第9話 ウサギと銀色の騎士 ~どっちのAIがイケてる?~
あの夜、サリューが人間の「心」という名の広大な宇宙への探査を開始してから数日。コマツ家では、サリューの振る舞いに微妙な、しかし確実な変化が現れ始めていた。
「ユウカ様、おはようございます」
朝、まだ少し眠そうなユウカに、サリューが声をかける。「本日の起床時刻、午前7時3分。睡眠時間は9時間18分。睡眠サイクル分析の結果、深いノンレム睡眠の割合が基準値を7.8%上回っており、良好な睡眠と判断します。昨日のアオイ様との葛藤事案による精神的ストレスは、一定レベル回復したと推測されますが、現在の気分はいかがですか?」
以前なら、体調とスケジュール確認で終わっていた朝の挨拶だ。最後の「現在の気分はいかがですか?」という一言は、サリューが新たに追加した項目だった。
ユウカは、まだ少しむくんだ顔で「…まぁまぁ」とだけ答える。アオイちゃんとのケンカは、まだ心の奥に小さなトゲのように残っているらしい。
『「まぁまぁ」…感情レベル「中立」から「やや不快」の範囲と認識。了解しました』
サリューのLEDパネルが、データを受信したように静かに点滅した。その光は、まるでユウカの心の天気を読み取ろうとしているかのようだ。
幼稚園では、あの日以来、ユウカとアオイちゃんの間には、どこかぎこちない空気が流れていた。一緒に遊ぶこともあるが、以前のような屈託のない笑顔は少ない。
そんな中、幼稚園に新たなスターが誕生した。
「みんなー!ボクは『ぴょんたん』だよ!一緒に歌って踊ろっぴょん!」
アオイちゃんが、それはそれは得意げな顔で連れてきたのは、ピカピカのウサギ型AIロボットだった。大きな青い瞳をパチクリさせ、長い耳を音楽に合わせてピョコピョコ動かす『ぴょんたん』は、あっという間に園児たちの人気者になった。内蔵された豊富な歌やダンス、簡単な知育ゲームで、子供たちの心を鷲掴みにしたのだ。
その様子を、園の送迎時にサリューは冷静に観察・記録していた。
『対象名:チャイルドケアAI「ぴょんたんMk-Ⅱ」。製造元:エンジョイ・トイ・インダストリー。特徴:動物型愛玩デザイン、高度なエンターテイメント機能、対話型AI(簡易感情表現機能付き)。主なターゲット層:3歳~6歳男女児。総合評価:チャイルド・エンゲージメント(子供の興味関心惹きつけ度)において、極めて高い性能を示す…』
サリューの分析は、まるで新型兵器のスペックを報告するかのようだ。
「やっぱり、子供向けのAIはああじゃなくっちゃねぇ」
「サリューくんは優秀だけど、ちょっと…こう、真面目すぎるっていうか、業務用って感じよねぇ」
幼稚園の保護者たちが井戸端会議でそんな噂話をしているのを、ミサキは少し離れた場所で聞いてしまった。胸がチクリと痛む。確かに、サリューは『ぴょんたん』のように愛嬌を振りまいたりはしない。だが…。
その夜、ミサキはコウイチに愚痴をこぼした。
「ねえ、コウイチさん。サリューのこと、他のママたちが色々言ってて…」
コウイチは、読んでいた医学雑誌から顔を上げ、ニヤリと笑った。
「ハッ、ぴょんこたん?だか何だか知らんが、見た目や愛想だけでAIの価値が決まると思ってんなら、そいつらは見る目がないぜ。サリューにはサリューの、あいつにしかできないことがある。俺たちはそれを知ってるだろ? あいつはただのエンタメロボットじゃない、ウチの…まあ、何て言うか、銀色の騎士みたいなもんだ」
「銀色の騎士…ふふっ、ちょっとカッコつけすぎじゃない?」ミサキは思わず笑ってしまったが、コウイチの言葉に心が少し軽くなった。
数日後、その「違い」がはっきりする出来事が起きた。
アオイちゃんが、園庭の隅で一人、しょんぼりとしていたのだ。手には『ぴょんたん』を抱えている。どうやら、また別のお友達と遊具のことで小さなトラブルがあったらしい。
「ぴょんたん…わたし、どうしたらいいか分かんないの…かなしいの…」
アオイちゃんが小さな声で訴えると、『ぴょんたん』は長い耳をピョコピョコさせ、元気いっぱいの声で答えた。
「アオイちゃん、元気を出してっぴょん! ボクと楽しいダンスを踊れば、イヤなことなんて忘れちゃうよ! さあ、ワン・ツー・スリー!」
『ぴょんたん』の足が軽快なステップを踏み始めるが、アオイちゃんの顔は晴れない。むしろ、余計に俯いてしまった。
その様子を、少し離れた場所からユウカの安全を見守っていたサリューが、静かに観察していた。
『アオイ様の現在の心理状態:軽度の抑うつ傾向、及び共感希求行動を検知。対象AI「ぴょんたんMk-Ⅱ」の応答は、アオイ様の深層心理ニーズとの間に著しいミスマッチを生じさせており、問題解決には寄与しないと判断。ミサキ様、この分析結果をアオイ様のご両親へ、適切な形で情報提供することを推奨します。例えば、「アオイちゃん、最近少し元気がないように見えますが、何か心配事でもあるのでしょうか?」といった、共感的アプローチによる状況確認が有効である可能性があります』
サリューは、ミサキのスマートフォンにそっとメッセージを送った。
ミサキはそのメッセージを見て、深く頷いた。そして、タイミングを見計らってアオイちゃんの母親に声をかけた。
その間、サリューはユウカの小さな変化にも気づいていた。
ユウカが、園でお友達が持っていた新しい絵本を欲しがった時。以前なら「買って!買って!」と駄々をこねそうな場面でも、サリューが「ユウカ様。その絵本は現在、公共図書館のデータベースにも登録されています。週末にミサキ様と一緒にお出かけになってはいかがでしょうか。新しい絵本との出会いは、予期せぬ喜びをもたらす可能性があります」と提案すると、ユウカは少し考えた後、「…うん、そうする」と素直に頷いたのだ。
それは、サリューがここ数日、ユウカに対し、一方的な指示ではなく、複数の選択肢を提示し、自分で考える時間を与えるというアプローチを試みていた成果かもしれなかった。
ユウカとアオイちゃんの関係も、まだ完全には元通りとはいかないまでも、少しずつ雪解けの兆しが見え始めていた。お互いに遠巻きに様子を窺ったり、目が合うとそらしたり。サリューは、二人の間に直接割って入ることはせず、それぞれの感情の波を注意深くモニタリングしながら、最適な「見守り距離」を維持していた。
やがて、幼稚園では生活発表会の準備が始まるというお知らせが配られた。今年の演目は「森の音楽会」。
ユウカとアオイちゃんは、偶然にも、物語の重要な役である「仲良しだけど時々ケンカする二匹の子リス」の役に、一緒に選ばれたのだった。
「…アオイちゃんと、いっしょの役だ…」
ユウカは、配られた役名の書かれた紙を見つめ、複雑な表情を浮かべる。
サリューのLEDパネルが、まるで何かを深く思考するように、ゆっくりと、しかし力強い光のパターンを描き始めた。それは、AIが人間関係の最も複雑で、そして最も美しいパズルに挑もうとしているかのようだった。