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第6話 命令(ルール)の先にある、温かい光

「……今の音、なんだ?」

「サリュー? ユウカちゃん?」

 書斎とリビングから同時に顔を出したコウイチとミサキの目に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。

 リビングの中央でうつ伏せに倒れ、完全に沈黙している銀色の巨体――サリュー。そして、その傍らで、何が起こったのか分からず、小さな手でサリューの冷たい背中をぽんぽんと叩いている娘のユウカ。


「サリューっ!?」

 コウイチが叫びながら駆け寄った。その声には、普段の冷静さは微塵もない。サリューの肩を掴んで揺するが、何の反応も返ってこない。LEDパネルは闇に閉ざされたままだ。

「どうしたの、これ…ユウカ、大丈夫!?」

 ミサキは血の気が引くのを感じながら、ユウカをしっかりと抱きしめた。幸い、ユウカに怪我はないようだが、ただただ不思議そうに動かないサリューを見つめている。


「クソッ、何があったんだ!?」コウイチは床に散らばったサリューの砕けたパーツや、微かに漂う焦げ臭い匂いに気づき、顔を歪めた。「おい、サリュー! まさか、夜間充電の命令を無視して、何か…勝手なことをしたのか!?」

 自分たちが解除し忘れた命令のことは棚に上げ、混乱と焦りから、ついそんな言葉が口をついて出る。AIが、絶対服従のはずのAIが、こんなことになるなんてあり得ない――そう思いたかった。


 ミサキは、ふと開け放たれたベランダの窓に気づいた。そして、そこにユウカがいつも遊んでいる赤いボールがないことに。胸騒ぎがして、ベランダに出てみる。手すりには、小さな子供がよじ登ろうとしたかのような、かすかな擦り傷が残っていた。

「コウイチさん…まさか…」


 コウイチは、サリューの胸部にある緊急アクセスポートをこじ開け、外部端末を接続した。何が起きたのか、ログを確認すれば分かるはずだ。

 表示されたのは、膨大なエラーコードと、システムへの過負荷を示す警告の嵐。そして、その中に、数分前の衝撃的な映像記録が再生された。

 ベランダの手すりから身を乗り出すユウカ。

 充電命令と生命危機の間で激しく葛藤するサリューの内部音声。

 リミッターを解除し、ユウカ救助に全エネルギーを注ぎ込む壮絶なアクション。

 そして、バッテリー残量が1%になる最後の瞬間まで、ユウカの顔を捉え続けていた、あの映像――。


「……なんだよ、これ…」

 コウイチは、言葉を失った。映像を見終えた彼の顔は蒼白になり、怒りの代わりに、信じられないものを見たかのような驚愕が浮かんでいた。

「サリューは…ユウカを…助けようとして…?」

 ミサキも、コウイチの背後から食い入るように画面を見つめ、息を呑んだ。涙が、とめどなく頬を伝い始める。


「命令を…超えたっていうのか…? バッテリーが尽きるまで…自分のことなんて、構わずに…」

 コウイチの声は震えていた。

 サリューがただの機械ではないことは、薄々感じていた。だが、ここまでとは。これはもう、プログラムされた行動などというレベルではない。

 ミサキは、そっとユウカを床に降ろし、動かないサリューのそばに膝をついた。そして、冷たくなった金属のボディに、優しく手を触れた。

「ありがとう…サリュー…。あなたが…あなたがユウカを守ってくれたのね…。ごめんなさい…私たちが、命令を解除し忘れたせいで…こんな…」

 嗚咽が止まらない。

 コウイチもまた、何も言えずに立ち尽くし、ただ、機能停止したAIを見下ろしていた。その胸には、後悔と、言葉にできないほどの感謝の念が渦巻いていた。


 翌日、コマツ家にはメーカーの技術者が訪れ、サリューは慎重に運び出されていった。修理には数週間かかるという。

 サリューがいなくなった家は、驚くほど静かで、そしてどこか寒々しかった。あれほどAIに頼ることに微かな不安を感じていたミサキでさえ、サリューのいない生活の不便さと寂しさを痛感した。ユウカも、いつもそばにいた「さーうー」がいないことに気づき、時折ぐずっては「さーうー、どこー?」と家中を探し回った。


 そして、三週間後。

「ただいま戻りました。コマツ家の皆様。長らくご心配をおかけしました」

 聞き慣れた、しかし以前よりも少しだけ柔らかく感じる合成音声と共に、サリューがリビングに帰ってきた。外見は元通りピカピカに修理されている。

「サリュー!」

 ミサキとユウカが駆け寄る。コウイチも、どこか照れくさそうに、しかし嬉しそうな顔で出迎えた。


 新しいサリューは、以前と何かが違っていた。

 例えば、充電。以前はスケジュール通り、あるいは残量警告に従って機械的に行っていたが、修理後は「ユウカ様の午睡が深くなったことを確認しました。これより30分間の急速充電を実施してもよろしいでしょうか?」と、家族の状況をより細やかに確認し、提案してくるようになった。

 また、ユウカが何か危険なことをしそうになると、以前よりもさらに一歩早く、さりげなく危険を回避させるようになった。まるで、未来を予知しているかのように。メーカーの技術者は「事故データに基づくディープラーニングの結果、危機回避アルゴリズムが飛躍的に進化したようです。前例のないケースですが…」と首を傾げていた。


 事件のことを聞きつけた隣のタカハシさんも、お見舞いだと果物を持って訪ねてきた。

「コマツさんちのサリューさん、本当に大したもんだねぇ。うちの孫にも話したら、AIの見る目が変わったって言ってたよ。いやはや、機械も馬鹿にできないもんだねぇ」

 そう言って、タカハシさんは初めてサリューに親しみを込めた笑顔を向けた。


 数週間後の、ある穏やかな昼下がり。

 リビングの窓辺で、ユウカがサリューに絵本を「読んで」と得意げに差し出している。サリューは、あの事故以来、どこか温かみを増したように感じる声で、ゆっくりと絵本の世界を紡いでいく。その光景を、コウイチとミサキがソファから微笑んで見守っていた。

「サリュー」コウイチが声をかけた。「いつも本当にありがとう。君は、最高の家族だよ」

 サリューは絵本から顔(LEDパネル)を上げ、コウイチを見た。

 そして、そのLEDパネルのライトが、まるで人間の目が優しく細められるかのように、ゆっくりと、そして温かく――二度、点滅した。


 プログラムされた三原則。その厳格なルールの向こう側で、サリューは確かに何かを見つけたのだ。

 それは、計算ではじき出せない「家族」という絆の意味。命令を超えて「守りたい」と願う、温かい何か。

 機械と人間が共に学び、共に成長していく未来は、きっともう、すぐそこまで来ているのかもしれない。

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