妙な研究地ができたって話だ」
「研究地?」
「ああ。魔術師が失敗作を処理する場所らしい」
その言葉に、何人かが顔をしかめた。
「うわ……危なそうだな」
「だろ?」
話した男は、声をひそめる。
「使い切った魔石を、そのまま捨てると良くないらしい」
「魔力が残滓になって、悪さをするってよ」
「だから、専門の場所で“処理”する必要があるんだと」
「……へぇ」
誰かが、思い当たる節を探すように顎を撫でた。
「そういや、倉庫みたいな建物が森に出たって話は聞いたな」
「近づくな、って警備隊が言ってた気がする」
「だろ? あれだよ、あれ」
話は、そこで一度途切れる。
誰も、詳しく知ろうとはしない。
危険、という言葉が、自然と距離を作る。
「……まあ、関わらん方がいいな」
「だな」
そうして、噂は一段落した――ように見えた。
◇
その翌日。
別の場所では、別の形で噂が動いていた。
魔道具屋の裏手。
店主と、常連の冒険者が話している。
「空の魔石、溜まってるんだがな……」
「処分に困るよな」
「街で引き取ってくれる所はないし」
そこで、冒険者が思い出したように言った。
「そういや、処理場ができたって聞いたぞ」
「処理場?」
「失敗魔法の副産物を扱う場所だってさ」
「危険物専門」
店主は、眉をひそめた。
「……金は取られるのか?」
「いや、無料らしい」
「ただし、再利用はしないって話だ」
「ふむ……」
魔石は、透明になった時点で価値がない。
それを無料で引き取ってくれるなら、悪くない。
「場所は?」
「森の奥だ」
「……遠いな」
「だが、捨てるよりはマシだろ」
こうして、実利の匂いを嗅ぎ取った者たちが、少しずつ動き始める。
◇
一方、その噂の中心。
倉庫の拠点では、いつもと変わらぬ日常が続いていた。
「……増えたわね」
かおりは、棚に並べられた空の魔石を見て、小さく呟いた。
まだ数は少ない。
だが、確実に増えている。
「噂、ちゃんと回り始めたみたい」
「うむ」
爺さんは、頷いた。
「ちょうど良い速さじゃ」
「早すぎても、不自然」
「遅すぎても、意味がない」
「今は、皆“危険だから近寄らん”と思っとる」
「その裏で、不要な物だけが流れ込む」
「理想的じゃな」
かおりは、少し複雑な表情をした。
「……嘘、ついてるみたいで」
「嘘ではない」
爺さんは、きっぱり言った。
「危険な物を、安全に処理しておる」
「中身の話をしておらんだけじゃ」
「……そっか」
納得しきれない部分はある。
だが、理解はできる。
「最初に来るのは」
爺さんは、棚を見やる。
「捨てるに捨てられん連中じゃ」
「冒険者」
「魔道具屋」
「そして、ちょっとした小商人」
「領主の耳に入るには、まだ遠い」
かおりは、ほっと息をついた。
「しばらくは、大丈夫そうですね」
「油断するでない」
爺さんは、杖を軽く鳴らす。
「噂が広がる、ということは」
「いつか、必ず“確かめに来る者”が現れる」
「その時までに」
「ここを、“ただの処理場”として固める」
倉庫の外では、風魔法で木材が静かに運ばれていた。
生活の音が、変わらず流れている。
噂は、確かに広がっている。
だがそれは、騒ぎではない。
興味でもない。
「近寄るな」という、無言の看板。
爺さんは、倉庫の明かりを見上げて、小さく笑った。
「……上々じゃ」
時間は、稼げている。
静かに。
確実に。




